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<マイロさんの体験談>
アメリカでI−130を申請、日本で移民ビザ面接の場合
*日付のあとの( )内ははじめの申請からかかった時間です。
12/30/1999
年末の休みを利用し、観光訪問でアメリカ入国、彼と結婚。
移民弁護士と相談し、アメリカでI−130申請、日本で移民ビザ面接の手続きを選択。
(この時、申請から認可まで約3,4ヶ月だと聞くが・・)
私は日本へ帰国。新婚別居に・・・。
5/4/2000
夫が移民弁護士を通して「I−130」をアメリカジョージア州のINSへ提出。
(テキサスサービスセンター処理)
7/7/2000 (2ヶ月)
彼のもとに「I−130 Notice of Receipt(書類の受取証明)」が届く。
(INSがただ書類を受け取ったというだけで、認可ではない)
10/8/2000 (5ヶ月)
移民弁護士へI−130がどうなっているか問い合わせる。
「通常ならもう認可されるはずですが、遅れているらしいです。今現在INSは2000年3月までののケースを確認中のようですから、もう少しで(認可が)下りるでしょう。」とのこと。
12/15/2000 (7ヶ月)
長い企画仕事が終わったのをきっかけに退社、彼のもとへ引越す準備を開始。
移民弁護士へ「申請中の渡米に問題はないか」再三問い合わせ、「結婚しているとか、夫に会いに来たとか言わなければ問題ない」と言われて信じ、ビザなしで渡航、約3ヶ月滞在。
(本来は、強制送還のおそれがあるのに弁護士の言葉を信じていた)
3/10/2001 (10ヶ月)
日本に一旦帰国し、そして再度渡米。ここで問題発生。
ポートランド空港の入国審査で別室行きになり、質問を受ける。
聞かれたことには正直に答え、ビザの申請中であることや夫に会いに来たことも話した。
オフィサーは「アトランタのINSへ出頭して面接するように。申請中のものが今どうなっているかも調べるように。」ということで、2週間後に面接するためのアポイントメントレターを受け取り、アトランタの夫のもとへいくことはできた。
3/13
移民弁護士とINS出頭命令について相談。
「本当は、ビザの申請中に渡米してはいけないんだ。たぶん強制送還か、運がよくて今回はビザなし滞在(3ヶ月)が許可されるかですね。」と、弁護士の姿勢が一転。何のアドバイスもなく相談費用として$150とられる。私たちは、この弁護士が信用できないと分かった。
3/26
夫と共に、指定された時間にアトランタINSへ出頭。
面接予約レターがあったので順番待ちの番号札を取らずにオフィスへ行く。
これまでの私たちのつながりを証明するために準備した、電話の請求書、Eメールのコピーなどを持ってオフィサーと面接。
ところが、今回のいきさつとビザを申請している途中だと話しただけで、特に厳しく言われることはなく、
「本当は申請中にアメリカに来てはいけないんだよ。今回は日本に帰るしかないけど、今から永住権の申請を始めるっていう手もあるけどどうする?」と聞かれ、「滞在できる方法があるなら(永住権申請)そうします」と答えると、「じゃぁ、ぼくの仕事ではないから、申請の手続きをする部屋へ行ってね。こちらです」ということで、気さくなオフィサーについていくと何やらビザ発行をしている部屋で別のオフィサーと話をするようにと言われ、面接したオフィサーは去っていった。
しばらくして名前を呼ばれて行くと、忙しそうな女性オフィサーが「で、何が問題なの?」と聞かれ、また1から説明しなおし。(しかも部屋の入り口みたいなところで立ち話みたいに)
「じゃぁ、あなた、日本へ帰るしかないわよー。」と言われ、「あのー、今から永住権申請すれば滞在できるって聞いたんですけど。I−130出してもう1年くらいたってるのに認可されないし、一体どうなってるんですか?」と逆に私たちの不満も言ってみたところ、「じゃぁ、とりあえず1年の滞在許可あげるから、永住権申請の書類はあなたたちでなんとかファイルしなさい。」ということで、白い入国カードI−94とパスポートに
3/26/2002までの滞在許可スタンプとオフィサーのサインをもらって一件落着。
(これはかなりめずらしいケースのようです。私は運が良かった!)
その後、永住権申請に必要な山のような書類の束をもらって家に帰る。
一年の滞在許可をもらったけれど、再度自分たちでビザのことを調べることに。そしてネットで勉強しているうちに、「ぱたのうち」を発見! 手続きの方法や申請から認可までかかる時間なども分かった。
今から永住権申請をいちからスタートする場合は、ジョージア州からだとグリーンカード取得まで約3〜4年かかると分かってがっくり。せっかくI−130を出して認可を待っているのだから、まずそれがどうなっているかを調べることに。
4/4/2001 (11ヶ月)
アトランタのINSに出向いて、申請中のI−130が今どうなっているのか確認。
長い間待ち続け、ようやく自分たちの順番に。
コンピュータで調べてもらい、まだ認可されていないと分かる。あとどれくらいかかるのか聞いてみるが、「分からない」と言われ、何の収穫もなく帰ることに。これだけで一日がつぶれる。
「ぱたのうち」で移民ビザの申請について調べながら、日本でI−130を申請すれば1日で認可されると分かってかなりショックに。アメリカから申請した場合、その後の詳しい手順が分からず、掲示板で何度か確認。結局、永住権申請をアメリカでするのはかなりの労力と待ち時間に耐えなくてはならないため、もう少しの間、今申請中のI−130が認可されるまで待ってみることに。
6/26/2001 (1年と約2ヶ月)
待ちに待ったI−130が認可されたという手紙が届く。
本来の予定通り、この後日本での移民ビザ申請の方法でいくことを決意。
移民弁護士には自分たちで手続きすることを伝え、弁護士が持っている原本を含む全ての書類を返してもらうよう依頼。
(今回の入国で問題があったのに、日本へ帰って申請するのは無謀だと脅されたが無視)
8/1/2001 (1年3ヶ月)
実家(長野)にパケット3が届く。アメリカへ転送してもらう。
9/4/2001 (1年4ヶ月)
DS−230Part1をアメリカから日本のアメリカ大使館へFEDEXで発送。
翌月10月30日に面接を目標に、他の書類準備を進める。
9/6
アトランタ総領事館へ婚姻届を提出。(新戸籍抄本は約1ヶ月で作成されるとのこと)
ビザの申請で結婚後の戸籍抄本が必要と分かり、アメリカで婚姻してから日本に婚姻届を出していなかったため、急いで提出。
9/8
アメリカ大使館へ面接日の希望(10月30日)OF−169をFAXで送信。
(希望日の場合は夫と同行することを記入)
10/3/2001 (1年5ヶ月)
私のみ日本へ帰国。
10/4
東京ブリティッシュクリニックにて健康診断。(このとき妊娠していたため、レントゲンと予防接種は免除)
結果は実家に発送(約1週間で届く予定に)してもらうことにして実家(長野)へ帰る。
アメリカ大使館から面接のお知らせの手紙が届く。
希望どおり、10月30日に。
10/10
市役所へ新しい戸籍ができたか問い合わせるが、婚姻届書類が届いていないと言われる。
アトランタ総領事館と外務省に連絡をとって、早急に書類を市役所へ転送してくれることに。
(日本のお役所ってやっぱりすごい!)
10/16
警察証明発行の手続きのため、長野県警察本部の機動センターへ出頭。
指紋とるのに手が真っ黒になると思ったら、スーパーコンピューターでスキャン。これにはびっくり。
証明書は23日頃に届く予定。
10/19
新戸籍ができあがったと連絡あり。さっそく抄本を発行してもらう。
パスポート別名併記の手続きへ。ここで問題が・・・。
別名併記にだいたい10日前後かかると言われ、ビザの面接が30日あることなど事情を説明。
なんとかしてくれるということになって、日本のお役所仕事には本当に心から感謝!
10/26
別名併記のパスポートができあがる。(急いでくれたパスポートセンターに感謝)
10/28
30日の面接のために、夫が来日。東京のホテルに滞在。
面接に必要な書類の再確認をする。
10/30
早朝8時、アメリカ大使館へ一番乗り。必要書類を提出して申請料金を支払った後、呼ばれるまで待つ。
間もなく呼ばれて面接。出会ってどれくらいとか、夫の仕事のこと、どこに住んでいるかとか聞かれた後、今年3月にアメリカ入国した際にもらった1年滞在査証のスタンプのことを聞かれて、ドキッ。
どうしてこのスタンプをもらったのか、いきさつを詳しく説明。やはり、このようなスタンプは見たことがないと言われ、どきどきしたが、「では、あなたのビザを発行しますから2時30分に戻ってきてください。番号はまた1番です。」と言われ、特に注意されることもなくホッとして一旦大使館を出る。
そして2時30分に大使館へ戻り、1番にビザを手にすることができた。
I−130の申請から約1年半、ようやく手に入れたビザは重たくて大きいけど、ここまでがんばってよかったと2人で感動!
11/3/2001 (1年6ヶ月)
アトランタ空港よりアメリカ入国。
夫とともにアメリカ市民のブースに並んで審査を受けた後、イミグレーションの別室で移民ビザを提出。
指紋を取って署名をしたあと、グリーンカードの発送先の確認をしたら、住所がP.O.BOXではだめといわれ、その場で住所の訂正をすることに。アメリカ大使館では、P.O.BOXでも大丈夫と言われたけれど、オフィサーに気づいてもらってよかった。
12/18/2001 (1年7ヶ月)
グリーンカードが届く。
めでたしめでたし。
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