移民ビザ取得経験談 by Naoko

ぱたさん、その節は大変お世話になりました。ぱたさんのHPのおかげで、テロ事件後でも、1ヶ月未満で移民ビザを取得することができました。また、GCもアメリカ入国2ヶ月以内に届きました!

2001年10月26日ビザ取得しました!!

私は留学中に夫に知り合いました。大学卒業後、PTビザを取得し某企業にて働きました。PTの有効期限があるにも関わらず、日本で3ヶ月勤務して、PTの切れる前にアメリカに戻り、夫の両親への挨拶、日本の両親へ報告、そして「移民ビザ申請のための準備」を、2ヶ月かけて行いました。

その間に、彼の勤務していた会社が倒産して、念のためジョイントスポンサーを付けたり、日本へ帰国する当日にテロが発生したりとトラブルはありましたが、すんなりと「1ヶ月以内で」移民ビザをゲットできました。

私は、F1 PTのステイタスでした。日本で無駄な時間を過ごさないために、アメリカにいる間に準備できるものはすべてしました。

アメリカにいる間準備したもの:

  • 必要書類(ぱたさんのHPでダウンロードできるものはすべてしました)入手&記入(サイン以外)。
  • 婚姻要件具備証明書とDS-230 Part 1はダウンロードできなかったため、日本の家族にアメリカ大使館にファックスしてもらい、日本の家族経由でアメリカに送ってもらう。(ファックス依頼をしてから5日以内に来たそうです)
  • 写真(私:アメリカのパスポートサイズと斜めのもの2枚づつ。夫:アメリカのパスポート写真2枚(夫は1枚でもOKでした)
  • MMRを保健所で打つ。55ドルでした。
  • 日本の家族から婚姻届を送ってもらう

2001年3月7月
前の仕事が契約打ち切りになり仕事がない、プラスどうしても日本で働いてみたかったのもあり、日本へ一時的に帰り、3ヶ月間仕事をする。心の中で、最後の?日本での社会人生活かも、と密かに思い、日本での生活を満喫する。彼とは毎日のように、ネットや電話で連絡を取る。

2001年7月5日
PTビザが切れる前(7月20日)、にアメリカに入国。彼と3ヶ月半ぶりの対面。

2001年7月8月
正式に婚約。念願のダイヤモンド貰う!結婚の報告へ彼の実家へ二週間いく。

ぱたさんのHPを真剣に読み始めて、掲示板にもお世話になりました。必要書類のダウンロード(DS-230Part1 はアメリカ大使館より日本の家族経由でゲットしました)、日本の家族への結婚報告と必要書類の手配、および日本への滞在日程などを充分に練る。また、MMRを地元の保健所で受けました($55でした。日本で受けるより安いです)。

必要書類にすべて記入する。ただし、サインの個所はブランクのままにする(私はサインをしてしまい、何回かやり直しをしました)。また、彼の働いていた会社が倒産したため、念のため彼のお母様にジョイントスポンサーになってもらう。毎年会計士に頼んでいたのでしっかりした書類で、完璧でした。また、彼のお母さんは元ドイツ人で(10年前にアメリカ市民になりましたが)Birth Certificateがなかったので、パスポートのコピーも送ってもらう。ジョイント・スポンサーの準備は1週間で終了。10月頃に、アメリカに戻ってきたときのこともむまえ、就職活動をする。

2001年9月11日
アメリカ同時多発テロのため、私が作った日程表がすべて水の泡に。それよりも、テロの事にかなりのショックを受ける。
(ぱた注:私の記憶が確かでしたら、確かNaokoさんは日本に帰らずにこのままアメリカで永住権申請をしてしまったほうがいいのか?ということを掲示板で相談していらっしゃったと思います)

2001年9月20日
日本へ旦那と来日!
私のPTビザが切れて猶予期間2ヶ月の最終日のため、気を取りなおして2人で日本へ出発。機内の中は意外にも空いてはいなかった。

2001年9月22日夜
父と初めてのご対面(実家は東京ですが、父と対面する前に東京の実家に彼を宿泊させるのは気がひけ、二日間はホテルに泊まる)。父も彼のことが気に入り(仕事が無いことをしきりに気にしてが)、彼のことを正式に認めて貰う。彼の両親が私の両親宛てに手紙を書いたのがよかったのか、お土産のワインがよかったのか、、、

2001年9月23日
実家で紹介パーティ。結局、男どもだけで、ドンちゃん騒ぎになりました。

2001年9月24日午前中
アメリカ大使館へ、婚姻要件具備証明書を貰いに行く。その時に彼の扶養証明の公証をしてもらう。久々に日本の公共機関へ行った私は少々まごつく。また、日本人の私が色々頼むより、彼が依頼したほうが、大使館のおじさんが親切に対応してくれるのを発見しました(ただし、彼は移民ビザの仕組みを理解してなく、全て私の指示で動く)。大使館からの帰り道、表参道の回転寿司にてランチ。喜ぶ彼。

2001年9月26日大安
実家の近くの市役所で婚姻届を出す。

婚姻受理証明書(大1枚、小3枚)の作成依頼をする。次の日にできるとのことでした。また、新戸籍は1週間でできるといわれました。張り切ってスーツを着た彼は、こんな簡単に(=地味に)結婚できたこと、また私の家族が同行しなかったことに対して腑に落ちない様子だった。

2001年9月26日9月30日
東京での生活を満喫する。主にショッピング(Musicお宅な彼にはサイコーのようだった)、家族との地元密着型のショッピング、姉の家族と動物園などへ行き楽しむ。ふと、観光に連れて行ってないことに気が付く。また、マリッジリングを母の知り合いのお店で購入。浅草の問屋街の町を楽しむ彼。たくさん、買い物してました。

2001年9月30日、夕方
次の日の移民ビザ申請に備えるため、虎ノ門パストラルへチェックイン。インターネットで予約をしたのと、割引兼をダウンロードしたので、9000円以下でした。値段の割にいいホテルでした。彼の希望で、なぜか牛丼屋でディナー。東京タワーが見えたので、早めに来て連れていってあげればよかったと思う。

2001年10月1日
移民ビザ申請&パケット3の取得

午前8時
アメリカ大使館門前到着。すでに10組くらい並んでました。
書類の準備は完璧だったため問題なく、午前10 時半頃、Packet3ゲット。
彼との面接が何だったのか分からなかった。

午前10時半頃
1.婚姻受理証明書の公証をしてもらう。私が持っていた翻訳の雛型が違ったらしく、大使館の方に新しいの(私のもっていたのよりもシンプルでした。ぱた注:おそらく戸籍謄本と戸籍抄本の違いだと思います)を頂きその場で書きましたあわてて書いたので汚い字のマリッジサーティフィケイトになってしまい後悔。
2.東京ブリティッシュクリニックへ健康診断の予約を電話にて入れる。空いていたのか私が希望した日と時間に入れてもらえました。

午前11時すぎ
霞ヶ関の警察庁へ到着(私の住民票は4年くらい前に海外転出届けをだしていたため、日本国内に住民票がないので警察庁になります)し、無罪証明を申請する。面接の日を聞かれ、「だいたい二週間後です」と答えました。面接日の前日までには、結果ができるとのことでしたが、実際は1週間くらいにはできたいたと思います。
係りの方に案内されて、15分ほどで指紋採取など全て終了する。旦那は受け付けの待合席で、本を読んでました。

午前11時半
警察庁の喫茶店でランチをする。安かった。

午後
皇居(お堀)が近かったので、雨の中でしたが初めて観光らしいことをする。JR東京駅まで歩く。

2001年10月2日
旦那を成田空港へ送りに行く。なぜかホッとする私。帰りにショッピングを楽しむ。

2001年10月4日
恵比寿の東京ブリティッシュクリニックへ。お医者さんは、女性の方でした。MMRをすでにアメリカで受けてきたので待ち時間を含め35分くらいで終了。金額は、24,000円だった(と思います)。

2001年10月5日
アメリカ大使館へ面接依頼のFAXをする。

2001年10月9日
新宿のパスポートセンターに、追記の依頼をする。2時間で出来あがりました。

東京ブリティッシュクリニックへ結果を取りに行く。「結果はどうでしたか?」と聞いたら、「封筒が貰えるってことは大丈夫ってことだと思いますが、、、」と言われました。意外にも大きい封筒で、私が用意した紙袋には入らなかった。その夜、封筒を持ち歩いて、学生時代の友達とディナー。

2001年10月10日
面接通知の返答が来ないのでFAXする。

2001年10月11日
ダイヤルQ2に電話をする。彼が提出したI-130がまだ正式にプロセスされていないことを、また、プロセスされるまであと2週間くらいかかるかもしれないと言われショックを受ける。
霞ヶ関近辺に行く用事があったので、私の無罪証明ができている電話したら出来ていたので取りにいく(結果が出来る予定日は次の日の12日でした)。

2001年10月12日
しつこくまた面接依頼のFAXをする。今度は余白に、10月1日に書類を提出したことを書く。
1時間くらいしたら、アメリカ大使館から面接通知のFAXがくる(また、次の日には封筒で面接通知が郵送される)。面接日は10月26日の午前9時半でした。飛行機の予約変更を10月20日から10月27日に変える。

2001年10月12日10月2 日
DS-230 Part 2 およびTAXのForm9003(黄色い紙)を記入し、後は日本での生活を満喫する。

2001年10月26日

午前8時30分
大使館に到着。列はできてませんでした。面接に来た旨を伝えると、すでに私の名前がセキュリティーの人の持っている紙に書いてあり、通される。

午前8時50分
私の番号(11番)を呼ばれ、書類を提出。

午前9時20分
私の番号が呼ばれる。書類はすべてOKでしたが、私の面接が9時半のため、後の番号の人が先に呼ばれるかもしれないことを言われる。

午前11時頃
私の番号が呼ばれる。右手を上げて宣誓したものの、私への質問は、"How long have you known your husband?" と"What is his job?" のみでした(今まで私はアメリカと日本を行ったり来たりしていたし、学生ビザも5年ものを2回も申請したので、過去のパスポート、卒業証明やI-20など色々持ってきたのに使いませんでした)。3分後には、"Everything looks fine" と言われ、2時半に戻ってくるように言われました。
(私は9時代だったので、9時半へ行けば待ち時間も少なかったと思いました。)

午後2時25分
友人と銀座でランチをして、大使館へ戻る。すでにたくさん人はいましたが、受付の窓が空いたのは2時30分でした。

午後2時40分
番号を呼ばれ無事に封筒を貰いました。次の日にアメリカにいると思うと、急に悲しみが。日本の家族のありがたみが急に感じられました。辛かったー。

2001年10月27日
飛行機が車輪故障のため3時間半も遅れる。遅れたお陰で、機内で熟睡する。
SFO入国で、New Immigrantの列に行くと誰もいなく、私が一番でした(結局、2人だけでしたが)。その場で、すぐに指紋を取り、大使館からの封筒を提出し、スタンプを押してもらう(10分以内で終了しました)。
旦那と25日ぶりにご対面。

2001年10月29日
Social Security Administration Office へ私のSocial Securityの名前とステータスを変更しに行く。
アメリカ大使館で公証した、婚姻受理証明書を見せたら驚かれて、Certificate番号をしつこく聞かれた。番号がないとMarriage certificateとは認められない、と言われ、旦那が怒り「あなたは、日本のMarriage certificate を見たことあるのか」と食い下がった。結局、彼が「1」と番号を書き、受け付けてもらえた。それにしても、初日からアメリカの役所の人からの意地悪な目に遭うとは思わなかった。(家に帰って、大きい婚姻受理証明書を見たらちゃんと番号があった。私のは2番でした)

銀行口座の名前変更、ジョイントアカウントを作る。

2001年10月30日
8月に就職活動をしていたときに誘われていた会社に面接しに行く。採用決定。
また、次の日に、旦那の就職決まる。
2人とも、11月5日に仕事開始。

2001年12月14日
グリーン・カードが、夫の実家(フロリダ)に届く!!10月27日、SFO入国です。


以上です。ぱたさん、本当に色々どもうありがとうございました。ぱたさんのHPの通りにやって、本当に1ヶ月で取りました。私の場合、申請前と申請中にテロと報復攻撃があったのでどうなるかと思いました。彼の日本での滞在期間が長くなっために、全て余裕を持って行動できました。両親とおなじ住所に私の新戸籍を持てたことが良かったです。また、この体験談をEメールにて送った日に、GCも夫の実家に届きました。ぱたさんのおかげで全て順調でした。これからもよろしくお願いします。