移民ビザ、フクダダの場合

アメリカ人との結婚・移民ビザについてこの上なく無知だった私に、たくさんの情報・アドバイスを与えてくださいましたぱたさんと"ぱたのうち"にご意見を寄せられた皆さまに、心より感謝致します。ありがとうございました。

2001年(平成13年)7月11日(水)に東京のアメリカ大使館で無事に移民ビザを取得しました。最後に窓口で書類を渡された時、ちょっと涙が出そうでした。
自分の体験談がどなたかのお役に立てばいいなと思います。
これから申請される方、がんばってね。

日本で出会った彼と結婚の約束はせずに一緒にアメリカに行って暮らそうという話になったのは付き合って1年半が経った頃の事。日本で働いてた会社を辞める予定でアメリカで新たな仕事が決まりかけていた彼。その頃私は東京でやっていた自分の仕事を辞めたくなかったので多少迷いはあったけど、留学時代にいつかアメリカで仕事がしたいとも思っていたので、「いいよ」と返事をする。「日本にいる間にアメリカでの仕事が見つけられなかった場合、観光で入って見つけようっと」などと、これまたこの上なく無知な考えでいた私。

2001年4月15日
4年半働いた会社を辞める私。(この時点では翌月の5月中に渡米するつもりでいたので、るんるん気分)

2001年4月21日
彼を兵庫県の実家の親に会わせに行く。その時親に二人のなりそめからアメリカ行き計画について報告。結婚はする予定はないけどアメリカで一緒に住む旨を父親に話すと、反対はしないけどやや不満気。一週間程の滞在中に大阪、京都、奈良、姫路、と観光をしまくった私達。なんと全く予想もしていなかったのに、突然京都で彼にプロポーズをされ、結婚することに急きょ決まる。その後起こるビザのあれこれを全く知らない私はしあわせ気分でいっぱい。父親もにっこり。

2001年4月末
東京に戻り、いつ入籍しよう?とのほほーんと、のんびーり考えていた私達。新居のソファの色をめぐって喧嘩なんかしていた頃。彼の新しい仕事が地元のロサンゼルスで5月7日から始まる事が決まったので、帰国のチケットを5月3日付けで取る。私は自分の身辺整理をしてから5月中に彼を追って渡米しようと思っていた。その時入籍はアメリカに行ってからしようと2人で話す。5月3日にロサンゼルスの空港に迎えに来てと彼が地元の友人に電話をした時に事は発覚。その友人のワイフはカナダ人で彼らがアメリカで移民ビザの手続きをした時とってーも大変だったという事を知る。私達の頭の中は???でいっぱい。そもそも結婚するのが何で大変なんだと素朴な疑問を抱いていた私達。

ほんと無知は怖い。その友人にあれこれ説明を受けるにつれ状況を飲み込み始めた彼と私。今思うとその彼の友人のおかげ。感謝。

あらゆる本屋を回ったがアメリカ人との結婚による移民ビザの申請方法に関する適当な本は見つけられず。
しかしそこですばらしい出会いをする。ネット検索してて偶然見つけた"ぱたのうち"。全部のページをプリントアウトし、紙に穴が空きそうな程、何回も読む。

とりあえず彼が日本にいる間に手続きをした方がよいと知ったので、私の戸籍謄本を速達で取り寄せ、5月1日に大使館に入籍に必要な彼の婚姻用件具備証明書を2人で貰いに行き、その際、結婚による移民ビザ申請の書類をもらう。5月2日急きょ目黒区役所にて婚姻届け提出。婚姻受理証明書を発行してもらい、上質紙のものもその場で注文。

その翌日から連休だったしどっちにしても彼の帰国の日なので、それ以降一緒に日本の大使館に行くことは出来ず、1日でPacket3をもらう事は諦める。てんやわんやの中、近所の恵比寿に当座の結婚指輪を買いに走り、Hanakoで見つけたイタリアンレストランで結婚の乾杯をしめやかに行う。なんといっても3年半日本にいた彼は明日アメリカに帰ってしまうので、浸ってる暇はなく、家に戻って朝の4時まで、大使館でもらった移民ビザ申請の書類を2人で記入。英訳し、ポスト投函に必要な全ての書類を作成。だんだんイライラしてきて、けんかもしつつ、疲労は最高潮。

2001年5月3日(木)休日
彼の帰国日。
成田空港で豚カツを食す。豚カツ大好物の彼。食べ納め。彼はロース。私はヒレ。
涙のセイグッバイ。今度いつ会えるか全く分からない2人。全てが予定外に進んでいる気がしてお先真っ暗な気分。

2001年5月7日(月)
連休明けに大使館に書類を一人でポスト投函しに行く。アメリカ人の申請者本人が日本にいないといけないのはわかっていたが、一か八か賭けに出る。ちょっと不安。

2001年5月中旬
彼が日本にいなかったのが大使館の人にバレて一からやり直しかもと思うブルーな日々が続く。
「もう何年も彼に会えないんじゃないか...。」と落ち込む。

2001年6月1日(金)
大使館からPacket3が届く。家中一人で飛び回る。

2001年6月5日(火)
午前中警視庁に警察証明を製作しに行く。指全部の指紋を取る。所要時間5分。
午後ブリティッシュクリニックで診断を受ける。予約時間通り行ったのに1時間ぐらい待たされた。留学時代にアメリカでMMRは受けており、その証明の控えがあったので、持参し、免除される。ブリティッシュクリニックの看護婦さんと女医さんは受け答えがあっさりしていてちょっと冷たい雰囲気。血液検査と腹部のレントゲンを撮り、その後言われた通り下着だけになってベッドに横になっているとイギリス人(?)の先生がお腹を触診しに現れた。グイッと軽くお腹を押された。その間約1秒。そして「Ok」と一言。彼は何を検査したのか未だに不明。なんでパンツとブラ姿にならなくてはいけなかったんだろう。謎。(ぱた注:全身の皮膚の状況(病気によっては皮膚に病変が出るので)を医師が確認するためだそうです)

2001年6月6日(水)
新宿でパスポートの新規発給と名前を確固書きの申請をする。
彼に大使館からの扶養証明の書類をFedExする。

いろいろ待っている間に引っ越しの準備を進める。
平日にショッピングに行ったりして今まで経験しなかった生活を満喫。新居に必要なものを買いまくる。

2001年6月8日(金)
電話で確認後ブリティッシュクリニックにレントゲンを取りに行く。

2001年6月12日(火)
全ての書類は揃ってないが、大使館に面接の予約のFaxを送信。余白に"早め希望"と記入。

2001年6月14日(木)
パスポートを受け取りに行く。

2001年6月15日(金)
警視庁に渡航証明を取りに行く。

2001年6月19日(火)
大使館から面接の知らせが届く。
7月11(水)の8時45分から。いよいよかと感極まり一人ワインのボトルを開ける。
彼に電話したらあっちはすでにビールを飲んでいた。

2001年7月2日(月)
彼から記入済み扶養証明やTax Returnsの書類が届く。

2001年7月11日(水)
面接日
8時に大使館前着。1番目。続々と列が出来る。とても暑い日で頭がくらくらする。
8時20分に中に入れてもらえ、番号札1番を取る。8時30分頃番号を呼ばれ、持参した書類全てを提出。$260を会計で払い、レシートを持って座ってるように言われる。15分後、再び番号を呼ばれる。レシートを渡し、レントゲンと彼の出生証明、戸籍謄本と英訳、婚姻受理証明書、Form I-865を返される。レントゲンは問題なかったですよと言ってくれた。今度番号を呼ばれたらアメリカ人との面接ですよと言われしばし待つ。

それから15分後再び番号が呼ばれる。右手を挙げて宣誓をし、彼について一般的な質問を5つ程された。領事は書類に注意深く敏速に目を通し、Everything looks fineと言い(ヤッター!)、会計で$65を支払うように言われ、そのレシートを持って午後2時半に戻ってくるようにと言われる。また同じ番号を呼びますと言われる。(初めに取った番号札が連用される)入館からここまで1時間もかからなかった。
はりきって持参したけど、彼の写真を見せて下さいとは言われなかった。

ちょうどバーゲンシーズンだったため、空き時間はアメリカに着ていく夏らしい服と靴を購入しに恵比寿と渋谷へくり出す。

2時に戻ったら大使館の前には列が出来ていた。すぐにゲートを開けてもらえ、入館。2時半丁度に番号札1番が呼ばれ、ついにとうとうビザを受け取る。アメリカには6ヶ月以内に入国する事や2年が経過する前に移民局から連絡なくても自らちゃんとしたグリーンカードに書き換える手続きをするように等の説明を受ける。

ビザに記載されてる名前や情報等に間違いがないかどうか確認してから帰って下さいと言われ、確認すると、母親の名前のスペルが間違っていたので、すぐに訂正してもらう。後で気付かなくてよかったと思う。
終始どの大使館の人もとても親切で安心して手続きが進められました。

大使館を出てすぐ彼に電話で報告。盛り上がる。

がしかし、ビザを持ち帰った2日後の7月13日(金)にビザに記載されている私のパスポートのアルファベットの1字が間違っている事に気付く。大ピンチ。大使館のダイヤルQ2に電話をかけても拉致あかず、直接オペレーターと話したいと強く希望したが、初めに電話を取ったオペレーターはつなげてくれなかった。が、再度かけた時のオペレーターは担当者につないでくれた。大使館に連絡を取りだしてから30分以上経ってからのこと。

平日の午前中に持ってきてくれれば訂正しますと言われる。その日は金曜日ですでに正午近かったので、来週にでも来て下さいと言われる。が私の引っ越しがその週末だったため、来週は行けませんと言うと、じゃあ本日の14時〜15時半の間に来て下さいと言われる。結局その日のうちに訂正してもらえた。もしこのまま渡米してたら入国拒否されてたかもと想像すると間に合ってよかったと思う。窓口でビザをもらった時にちゃんと確認しなかった私にも責任ありますが。

これから移民ビザ取られる方、しっかり文字チェックして下さいね。

2001年7月31日(火)
渡米。関西国際空港からロサンゼルス(LAX)へ。
INS PASS (Immigration and Naturalization Service)
の窓口が見当たらなかったので、外国人用の入国の列に並ぶ。入国審査の人に隅にある別の部屋に行くように言われ、そこの窓口で大使館から受け取った書類等を渡す。自分のスーツケースを取りに行った後、又戻って来てベンチに座って待つようにと言われる。その部屋には約10人ぐらいの人が座っていました。待つこと約1時間半、名前を呼ばれ、無事手続き終了。私の前にいた韓国人の学生の女の子が移民局の人に入国するためにウソをついた事がバレて、すごい勢いで怒られていた。そのため、私の名前もなかなか呼ばれなかったようでした。

飛行機を降りてから外に出るまで2時間以上かかったので、彼はちょっと待ちくたびれた様子だったけど、3ヶ月ぶりに会えたこととビザの手続きが終了した事に2人して大喜び。
長い共同生活のはじまりはじまり。

2001年11月12日
条件付き永住権が、無事自宅に送られてきました。

*結論*
ぱたのうちに載っている事をしっかり読んで、ちゃんとやれば大丈夫。本当にすばらしいサイトだと思います。

私の場合ビザ取得まで2ヶ月とちょっとかかりました。(何も知らず観光で渡米してたら今頃大変な事になっていたでしょう)この間葛藤や焦りがありストレスを感じることも多々あったけど、でも充実してたと思います。こういう体験普通はしないから、いい経験になったと今なら思えます。彼と離れているからこそ見えた彼の新たな一面にも惚れなおしちゃったりもしました。いろんな人に助けられとても感謝しています。こんどは私が何かの形で恩返しをしたいと思ってます。

これからビザ取得される方、楽しむ勢いでがんばって下さい。