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移民ビザ取得経験談 -ティメより- 2001年9月5日ビザ取得です。 私は日本に、彼はアメリカに在住でした。彼が学生だったということもあり、扶養証明など疑問点がたくさんありましたが、なんとか無事に取得できました。 2000年1月に 2001年3月上旬 2001年5月〜6月 警察証明のことで問題発生。大阪府警本部ではPacket3がないと証明をだしてくれないことを「ぱたのうち・手続き情報交換」にて助言頂いたので、彼に相談。移民弁護士に事情を説明し、Packet 3を先に入手できないかきいてもらう。 すると、I-130を提出していなくても、Packet3は入手可能だという。さっそくとりよせてもらい、彼にFedExにて一式送ってもらう。 2001年7月13日(金) 2001年7月28日(金) 2001年8月8日(水) 2001年8月9日(木) 大阪アメリカ総領事館ではセキュリティーチェックとIDの確認がきびしかったです。私は免許証とか写真付きのIDがパスポート以外になかったので、クレジットカード2枚提出させられました。パスポートのコピーでも良いらしいです。 1月に彼が来日した際に、婚姻用件具備証明書を発行してもらっていましたが、総領事館のホームページによると有効期限があるとのことで、再度証明をだしてもらうことに。(総領事館の方でも区役所側が1月発行分を受け付けてくれるかどうかわからない、とのことだったので、証明を出してもらいました。)10時前には証明をもらい領事館を後にしました。 午後は彼・両親・親戚をつれて京都観光。小型バスをチャーターして半日観光。京都の非常な暑さに夕方にはみんなぐったり。 2001年8月10日(金) この日の夜はRehearsal Dinner(結婚式のリハーサルなどしませんでしたが、アメリカの習慣にのっとって)を大阪のホテルのレストランで。両家初めての顔会わせ。 2001年8月11日(土) 2001年8月12日(日) 2001年8月13日(月) 一旦ホテルへ戻り、すぐに東京ブリティッシュクリニックに予約の電話をいれる。受付のひとに、書式の形態(写真を張るスペースがあるほうですか?と聞かれました。今書式の移行時期とかで、混同して使ってるとかおっしゃってました。)を聞かれ、11時半なら今日の予約が取れます、といわれ、急いで病院へ向かう。 恵比寿で降り、交番で地図をもらい歩きましたが、それでも迷いました!地図にある名前のものが今はもうなかったりで、あんまり地図上の名称は宛てにならないかもです。なんとかたどり着き、いろいろなものにサインさせられる。 11時半に看護婦さんによる問診、レントゲン撮影など。幸い、学生時代の留学時に使った予防接記録・診断書等が役にたち、1本も予防接種受けずにすみました。2万6500円でした。あと宅急便で結果を送ってもらうようにしました。 2001年8月14日(火) 2001年8月15日(水)から27日(月) 2001年8月28日(火) 2001年8月29日(水) 2001年8月31日(金) 2001年9月4日(火) 扶養証明で1年だけTax Returnがファイルできてなかったのですが、説明のレターをつけたりしたので、問題なかったです。席に戻って待つように言われ、10時半頃今度は領事に呼ばれる。何点か扶養証明についての確認をして、その後私が宣誓をし、2時に戻ってくるように言われる。 時間があったので、喫茶店へ入りお茶を飲んでいました。ふと道路を見ると「←東京タワー」とあるので、歩いていってみることに。東京タワーに例の移民ビザ用レントゲンフィルムを持った女の人を一人見かけました。 虎ノ門に戻り、昼食を食べて大使館へ戻りました。2時にならないと入れないとしり、再び朝のように門の前でひたすら待つ。 2時に開門し、中に入って番号が呼ばれるのを待ちました。1番に呼ばれ、見事ビザをもらいました。ビザに関する簡単は説明とビザ上の名前などの間違いがないか確認をするように言われ、どうもなかったので、大使館を2時半に後にしました。 ♪ビザ申請から3週間弱で取得できほんとうによかったです。彼はINSに関してとても悲観的で、クリスマスくらいまでかかるんじゃないかと心配していましたが、すべてが順調に進みました。扶養証明ではTax Return, 現在の雇用証明、もしものためにふたりのアメリカでの銀行口座の証明、彼の父親のジョイントスポンサー書類を持っていきました。完璧に用意周到で行ったので大丈夫と解っていても、やっぱりちょっと不安でしたね。 あ〜、長い間「ぱたのうち」を研究しつづけ皆さんのご助言を頂いたおかげです。ほんとうにありがとうございました。 |