|
ももねこさんの経験談 私たちは、彼(アメリカ市民)が大学を卒業してすぐ、彼(21歳以上)が就職するまでの3ヶ月(最後の夏休み?)を一緒に日本ですごし、日本で結婚し、まるまる3ヶ月使って、移民ビザを取得し、渡米という方法を選びました。ちなみにぱたさんに書いたメールを自分なりに少々手を加えたものです。でもって、なんだか、ぱたのうちを真似しているようになってしまいました。あまりにも長くなってしまった部分(というか全部)は、自分で、勝手に要約してみました。 2000年6月前半 2000年6月13日
結婚して、移民ビザとらなきゃ、と本格的に決めたのは、その約2週間前(つまり6月の初め頃)だったんですけど、なかなか行動できなくて(お互い怠け者?)、6月13日までずるずる、ずるずる。必要な書類もFAXで申し込んでおけばいいのに、時間あるから、ということで、全くなにもしていなかったのです。 それで、この日はじめの第一歩として、名古屋のアメリカ領事館にいきなり行ってきてしまいました。いきなり行っていいものかと思いましたが、結婚の予定は、もう1週間も残っていないし、とりあえず、結婚だけは予定通りの日にしたかったので、「婚姻要件具備証明書」を取得することが目的で行ってきました。 でも、名古屋の領事館は、ランダムでそのサービスをやっていると言う事なので、いつそのサービスをやっているかを聞く事が本当の目的でした。FAXで聞けばよかったのかもしれませんが、返事がいつ来るか心配ですし(私、FAX苦手なんですぅ、本当に届いているかどうかと思うと、夜も寝られない?)、電話も快く応答してくれるものなんだろうか(確かぱたのうちでは、電話よりFAXと書いてあったような)と思ったら、直接行くのが一番いいのかなと思いました。 その結果は、なんと「明日」でした。本当にぎりぎりです。1日でも遅かったら、どうなっていた事か。そういうわけで予約もぎりぎり。もっと恐るべきことは、そのサービスが月に1回だという事(6月だけだったかもしれません。詳しくは、直接聞いた方がいいです)。毎週1回決まった曜日にサービスしてるとは思っていませんでしたが、せめて、月にランダムに2回か、3回はあると思っていました。その日は、大阪から、誰かえらい人が来るそうです。あと少し、遅かったら、東京行きでした〜。 もらった書類で、特に重要なのは、この2つ。婚姻要件具備証明の書類(それに記入し、領事さんに公証してもらったら、婚姻要件具備証明書になります)と、大きい婚姻受理証明書のための英訳フォーム(唐草模様が縁取ってあるような...が、ぺらぺらの紙)がもらえるはずです。他にも書類がもらえるはずですが、多分、説明書きがほとんどだったと思います。記憶が薄れています。英語の説明書きももらえるはずなので、それをよめば、アメリカ人の彼とって、手続きがより納得しやすいかもしやすくなるかもしれません。ですが、ぱたのうちをプリントアウトしたものがあれば、十分だったような記憶が...。 『とりあえず、結婚だけして、彼がアメリカに戻るまでに、ゆっくり移民ビザの手続きをしようと思っているので、扶養証明の方もまだまだ(←いいのか?)。でも、のろのろしてないで、やれることは、早いうちにやっていこうと思っています。』とこの頃の心境。 もっと余談 → えっと、はじめての領事館は、緊張しました。同じ階には、ほかの会社もあったけど、なんか領事館は違う...。アメリカの国旗が堂々とあって、インターホンもあって、怖そう〜。私たち二人とも足がすくんで、後ずさり状態。私は「ね、アメリカ人なんだから、そんなにびびってないで、なんとかしてよ〜。同じアメリカ人じゃない?」とか訳のわからない事言い出すし。しばらくして、彼が勇気をふりしぼり?、インターホンの方へ向かったのでした。でも、入ってみると、そんなに怖くなかったけど、聞きたい事をずばずば聞けるような雰囲気ではありませんでした。 それから、その日中に戸籍(私は、抄本を2枚手に入れることにしました)の方もとりたい!ってことで、市役所まで行ったものの、本籍があるところの市役所(今住んでいる場所の市役所へいってしまった)へ行かず、貰えませんでした。ちょっと残念だけど、それはそれで、頑張ろうっと。 2000年6月13日
14日。なにごとにも遅い私達(最も私のせいで遅くなっているんですが)は、アポより早めに領事館にむかいました。領事館のビルの下では、別のカップルが座っていました。この人もぱたのうちの人かなとか思っていましたが、いきなり「ももねこです、あなたは?」という訳にもいかず、そのまま、私達は、ビルの中へ入っていきました。本当にアポより早い時間で、私達もさっきのカップルのように待ってたほうがいいんじゃないかとか思ったけど、書類の書き方で間違った事があったら、早く書きなおしたかったので、そのまま領事館の中へ。 やっぱり、2回目なのに入るときは、緊張しました。それからドアごしの会話が始まって...内容は多分(またしても英語だったんで)、彼:「すみません、婚姻要件具備証明書の件で」受付の人:「アポはありますか?」彼:「はい」受付の人:「じゃ、どうぞ」というような感じ。“おいおい、アポはあるけど、今じゃないぞ〜!早過ぎるぞぉ。”とか私は思ったんだけど、そのまま中へ。 残念ながら受付の人は、昨日とはとは別の人。そういうわけで、あまりうまくコミュニケーションできなかったような気がする。昨日とったアポの時間も聞かれませんでした。「あの〜、わからないところがあったんですけど〜(そのためにはやくきたんですぅ)」といったものの、「それは、中でやるので」と言われ、全然時間じゃないのに、婚姻要件具備証明書をくれる準備をしてくれてる雰囲気...。 その後、身体チェック。“やっぱり、やるんだ〜”となんだか感心したというか、思うところがありました。そういえば、アメリカでこの前お医者さんへ行った時もやったなぁ。でも、それって、それだけアメリカは危険な場所なのかな。でも、大使館(領事館)は、変な言い方かもしれないけど、神聖な場所なのかもとか思ったりします...。えっと、私はなんなくOK。彼は、少々てこずっていましたが(ベルトだったかな?)、なんとかなり、別室へ。 別室は、思ってたより普通の部屋でした。でも、お馬鹿な私の心の中は、“普通だったら、こんなとこ来ないだろうなぁ、なんか嬉しいな〜♪えらい人は、どんな感じの人かな〜♪”でした。領事さんは、背の高い大きな人でした。威厳がないわけじゃないけど、どちらかと言うと、フレンドリーな感じな方でした。そして、確か部屋には、当時の大統領クリントンの写真が。アメリカらしいなぁ、と思いました。 別室に入った私達は、婚姻要件具備証明書の書類をだして、領事さんと少々話をしていました。私の彼が「間違えたところがあるかも」といったのに、領事さんは、大丈 私達は、領事さんのいる前(とは言ってもその部屋に出たり入ったりとお忙しそうだった...けど、その片手には、コーヒーがあったようなないような)で、一から書類を書いていました。彼の英語の住所を日本語に直すときなんて(婚姻要件具備証明書の用紙の裏が和訳のフォームになっています)、この街の発音は、日本語でなんていうのか、二人とも、あーでもないこうでもないとぶつぶつ話してて、私達より後に来た人にも先を越されてしまいました。その方々は、そう、下で待っていらした方でした。その方の彼が英語で「いいホームページですよね」と私のプリントアウトしたぱたのうちを見ながら、言っていたんですが、私はどうしても恥ずかしくて、「わたしはももねこです。あなたは?」と聞き出せませんでした。ということより、ぱたのうちって、本当にみんなに知れ渡っていて、役に立っているんだなぁ思いました。すごいです、ぱたさん!! それから、案の定、アポの表を持った受付の人がやってきて、「あの、アポは、どちらの名前でされました?(今の時間は、あなた達じゃないんじゃない?)」と聞かれて、私は、その表をさし、「私の名前は、ここですが...」といって、少々気まずい雰囲気が流れて、受付の人が去っていった。やっぱり、時間外に来たのがいけなかったんですよね(汗)。 やっと、書類もうまくかけて、宣誓(最後のサインは、領事さんの前で書くんですね。流石アメリカ人、彼は知っていました)そして完成した時は、ホッとしました。それなのに奴(彼)は、「ついでにビザの書類についての英語の説明のプリントも欲しいんですが...(昨日もらったものは、婚姻要件具備証明書、というか、結婚までの説明書き)」とか言い出して...。 でも、どうやらその場にはなかったようで、領事さんは、なんと、名刺をくれたんです!なんか「大阪に連絡すればいいよ」とか言われてたそうです。が、その会話の後、そのプリントが見つかって、領事さん(りょうじさんで変換すると良治さんとなる)に連絡する必要もなくなりました。というか、私としては、大阪には行く予定なかったから、なんでもよかったんだけど...。そういうわけで、領事館では、かなり図太く図々しい二人だったのです...。でも、領事さんは、それの上をいく人で、私達の事をなんとも思ってない心の広い方でした(と私が勝手に思ってるだけかも)。 2000年6月X日 (はずかしいので秘密です〜)
えっと、婚姻届の事です。まずは、私の本籍のある区役所へ行き、戸籍抄本を2枚貰ってきました。高いんですね、1通450円もしました。その際に婚姻届を2通(1通は、練習用)貰いました。婚姻届は、テーブル?の上においてあると思っていたけど、受付でしか貰えませんでした。区役所では貰えないのかと思って、ちょっとびっくりしました。 婚姻届なんて、書けばOK、とか思っていたけど、なかなか難しそう。私は未成年だから(当時)、両親からの同意書がちょっと悩むところでした。“同意書ってその他の欄に書けばいいの?なにそれ?”みたいな感じで、ホームページなどを検索したけど、なかなかいい例が見つからない。結局、区役所に電話して、聞きました。どうやら、とりあえず、証人の欄に未成年者の両親がサインすればいいというものでしたが、一応、私は、その他の欄にも「この婚姻に同意します。妻の父 サイン印、妻の母 サイン印」(これも区役所から言われて...でも、お話してた役人さんは、時間外だったせいか、担当の人じゃなくて、なんかいろいろ大変でした。それにしても、何回も電話かけなおした私にとっても親切な対応してくれたなぁ〜、感謝感謝。)と思いました。 後は、区役所で書けばいいやと、それ以外は、白紙で区役所にGO!でも、領事館と違って、大遅刻。4時半ごろに区役所につきました(5時にしまるっていうのにぃ〜)。急いで、わからないところの説明を受けて、書き始めました。でも、こういう時って緊張するとなかなか早く書けない。職員の人が、「5時までに書いてくれないと、受付できないよ」と、わざわざ耳打ち?してくれて、私は、焦りまくり。彼は、日本語で書かなきゃいけないし...印鑑だって押さないと、ヤバイし、ああ、時間が過ぎていくぅ〜、と私はパニックになっていました。そしたら、別の方が、「こっちでやった方が安心でしょ?」とわざわざ、受付のテーブルに引き寄せてくれたんです。ももねこ、感激!!その方は、とぉっても親切で気さくな方でした。そうされると、こんな時でも甘えてしまうももねこ...おいおい。 今年は、国勢調査で、職業の欄を書かなきゃいけないし、しかも、コード式?だから数字で書かなきゃいけなくて、“やっぱり、区役所で書いてよかった〜!”と思いました(だったら、もっと早く区役所に行け)。なんか、いろいろ注意されつつ、書いてたような気がする。婚姻届には、姓と名だけ書けばいいと思いこんでいたんだけど、彼の場合は、やっぱり、ミドルネームを書かないといけなくなって、“そんなんどこに書くの?”と職員さん、私達二人ともどもパニック状態(といっても、職員さんは、困っていた程度ですが...)。というか、私は、ヒスを起こしていたようなきがする(そんなに焦るぐらいだったら、もっと早く区役所へ行けよな〜)。 職員さんが迷ってた理由は、婚姻要件具備証明書の和訳には、彼の名前を“ファーストネーム・ミドルネーム・ファミリーネーム”とカタカナでかいてしまったんですが、婚姻届はどうやって書いていいのかという事で、かなりもめて?いました。で、けっきょく姓の欄には、ファミリーネームだけ、名の欄には、ファーストネーム ミドルネームと書きました(ぱた注:それで正しいです。氏がラストネーム、名がファーストネーム+ミドルネーム(スペースなし)で書きます)。 彼のパスポートに倣う形になったんです(つまり、婚姻要件具備証明書とは、違う形になってしまった)。なんか変な感じ(だって、“ファミリーネーム・ファーストネーム・ミドルネーム”と並んでる訳だから...当たり前か)がしましたが、私は、名前の欄に彼のファーストネームを目いっぱい書いてしまって、ミドルネームをかくスペースがなくて、“書きなおしか?”と本当に冷や汗ものでしたが、なんとか、無理やり書いてOKを貰いました。下のほうにある、彼の両親の名前も同じ感じで書いて。 でも、名前などの内容(彼の両親だけかもしれないけど)は確かめようがないようで、どうかいてもよかったような気もするけど、職員さんに言われたとおり、書きました。やっと書き終わったと思ったら、私の名字の字体について、いろいろ問題になっていて...それ以外にも、ちょこちょこ問題(証人が私の両親なのに、やっぱり、その他の欄の同意は必要じゃないんじゃないかとか)があって、やっと婚姻が成立したのは、5時10分。多分、5時10分(時間外)に婚姻が成立したのは、私達ぐらいだろう、と思ってしまいました。またしても、図々しい二人。職員の方々、私達のために頑張ってくれて、ありがとうございました(おいおい)!! それで、婚姻届受理証明書(大きくてきちんとしたもの)は、次の日ということになってしまいました(当たり前)。次の日も約束の時間(朝の10時以降ならいつでもいいということでしたが、私達は、11時に行きますといってしまった)より大幅に遅れて、それでも、笑顔で親切に対応してくれた職員さんに本当に感動しました。でかいのと小さいの各1部づつもらいました。 2000年7月6日ぐらい
クリニックの予約、日本語でも、OKでした、ありがたや〜。確か電話でいった事は、パケット3に含まれる健康診断関係の書類(たしか2枚)と、パスポート、予防接種の記録と母子手帳などを持ってきて下さいね、とのことでした。私の記憶、かなり薄れてきております。電話かける際に色々いわれると思うので、その時に確かめて下さい。まさか、こんなにぎりぎりに予約がとれるとは、思ってもみなかったです。この時期すいていたのかな〜。すいていない場合もあるとおもうので、これからの方は、予約はお早めにしたほうがいいかもです。 写真の方は、探せば、斜め写真とってくれる写真屋さんみつかるもので、約1時間でできあがりました。でも、ネガは、ない写真でした。 2000年7月7日(木) 約2週間ばかり、なぁんにも、ビザの手続きしておりませんでした、その日まで。やろうとおもえば、1ヶ月でとれるんだよね〜、まだいいよね〜、なんて思ってたら、えらい時間が過ぎておりました。結婚した次の日あたりから、東京へは行く予定だったのですが、友達と遊ぶことになり、まだいいよね、ってな感じだったのです...本当に馬鹿、うちら。 その日のうちに大使館へいった(多分、4時半...おいおい。東京についたのが、3時そこそこの時間だったんで。でも、イエローページには、5時半までやっているとかいてあったような)のですが、ビザに関係する事は、午前中にしかやっていないようで、大使館の中にもいれてもらえませんでした。いわゆる門前払いです。やってしまった、って感じ...。この日は、書類だけでも、と思ったんですが(そういうわけで、その次の日に提出する記入済みの第一段階、第二段階の書類のコピーをしそこなった。)、それもだめだったのでした。 2000年7月8日(金)
そういうわけで、次の金曜日は、書類をもらう事(I-130はアメリカから、取り寄せてあったので、それ以外のもの)からスタートし、戸籍の翻訳(前々からやっておけばいいのにやっていなかった)、婚姻届受理証明書の英訳とその公証(正確には、大使館の方に、まずこれを最初にやってね〜、といわれました)、必要書類の記入を全部やらないといけないという事で、かなり焦っていました。 少し寝坊し、大使館に着いたのは、9:30。絶対に間に合わないな、これは、と思いました。大使館が昼休みを迎えるまでの間(それ以降は、受け付けてもらえないので)、お互いギャーギャー言いながらの(ほかの人には、迷惑だったと思う。その場にいた人に謝りたい...でも、彼の話によるとみなさん書類が難しすぎる!と英語で文句をこぼしていたらしい)戦いでした。とにかく、大使館に行く前に、書けるだけの事は、なんでもいいから、書いておくと、時間をロスしなくて済みます。 婚姻届受理証明書の英訳は、私が欲張って、普通のと大きいの両方やってくださいといったので、2枚分の英訳のフォームを書かなくてはならなかった...(1枚だけでいいとおもっていたのに、2枚も書かなくてはいけないなんて!)。英訳ってフォームに記入するだけだから、簡単だと思っていたけど、なかなかくせものでした。しかも、最後の方になって、大きい方の英訳のフォーム(大使館は持っていなかった...。名古屋の領事館で、婚姻要件具備証明書の書類をもらう際にくれたんですが、それがなんなのか、その時には、気付かなかった)を発見し、「普通のと大きいのとでは内容が違うんだよね、じゃ、こっちのほうが正しいから、こっちの方に英訳してね」といわれ、時間がどんどん減って行きました...。ちなみに、婚姻受理証明書の公証にかかるお金はただです。でも、レジへいって、レシートをもらわねば、いけませんが。 確か英訳フォームに必要事項を書き込み、それとともに婚姻受理証明書(日本語)とレシートを受け付けに(パスポートもだったかな?)だして、公証してもらう形だったと思います。 えっと、戸籍(抄本の方だと思う)の英訳のフォームも大使館においてありました。「翻訳は、レポート用紙でもかまわないんですか?(フォームがあるなんて知らなかったし、もっときちんとした紙にかかなあかんのかしらん?と思ったので)」と聞いたら(多分)、すんなりくれました。ああ、これで、時間が短縮されると、心の中は感激の嵐! I-130などの記入。彼に任せちゃったんですが、英語の書類だからと言って、彼も侮っていた模様。難しいです。私も間違えまくりました。「ああ、書きなおし、もう時間がないわ!」と嘆いていたんですが、間違えたところは、マーカーでチェックされて、もう一回書いてね、という感じでした。ぱたのうちに詳しい書き方のっていたんですが、紙がなくて(いや、インク切れだったかも)、プリントアウトしてこなかったのです〜。後悔。 やっと書けた〜、と必要書類を提出。その時、大使館の人に、パケット3のお金を払うため、「レジへいって、レシートをもらってきてくれませんか」といわれ、彼がレジへ向かいました。その間、そのアメリカ人の方(多分、大使さん?領事さんかも)と二人っきり。私、英語しゃべれんがな、と思ってたところ、その方が日本語で、私たちのなり染め?を聞いてきました。結構普通にしゃべっていましたが、私が英語わからないため(といっても、その方は日本語でしゃべってくれてましたが)、必要以上にびくびくしていて、ちょっと変な感じだったかもしれません。そして、彼が戻ってきて、宣誓。え?、さっきのがもしかして、パケット3をもらうための面接?と、少々、びっくりしました。 というわけで、その日のうちにパケット3は、貰えない覚悟でいたんですが、なんと、くれました。が、その方は、これ、「パケット4も入ってるからね」、とおしゃっていましたが、パケット4とは一体。「パケット4じゃなくて、3が欲しいんだよ〜」とぼやいてた所、パケット3も入っているという事でした。一応、病院の方は、月曜日に予約していたんですが、その日のうちに貰えて本当によかったです。かなりぎりぎり型の経験談ですね〜。時間に余裕を持ってやらないといけないのに、なんか、せこいやり方なんじゃないかって思ってしまう。大使館の人にも迷惑かけたわけだし。今度こそは、余裕を持ってやりたいと思います。 そうそう、大使館には、ぱたのうちに導かれた人?を何人か見ました。私が思うに大使館の中にいる人、みんなそうじゃないかって思ってしまう。ぱたのうちが始まってから、移民ビザで大使館を訪れる人が急激に増えたんじゃないのかな、と思います。それって本当にすごい事です。ぱたさん、すごいです!大使館の人に思わず、「ここ最近移民ビザ取る人増えてませんか?」と思わず、聞きたくなってしまいましたが、聞けませんでした。 2000年7月10日(月)
土日は、めったに会えない東京の友達と楽しい日々をすごしておりました...。こんな機会じゃないと、東京いけないし...。月曜日の午前中、アメリカから送ってもらった扶養証明を確かめることと、その公証のため、また、大使館へ出向きました(本来なら必要ないのですが)。おおまかなビザ取得の流れは、私担当で、扶養証明は彼に任せたんです。が、扶養証明に不備(どうやら、フィアンセビザ用の扶養証明だったようです)の発覚!私も積極的に扶養証明について色々やっていたら、こんな事にはならなかったのかなと、後悔しています。でも、私なんかのために、扶養証明の書類を集めてくれた彼の家族には、本当に感謝しています。いま(その当時ですね)でも、私のために書類集めしてくれています。ちなみに、夫の扶養証明分は、大使館で公証してくれますが(多分本人がいるので?)、両親の分は、アメリカでしか公証してもらえません。 それから、午後は、東京ブリティッシュクリニックで健康診断。検尿がなくて、思ってたより楽でした(血液検査、胸のレントゲン、簡単な触診、診察のみ)。レントゲンまでは、日本人の看護婦さんで、診察の時は、イギリス人?のお医者様でした。というわけで、英語の出来ない私は、うまくコミュニケーション出来ませんでした。 ちなみに触診は、服を脱ぐので、抵抗があるといえば、ありましたが、相手は医者だし、どーしても嫌、というものでは、ありませんでした(よく医者に通っていたせいもありますが)。結構ささっと終わりましたし。それと、産婦人科でするような事は、ありません。予防接種は、なんと一本で済みました。水疱瘡だったと思いますが、血液検査の時、やったことがあると答えれば、打たなくてもいいみたいです。もっと、沢山打つのかな、と思っていたので、信じられませんでした。結果は、今週末に届くという事でした。 個人的な付け足し:
2000年7月11日
まず、県警に電話しました。警察証明にいるものから、県警が何時から何時までやってるか、色々聞きました(お昼休みももちろんあるようです)。たしか、2時ぐらいに県警の方へいきました。 警察証明は、ちょっと、心配になる事もありました。それは、パスポートのかっこ書きのことです。名前なんて、なるようになるとか思ってたら、なめてはいけなかった...。とりあえず、ぱたのうちの方で、移民ビザとパスポートの名前をそろえなくてはいけない、ということは、把握してたのですが、警察証明も、パスポートと同じ名前にしなくてはいけないのでは...?なんてなことは、思っても見なかったです。 警察の方にそこの部分、大丈夫ですか?と色々言われました。警察の方が心配していたのは、警察証明の名前がパスポートの名前と違って、本人と確認できず、ビザが発行されなくても、警察側で責任は、とれません、という事でした。だから、パスポートのかっこ書きを行ってから、警察証明を申し込んでみた方がいいのでは?(つまり、かっこ書きをすることによって、警察証明の名前もかわってしまう訳です)、という事だったと記憶しています。ですが、それは、恐らく、警察の方で、把握してないだけで、大使館側は、警察証明の名前とパスポートが違っていても、OKだそうです(ですよね、ぱたさん...こころの叫び←ぱた注:そうです。移民ビザの面接の時に新旧両方のパスポートを持参すればそれでいいだけですので、心配は全くいりません)。でも、よく考えたら、健康診断だって、かっこ書きのないパスポートで、やってしまった...ということは、その書類の私の名前だって、旧姓、ってことになりますよね〜。 県警内での出来事→県警の受け付けで、何のために県警を訪れたのかという紙をまず記入します。それから、入っていいですよ?なバッチをもらい、それをつけ、しばらく、係りの人(鑑識の人)を待ちます。それから、係りの人に、入り口から、ちょっとすすんだところ(ここらへんは、各県警によって違いますよね、きっと)の別室に案内してもらい、色々と説明を受けます。 その説明の最初の部分が、「警察証明の名前はパスポートの名前と同じだから、パスポート変更するんだったら、それ持ってきてね」ということで、そんなぁ〜、という感じでした。そういうわけで、警察証明申請する前に、パスポートの名前(というか彼の名字ですね)をかっこ書きしなきゃいけないんかなぁ、でも私にそんな時間あるの???という感じで、この頃は、勝手に少々パニックおこしてました。ももねこは、びびりまくり。なにせ、相手は、警察だから、ビザ手続き上で、許されても、警察がゆるしてくれなかったら、怖い〜!とか、思っていたんです、その時。 で、結局、指紋も機械でとり、この場は、一応、かっこ書きのないパスポートで作ってもらう事に。「もし、かっこ書きしたら(この警察証明を作っている間です)、県警にパスポート、もってくるんだよ、そしたら、その名前で作ってあげるから」と言われました。でも、私は、かっこ書きのないパスポートのまま、つまり、旧姓のままの警察証明でもいい、と思ったので、出来るまで、そのままにしておきました。警察証明が発行されてから、パスポート変更しちゃったら、OKかな...と思って。警察証明を作っている間にパスポートのかっこ書きしちゃったら、警察証明の名前(旧姓)とパスポートの名前(だんなの姓)が一致しないわけで、問題になるけど、作るまでの間何もしなかったら、私が警察側に対して、悪い事してない訳ですし、ただ、困るのは、大使館での事で、でも、それは、問題にはならないとわかったわけで。 で、一応、警察証明もらってから、パスポートのカッコ書きを行う事にしました。ちなみに警察の方は、信じられないくらい親切な対応で、本当にびっくり。「早めに出来ませんか?」とは、聞くつもりはなかったけど(ぱたのうちの注意を読んで)、聞く必要もないくらい親切でした。で、最後に警察証明の引き換え券?をもらい、帰りました。 2000年7月11日 OF-169を大使館にFAXで送りました。ちゃんと届くのだろうか、と心配したけれど、とりあえず、うちのFAXのディスプレイの画面には、英語でアメリカ大使館、というような事がかかれていたので、ひとまず、安心しました。 面接希望の書類には、「書類が全部そろってから出してください」とかいてあって、びびったんですが、大使館の人に聞いたら、その書類が集まる予定日をかいて出せばいいというようなことを言っていました。そういうわけで「書類が揃う予定日」も書いた方がいいかな、と思いましたが、彼曰く「これは、法律上の書類だから、せいぜい予定日までにしておこう」とのこと。やっぱり、書類が全部揃ってからが基本なんでしょうかね。面接は、8月1日に予定だしたけど、やっぱり、だめかな〜。もっと、あとに面接になっちゃうのかな。大使館の返事が届かなくて、少し緊張気味。ぱたのうちの掲示板の方で、「FAX2回だしたけど、返事が来ない」とおしゃった方いましたけど、どうなってるんでしょう〜。ももねこの心配が激増中!? 2000年7月18日
警察証明ができる予定日は、10日後だったんですが、「1週間後にできているかどうか確かめて」と言われていたので、電話で確かめたところ、出来ていました。取りに行く時に、ただ受け取ればいいのに、色々話しこんでしまいました。「パスポートの書き換えは行ってもかまいませんよね?」からはじまり(もちろんOKだった)、「ぱたのうちっていうホームページがあるんですぅ」となぜがぱたのうちを知ってもらおうと私のわけのわからない熱弁がはじまった。「移民ビザの人って最近増えてません?」「そうだね、移民ビザの人がほとんどだね。でも、移民ビザの方がフィアンセビザより取るの大変なんですよね?」とかいわれて、私は、そうじゃないんだって、色々説明しようとしたけど、うまく説明できなくて、本当にわけのわからないこと言っていて、警察の方には今思うと申し訳なかったかな。 2000年7月19日
いざ、パスポートセンターに言ってみると、旅行シーズン前のせいか、人の山。私もここに並ぶんか?とか思ったけど、案内所で聞いたところ、私は別のカウンター。ちょっと嬉しかったです♪係りの人がいろいろ指示してくれて、思ったより、簡単に事が進み、出来あがりは二日後(次の日が休日...海の日?だったので。でも、本来なら、次の日にできるみたいです)になりました。書類を出した後に、そのパスポートを受け取る控えのような紙をもらい、そこに、手続き料を切手みたいなものにかえたものを貼るスペースがあって、その切手らしきものを貼ります。その切手らしきものは、パスポートセンターの隣の郵便局(じゃないと思うけど)らしき場所でお金を払ってもらえました。取りに行くときは、切手らしきものを貼った紙を持って、順番を待ちます。もうとってきて、パスポートのそのページには、公証のようなスタンプがありました。うん、いい感じ。 2000年7月末 基本的には、彼がアメリカの帰る日に、私も一緒に渡米したいなぁ、と思い、移民ビザの準備を進めてたんです。でも、OF-169を送ってから、その返事がなかなか来ない...。彼が帰る日は、チケットの都合で、8月8日になっていました(16日に変更することもできるみたいなんだけど、キャンセル待ち...ついに今までのツケがまわってきた!、が、自業自得)。私もせっかくだから彼と一緒に行きたいと思っていたんで(ワガママなももねこ)、絶対に8月1日か、2日じゃないと困る!っていう状況だったんですね。 そんな中、ぱたのうちの相談室(現手続き・情報交換室)で、Q2ダイアルの方法を発見。捨てる神あれば、拾う神です、今思えば。「おお、これは!」と思い、さっそく電話しました。ところが、「今、調節中なので...。」ええっ!と思いましたが、めげずに「私、8月1日希望と書いてたんですけど」とねばってみました。ところが、「すみません、8月1日、2日ももう人がいっぱいでして...」といわれました。うっそぉ〜!だめじゃん...。そんな中だったけど「8日、9日はあいていますけど、どうなさいますか?予約なさいますか?」と聞かれ、もう早ければなんでもいいと思い「8日でお願いします」とお願いしました。予定通りにはいかなかったけど、いつ自分が面接ができるかわかっただけ、ホッとしました。よく考えると、彼は8日に帰るのに、私は面接だから、見送りができない〜!そんなんだったら、9日にすればよかったかなとか色々考えて。 でも、それからしばらくして、彼が帰る日、9日ってことになったので、ぎりぎり一緒に帰れます。えっと、面接日は8月8日に決まりました。そして、ラッキーな事に私の分の飛行機のチケットも、9日にとれて、二人でアメリカに行ける事になりました。でも、なんかあって、ビザがとれなかったら、一緒に帰れない、飛行機もキャンセル、重い荷物かかえて、一人で帰る...えらいこっちゃ〜、という事になるんですよね、そうなったら、どうしようとちょっと、びくびく気味。でも、ぱたのうちどうりに事を進めれば、絶対なんとかなるって信じています(と、その時の心境)。 2000年7月末 結論から言うと、書類、全部そろいました。ここまでこれたのぱたさんのおかげです。この前(必要ないのに、またしても)大使館へ行って、扶養証明の公証してきました(この公証は、だんなさまが面接に一緒に来る場合は、面接日にも出来ます。ジョイントスポンサーの分は出来ませんが)。 で、彼とその時話し合ったのがTAXリターンの公証について。なんで、TAXリターンって公証いらないんだろう、って話合っておりました。もし、いるんだったらどうしよう、みたいな感じで。それで、勝手にだした結論が、公証とは、その人が「そこに書いてある事は正しい」と宣誓した証拠?みたいなものだから、扶養証明の方で公証してもらっている以上、TAXリターンに書かれていることも正しいという見方になるわけで、扶養証明をただサポートするTAXリターンの方には、公証は必要ないのでは、ということだと解釈しました。扶養証明とTAXリターンに書かれている事が違えば、初めて、そこで罪にとわれるんだなぁ、と思ったのでした。 その際に面接に必要な書類は確かめてもらって、OK出されて安心しているところです。扶養証明も不備はどうやらなさそうでしたが、当日なにか起こったら、どうしようとちょっと不安だけど、もう大丈夫だろうと思ってるももねこ。それと、I-130を出すにあたって提出した書類(すでになんだったか忘れている...)の中で彼の職歴を書く場所ありましたよね?彼、バイトは書かなくてもいいと思って、書かなかったんですよ。で、その場で書かせてもらいました。で、わざわざ、係りの人に私達の書類を受け付けのところまで持ってきてもらいました。記入後、その方がその書類をしまうの忘れて、なくしちゃってたら、どうしようなどと思ったり。いかんいかん、私の妄想が...。 また、住民票のある市役所にいき、海外転出届けを出しました。係りの人に聞けばすぐ色々と教えてもらえ、簡単に手続きが終わります。何がいるのか記憶がないです。保険証がいるような気もするけど、いらないと思います。印鑑は、いらなかったような気がします。市役所に直接色々電話した方が確実だと思います(私もそうしました)。 郵便局口座(CITYBANKの奴です)ですが、最寄りの郵便局いって作って来ました。でも、カードが出来るのは、1ヶ月後。“それじゃ、遅いじゃん”と、もっと早くやっておけばよかったと後悔しましたが、とりあえず、手続きだけしておきました。カードの名前は、パスポートの名前に合わせるみたいです(だから旧姓)。それから、確か、保険証がいるような記憶が。事前に色々電話して郵便局にどう手続きするか確かめていました。やはり、直接郵便局の方に聞くのが一番かなぁ、と思いました。 2000年8月7日 本来であれば、名古屋空港から、アメリカへ行くところだったのが、ビザの準備をぼけぼけやっていたせいで、成田空港からじゃないと、帰れなくなりました(面接日の関係で...ううっ)。そういうわけで、この日は、変な感じでしたが、地元にいる最後の日でした。大使館(というか面接のために泊まっているホテル)から、成田までアメリカまでの荷物を運ぶのは、面倒なので、事前に成田空港に荷物は送りました。で、もし、面接に失敗したら、彼だけアメリカに帰り、私は、空港から荷物を持って地元へ一人淋しく帰らねばなりませんでした。それだけは、絶対嫌!でしたが、でも、やっぱり、日本から離れるのも、すんごく嫌だったので、どっちでもいいや!ってな気分でもありました。とにかく、この日は、涙々の日でした。 2000年8月8日
その日、私たちは、朝早く、絶対遅刻だけはしてはいかん、という事で、大使館に向かいました。予約時間が確か結構早かったので、早め早めに、という事で、大使館についたのは、大使館のオープン前(そんな言葉あるんだろうか)でした。その時には、結構人並んでいました。ちょっとばかり、びっくりしました。で、当たり前なんですが、大使館の関係者は、どんどん中はいっていくんですよね〜、うらやましいなぁ、などと思いつつ、先にどんどん中へ入って行く方たちを眺めていました。 しばらくした後、大使館の中にやっとこさ入り、まず1番最初にしたのは、番号札のゲット。それから、呼ばれるまで、緊張して待っていました。順番が来て呼ばれたら、まず、必要書類を全部渡します。そして、今度は、面接を待ちます。たしか、この間が長かったように記憶しています。で、いよいよ面接。一体どこで面接やるんだろう(というのは、別室に入っていく方もみえられたので)、と思っていたら、やはり、ぱたのうちに書いてあったように窓口でした。 まず、面接官の方に「HowなんとかかんたらToday?」と言われました。私は、ちんぷんかんぷん。“え?HowとTodayってことは、今日は何しに来たの?ってことかしらん???でも、そんなん面接に決まってるじゃん。それ以外に何か言わないかんの???”と本当にパニックしておりました。で、彼にも同じ質問をしていて、彼は、平気そうに「fine」と答えました。私は、彼に「え?なんていったの?わかんないよ〜」と訪ねたところ、ただの挨拶だった模様。私は、「How are you?」と聞かれないと(多分「how are you doing?」と聞かれたと思う...ただ「doing」とついただけで、混乱した私)、まともにわからないのです(英語力0)。すでに面接官の方は、「この子大丈夫かしら?」という顔をなさっておりました。 でも、確か、そこからは、私にも面接官の方が何を言っていたかわかったという記憶があるので、日本語で話して下さったと思います(いや、英語だったかも...もう記憶が)。で、驚いたのは、その後、面接官の方は、私ではなく、彼に色々話していたのでした(この時は、英語だったかな?)。私たちがどうやって出会ったとか...多分1、2分。それじゃ、彼が面接受けとるんじゃあ?という感じでした。なれ染めが書いてあるレポートも必要ありませんでした(というか、持っていかなかった)。 で、「ここに書いてある事は、間違いないですね?じゃ、右手をあげて、宣誓してください」といわれ、私は、“え?わかんない”という顔をしちゃったのです。ますます、面接官の方は、不安そうな顔をなさいました。なぜ私が困ったかというと、私、瞬時に、右と左が判断できない人なんです〜。どうやって右を知るか、というと、右手で鉛筆を握る真似をして、やっとこさ、こっちが右ね、とわかるんです。いきなりの話だったので、最初おぼろげに逆の方の手をあげて、面接官の方は、「右ですよ、右」ともう、完全に「この子って一体???」というような顔をされていました。多分、この時、英語で、言われたような記憶もありますが、だとすると、「英語のライトとレフトもこの子しらないんじゃあ?」とますます疑問に思われたかもしれません...。 それでもなんとか「ビザは、2時ぐらい(記憶が曖昧)に出来ているので、その時にとりに来てください」と言ってもらう事が出来ました。それで、面接は、めでたく?終了。確か、この時、レントゲン(健康診断の書類は抜かれている)を返してもらいました。その後、ビザ発行のためのお金を払うためにレジに向かい、レシートをもらいました。 その後、時間を潰す事、2、3時間。大使館周りって、特になにもないんです。お昼食べて、一体何をしよう、という状態で、大使館に近くホテルとってる人がいたら、うらやましいなぁ、なんて、思っていました。でも、大使館まわりのホテルって高そうなんです〜!ホテルオークラとか。うちらには、所詮無理。しかも、夏で暑い暑い。で、結局たどり着いたのが、大使館近くにあるちっちゃな公園。のら猫がいたんですよぉ。うちら動物ずきで、ずっと猫ちゃんを眺めておりました。 そして、時間より早めに、大使館に行って、(たしか番号札をとって...とらないかも)、移民ビザをゲット!ぱたさん、みなさん、ありがとう!!と、感無量でした。 2000年8月9日
つまり、移民ビザを取得した次の日(おそらくこんなにぎりぎりの人はいないでしょう...)、早速成田へ。今日が最後(といってもまた里帰りするんでしょうが)の日本なんだなぁ、と親や友達に電話したりして。ちょっとしみじみ思ったり...。たまたま、その日、空港に知人を出迎えるという友達がいて、見送ってもらいました。 で、出国審査というのでしょうか、日本人が海外行く時、パスポートとかにハンコ押してもらいますよね。私は、関税報告書だけでいいと思い込んでいて、出入国カード書かなかったんですよ(実際必要ないのは、I-94だけ)。で、出国審査。「日本人は、どんな場合でも、出入国カードを書く決まりになっています」と言われ(ぱた注:現在は日本人の出入国カードの記入はいらなくなったそうですよ)、戻って、書くはめに。またしても、“ぎゃー、時間が〜!”ということになりました。というのは、友達とぎりぎりまで話し込んでいたのですよ。ただ、安心したのは(安心するなよ〜)、まだ、私たちが利用する空港会社のスチュワーデスさん?が、「○○航空のなんとか便のお客様、いらっしゃいますか〜?」とまだ私たちを探していない模様だったこと。汚い字で出入国カードを書き上げると、その列に並びました。なんとか、飛行機に間に合いました。ああ、よかった。 2000年8月9日(アメリカ時間)
いよいよ移民ビザを持って入国。私は、アメリカ市民用の列のとなりの外国人用の列に並びました。で、私の方が先に入国審査となり、移民ビザとパスポートなどを見せ、まず最初に「あなたの夫は?」と聞かれ、で、後ろに並んでる彼を指さし、それから、入国審査官は、彼を呼び寄せました。で、彼は、その場で入国審査、というか、なんていうんでしょう、おかえりの手続き?なるものを受け、私たちは、別室というか、そこを通り抜けたカウンターというのでしょうか、そこに連れていかれました。それから、しばらく待たされて、彼が説明を受け、私は、書類にサインを書いただけ(他にもなんかあったかも)だと記憶しています。 で、余談なんですが、サインなんですが、アメリカで使うもの書きますよね。飛行機の中でひたすらサインの練習してたんです。もともと字が汚いんで、GCのサインぐらいは、きれいに書きたくて。で、その書類っていうのは、定規というかなんというか、ちっちゃい長方形の穴が空いたものを書類の上に置き、その中にサインを書くというものでした。で、私の名前...例えば、小鹿(いい例が思い付かないので...)だとするじゃないですか。Kojikaとサインするわけですが、私、Kを思いっきりでかく書きすぎて、jの下の部分がつぶれたサインとなってしまったのですね。皆さんは、こういうミスしないようにしてくださいね〜。したとしても、気になさらない方が多いと思うけど、一応。私、せっかくのGCのサインがぁ〜、なんて思っていたのですが、でも、サインなんて、どうでもよくて、GCが大切なんだ〜、と思ったら、サインのことなんてどうでもよくなってしまいました。それに届いたGC、サインが本当に見えないぐらいちっちゃい字で書いてあって、サインなんかにそんなにこだわらなくてよいものだと思いました。 2000年8月12日
電話帳で一番ちかくのSSNオフィスを探し、とりあえず、パスポートを持ってそのオフィスにいきました。ただ、必要事項を記入した紙とパスポートを出すだけ。それで、終わりました。でも、婚姻届受理証明書はいらなかったような記憶も...でもいるかも。 2000年8月後半 青い紙、でした。こんな紙でええんかいな、と思いつつ、嬉しかったです。 2000年10月後半 うっきゃ〜、嬉しい!!ぱたさん、みなさん、ありがと〜!!その日は、そんなに確かめなかったけど、よくよく見ると、スペルミス。でも、嬉しいものは、嬉しかったのでした。 やり残していること...在留届け。
初めてのGCをもっての里帰り。
ちなみにカナダへ行くには?
半分、記憶が失われつつあるので、その都度その都度、確かめながら、申請してくださいね(ってどえらい無責任...すいません)。 |