ケイコさんの体験談


何度も掲示板で質問を繰り返し、ぱたさんと皆さんに助けてもらってようやく移民ビザを取得する事が出来たケイコです。
ここまで無事にこれた事で喜びでいっぱいです。

私の場合、彼が移民ビザを日本で取ることにはじめ、全く賛成してくれず、難航しました。何とか説得を重ねに重ね、スケジュールを見計らって無事取得できました、以下、簡単にですが流れを書かせていただきます。

1999年10月
彼との出会い、私発ちはオハイオ州にいました。

2000年9月
私は帰国しなければならず、、遠恋のはじまり、しかし、、

2000年12月
しかし年末彼は来日、プロポーズされる。彼はこの時12月14日から1月4日まで3週間いました。以前から「結婚」を臭わせていた彼、Kビザのこともほのめかしていたので、実はこの時に結婚してしまえば(日本で移民ビザ申請)良かったのですが、それに伴う書類も何もかもまだわからず、そしてまず、両親にも今回始めて会うのに結婚するとは急過ぎる、ということで、今回はただの「プロポーズ来日」となりました。

2001年1月
彼はアメリカへ帰国、しかし彼は私に後追い渡米をすすめ、いわゆる3ヶ月ノービザ観光で、私もシカゴへ行きました。この時の二人には、2ヶ月後に結婚して、3月末から始まる英語学校に私は行けると能天気に考えていました。

2001年1月末
アメリカでぱたさんのサイト、もう一度見る。
暇だったのでとにかくよく読みました。するとやっぱりこの「ノービザ渡航で結婚」って、すっごくリスキーで保障もなく手間隙時間もお金もかかって大変な事に気づく。

彼に「こういうサイトでこんな事見つけたよ」というが、「それって当てになるの?INSでは、、、」と言われ、彼の中の知識と私の中の知識が全く違う事に気づく。アドパロも就労許可もすぐには降りない、その間、違法滞在になる可能性も!?もし急に帰りたくなっても無理??そしてテレビで偶然見たINSの長い列、、、

シカゴでメールをくれて励ましてくれた日本人奥さんはほとんど日本で申請してたしやっぱり「なぜ自分の彼だけが!?」って、辛くなりました。4日間位毎日、夜、仕事がえりの彼と話しをし、ことばにつまっては泣きそうになり、とにかく粘りました。

「あなたはこれとこれだけ準備して」と言う指示を的確にできるくらいまで、自分の方が詳しくなれるように、そしてこれは最終的には日本人である私の責任の元でやらせて欲しいと願い頼みました。最終的に彼は討論に疲れたのか、あきらめ、日本で申請することにOKを出してくれました。そんな折、彼にシンガポール出張の命令が来て、帰りの便の日本経由で日本に4日間滞在できる事になりました。

2001年4月11日
私は観光の滞在期間が切れる前に無事帰国しました。久しぶりの日本!!!しかし、のんびりしてる暇はなく、早速大使館へ行く準備、彼の来日も同日、ほぼ同時刻。

2001年4月12日(木)
朝8時10分ごろ、アメリカ大使館へ。空いてたので、具備証明、20分ほどですみました。

港区役所へ、タクシーで行く。この間840円ほどで10分ほどで着きました。11時前には婚姻届は出し終えました。コンビニのお握りを食べながら、あらかじめ持ってきた指輪を区役所内でこっそり交換しました。

2001年4月13日(金)
4月から「請願書の出頭提出は月曜日のみ」となったので、皆で観光してました。
4月14、15日も観光。そして、書類ももう一度チェック。

2001年4月16日(月)
アサイチで8時10分ごろ、全ての書類を胸に抱き、大使館に行きました。番号札を取ると11番、早いような遅いような、、、、

で待っていると、1番から呼ばれ、2番3番、その次また1番!?(書類の不備を直してから優先的にみる)「げ!?11番とは、いつになるやら!?」と思っていたら、9時45分頃呼ばれ、私たちの場合には5分ほどで「はい、終わりです」となりました。書類に不備もなく、この日最初の「完了組」でした。これは嬉しかったです!ぱたさんみなさんありがとう!

10時10分ごろ、大使館を出て、月島に行き、姉と三人でもんじゃ焼きを食べました(彼にとっては初体験)

2001年4月17日
彼は帰国、私はブリティッシュクリニックに健康診断に行きました。
結果は20日に取りに行きました。注射は2本打って、合計で41000円くらいでした。イギリス人のおじいさんに下着姿を見られたとき、そばに看護婦がいなかったのが少しいやでした。

私は日本の戸籍上は改姓しない方針にしたのでパスポートにカッコで彼の姓を入れる手続きをしました。これは2時間で出来ました。警察証明も2週間で出来ました。

2001年5月10日
彼、再び来日(今回は彼の有給を使って)

2001年5月12日
結婚披露パーティ。千葉の、とあるレストランで、楽しくおいしくやりました。

2001年5月16日
面接。またアサイチ、8時10分ごろに着き(手紙には8時45分と合ったが)10番でした。割と今回はスムーズに呼ばれて行き、10時には大使館を去っていました。今回も彼がいてくれたので、先日の結婚パーティの写真を見せつつ、面接のアメリカ人の女の人と和気あいあいみたいでした。

10時半から2時半までぽっかりあいた穴を埋めるべく、私発ちは秋葉原に行きました。
この日は雨でした。

2時半・・・来てみると、午前の人がいっぱい座って待ってました。番号札は1日共通で、10、とランプがつくと同時に、人のよさそうな日本人のおじさんが私のビザについて説明をしてくれてました。訳もついてたので帰りの電車で二人で読みつつ帰りました。表面には燦然と輝くOF155!!これが欲しくておたがいよくがんばったーーーと、ホットしました。

ぱたさん、みなさんには本当に小さな事からグチまでいっぱい教えてもらって聞いてもらって感謝の気持ちでいっぱいです。

最後に、今回の件でスムーズに行った事をまとめます。

  • 彼が日本で取ることに遂に賛成してくれた。
  • 彼が二回来れた(1回目結婚、2回目面接)面接に彼が来れたメリットは、英語でOKの、スムーズさ。
  • 私の家が成田からも虎ノ門からも約1時間。
  • 書類は1月から4月まで私がアメリカにいた段階でしつこいほどチェックした、コピーも取り、元版を作った。
  • ぱたさんのサイトをよくよく学んだ。

今、彼がなかなか納得してくれない方も、粘りつづければきっと夢が叶うと思います。お金は確かに10万くらいかかりましたが、本当に1ヶ月でとれたので、アメリカで取るストレスうんぬんを考えると良かった、日本でやれて、と思いました。

ぱたさん、このサイトのみなさん、本当にありがとうございました。
あと少しでシカゴへ行きます、これからもよろしくお願いします。
ケイコ