Shikiさんの移民ビザ取得までの道のり・年表

1994年6月
大学院留学のため、I-20が発行され、F-1ビザ(5年間有効)申請、取得。

1994年8月
初渡米、入学。夫と知り合う。

1996年夏
日本の家族に夫を紹介。

1997年初旬
「修士課程在学」として許可が下りていたI‐20を、「博士課程在学」に書き換えたものを再発行してもらう。これで、学生としては2004年まで滞在可能になる。

1997年4月〜10月
夫の研究調査に同行し日本に滞在。夫と婚約。

1997年12月
夫の学会で日本へ帰国。これを最後に移民ビザ取得までの2年間帰国しなかった。

1998年6月
F-1ビザの期限が切れる。

2000年3月
夫の就職先が決まり、結婚式の話が具体化。

2000年4月
結婚式などの準備に入る。INSに電話で問い合わせ。私の状況を説明すると、F-1(Non‐ImmigrantからImmigrantへのステータス変更をしなさいという指導を受ける。

しかしぱたのうちを見つけ、結婚後夫と帰国して移民ビザを申請する計画を立てる。

2000年6月2日
マリッジ・ライセンス申請(ミシガン州インガム郡衛生局)。3日後に取得。

2000年6月11日
ミシガン州の方式で挙式。

2000年6月19日
マリッジ・サーティフィケイトを3通申請。翌日取得。

2000年6月下旬
在デトロイト日本総領事館より、婚姻届に必要な書類一式、転居その他の変更届用紙、「外国人との婚姻による氏の変更届」用紙を郵送してもらう。

2000年7月上旬
INS関係の書類の取り寄せ(INSのウェブサイトから)。

2000年7月29日
夫の新しい就職先であるオハイオ州シンシナティへ引越し。私の大学院には籍を置いたまま。

2000年8月半ば
カナダへ新婚旅行

2000年9月初旬
ぱたのうちから関連情報をプリントアウトし熟読。相談室(掲示板)へも毎日通う。

2000年9月7日
婚姻届提出その他のために必要な夫の出生証明書を申請(NY州NY市衛生局出生記録係)。
日本の家族に婚姻届提出用の戸籍謄本(つまり結婚前のもの)を郵送してもらうよう依頼。

2000年9月18日
11日発行の戸籍謄本が日本から届く。

2000年9月下旬
冬に日本の親戚を集めて披露宴をすることが正式に決まり、帰国便の予約をする。

2000年10月2日
夫の出生証明書がNYから届く(しっかり3週間かかった)。

2000年10月5日
婚姻届を日本の本籍地区役所に(普通郵便で)郵送。

2000年10月16日
区役所に家族が確認したところ、新戸籍は出来あがっているとのことだった。

2000年10月17日
新規パスポートを申請するため、在デトロイト総領事館に「10年用旅券申請用紙」と「非ヘボン式・別名併記等申出書用紙」各1枚ずつを郵送で請求。同時に、日本の家族に新戸籍を送ってもらうよう頼む。

2000年10月25日
総領事館から請求した用紙が郵送されてくる。

2000年11月2日
日本から新戸籍が届く。

2000年11月6日
イミグレーション用およびパスポート用の写真撮影(AAAにて1セット2枚で6ドル、2セット目以降は5ドル)

2000年11月7日
郵便で新規パスポートを申請。

2000年11月15日
パスポート申請書が受領されたかどうかを確認のため、領事館に電話。すでに受理され、28日に出来あがるので、それ以降に取りにきてくださいとのこと。

2000年11月27日
東京BCに健康診断の予約を入れる(国際電話)。

2000年11月30日
予防接種(MMR)を居住市の保健所で受け、証明をもらう。

2000年12月4日
デトロイト領事館へパスポート受け取りに日帰り旅行。ちなみに、名前は「Yamada (Smith), Hanako」の記載にしてもらい、署名はHanako Y. Smithにした。

2000年12月7日
シンシナティ空港から帰国便で夫と出発。

2000年12月8日
日本着。

2000年12月11日
大使館に出頭する。夫の日本滞在スケジュールを考えるとこの日しかない。

I-130提出−パケット3取得−健康診断−警察証明申請の1日

8:40am
大使館着 番号札は9番。まず夫の写真を大使館内にある証明写真撮影機(駅前などにあるのと同じ物、4ポーズ1,000円)で撮影。そうするうちにたちまち順番が来たので、すぐに揃えてきた提出物を出す。

9:00
窓口に呼ばれ、大変優しい中年日本人男性の職員の方が提出物を1つずつ確認してくださる。必要のなかった書類や、夫の出生証明書、マリッジ・サーティフィケイトが返却される。別の窓口で手数料を払うように言われる。手数料はすべて銀行のCashier's Checkという形で購入してあり、これが基本的なMoney Orderではなかったためしばらく待たされる。結局この形でOKとされ、受け取ってもらう。そのレシートを持って窓口で提出。

9:30ころ
また窓口に呼ばれ、私にはOF−230 Part1の用紙、夫には私との出会いなどのエッセーを書く白い紙を渡され、書きこんで提出。書きこみにしばらくかかる。同じ職員の方が窓口で別の方をお世話されている時に目でサインを送って、書き終えたことを理解してもらい、順番の合間にササッと提出する。これらを提出する際に、私たちの関係を示す手紙、写真などの提出も求められたので、過去にやり取りしたバレンタインデーのカードや絵葉書、2人の名義になっている銀行口座の明細書を提出。結婚式の写真を持っていくのは忘れてしまった。

9:50ころ
Part1の、16歳以降に住んだ住所をすべて書く部分で、間違いを指摘される。細かいなー、おじさん。生年月日と、ある居住地に住んだ年数を計算すると、16歳の時の住所が入っていないとか何とか…。さっと書き直してすぐに提出。

10:15ころ
窓口に呼ばれ、Packet 3をゲット。扶養証明の公証窓口へ直行。待っているのは自分たちを含めて3組。

10:40ころ
すべてが終了し、離館。
お昼は母と母の勤め先(渋谷)で落ち合い、3人で食事。

1:00pm
渋谷を出る。

2:00
恵比寿の東京BCで健康診断。

3:30ころ
クリニックを出る。恵比寿駅から、地下鉄(日比谷線)で4つ目の霞ヶ関へ。

4:00前後
警察証明書申請(警察庁)。

2000年12月15日
健康診断の結果が出来ているかどうかを電話で確認。できていた。

2000年12月16日
健康診断の結果受け取り。レントゲン写真の入れ物は、画材屋さんに行って、ボール紙でできた円筒形容器(図画を丸めて入れるものでしょう)を300円で購入。OF-169(面接リクエスト用紙)をファックス。
「AAs I will be visiting my family in Hiroshima, I=d like my interview scheduled as late as possible. 1/10, 1/9, or 1/16 would be most convenient for me. Thank you very much」と余白に書く。希望した日程は、1月19日の渡米日により近く、しかし面接・ビザ発行に何か問題があってもう1度面接日を設定しなければいけない場合のことを考えて1週間は余裕をみたもの。

2000年12月19日
広島へ帰省

2000年12月22日
東京の家族宅(大使館に提出した自宅住所)にAppointment Letter(21日付)が届く。面接日は第一希望の1月10日、8時45分に決定。

2000年12月23日
親戚を集めて披露宴

2001年1月4日
夫がアメリカへ戻る

2001年1月8日
上京

2001年1月9日
警察庁で無犯罪証明受け取り。この時は申請時と違って、受付のところで待たされ、申請したときにお世話になった同じお兄さんができあがったものを受付まで持ってきてくれて、受け取りのサインをしておしまい。「中身はどうでしたでしょうか」と聞くと、「身に覚えがなければ大丈夫です」と言われた。また開封したり、紛失したりしては絶対にいけない、再度発行することは出来ませんということでした。

2001年1月10日
面接日。

面接日の様子

8:40am
大使館に到着。番号札は15番。

8:45
呼ばれて窓口へ。今回担当していただいた職員の方は、流暢な日本語を話す、小柄なアメリカ人女性(日系の方の様に見えました)。やり取りは英語。まず揃えてきた書類を提出。そして会計窓口で手数料の支払い。ここでもまた同じ会計担当の女性が私の準備してきたCashier's Checkを見て???の顔。「申請の際も同じ形のものを持ってきて受理していただいたんですが」と言うと、基本的にはMoney Orderしか受けつけていないのでと一応チクリと言われました。が、受理はしてくれました。

9:45
呼ばれて、別の担当者(日本人の女性職員)が提出した書類を1つずつ確認しながら大きな指摘。

私の夫は1999年度の収入(つまり、1999年度のタックスリターンをみてわかる収入)は、年の最初の半分は学生、後半は非常勤講師として働いていたため、最低基準に足りていませんでした。

しかし、2000年夏にきちんとした職業(Permanent position)に就いて収入も大幅に増え、そのポジションに採用された時のAppointment Letter(職場やボスの名前、日付、契約する年収などが記載されている採用通知の手紙)、そこに採用されてからの(つまり収入が大幅に増えてからの)給料明細3ヶ月分、それにIRAの形で持っている資産は夫の死亡時に私を受け取り人としてある証明も一緒に提出して扶養証明の公証もしてもらったし、昔の話ですが夫がINSに電話をした時にも「新しい職場での収入を証明できれば問題ないはずだ」ということを言われていたので、あまり気にしていなかったのです。

そこを改めて指摘されたのです。その職員の方は、「形式上(規則上)は申請時から遡って3年分のタックスリターンで扶養できるかどうかの証明をすることになっているので、それらの書類から言うと収入の不足分の5倍(私たちの場合は約5,000ドル分)を別に証明しなければいけないことになっています」という、まさにぱたさんの相談室では常識となっているセリフを告げられてしまったのです。

その方はとってもsoft-spokenで、全然怖くなかったのですが、以上のように私の状況を説明すると、夫のその新しい仕事の収入などを「領事が見て、それでオーケーが出る場合もあるし、ダメな場合もある。ダメな場合は、また銀行残高や株などの資産をもっていることを証明できる書類を揃えてまたここに戻ってきていただくことになってしまいます」と、とても気の毒そうにおっしゃるのでした。

私は、色々事前に勉強して「もしもうまくいかないとしたら、この部分くらいかな」という心の準備はあったので、「あちゃー、本当にそこの部分を問題にされちゃった」「やっぱり一応面接を渡米前3日前じゃなく、1週間前に設定して良かった」と1人で納得したのでした。最悪の場合、親に頼んで預貯金の残高を寄せ集めてもらって、それをアメリカの夫名義の銀行口座に送金して、証明を出してもらって送ってもらうしかない。これが1週間以内にできるかな〜なんて、今考えるとちょっと無理のような話だったかもしれないのですが、まあ命を落としたわけじゃなし、意外と冷静に対応しました。

でもやっぱり待っている間は気が気じゃありませんでした。それから、その時に自分の名前、生年月日、 出生場所、両親の名前、アメリカ国内で落ちつく場所の住所を書く用紙を渡されました(ここで書いたことがすべて、そのまま出来あがってきたビザにタイプされていました)。

10:15ころ
同じ日本人女性の職員の方に呼ばれ、すべての書類はチェックが入っていて大丈夫ですが、例の扶養証明の件についてのみ、面接時に何か言われる可能性はありますので、と「優しい忠告」をされました。それから、すべての面接は10番の窓口(一番右端)で行われるということで、すぐに呼ばれるはずですと言われました。

そして白人女性の副領事(Vice Consul Colleen Stack)との面接。最初に、これからの質疑応答の内容は真実だということの宣誓と署名。質問は「あなたはご主人とどこで出会いましたか」「今ご主人は日本にいますか」などの簡単なもの。

そして、収入の問題。手元にある色々な書類をペラペラとめくりながら、収入が足りない、ということを言われたので、「そのことを先ほども指摘されたけれども、夫は新しい職場である○○大学の××学部で助教授として働き始め、ここでは証明できなかった収入は3倍になっているし、私も現在はまだ△△大学院の博士過程に所属しているけれども、このビザを発行していただいて永住権を取得したら、パートタイムで働く意思があります。また、この点を夫がINSの職員に直接電話で問い合わせた際に、新しい仕事に就いて収入が増えるのなら大丈夫だろうと言われたので心配していませんでした」と説明しました。

そうすると、それなら良いでしょう、ビザを発行します。という返事でした。発行されるということになったので良かったのですが、後々考えると、公証してもらった書類の中に、夫の新しい仕事とその収入を証明するもの(年収が書かれた採用通知や月給の明細)、また私自身が今大学院に所属していて、万が一スポンサーである夫に何かあって自立してやっていく必要が出てきた場合に、そのために必要な教育は一応受けているというようなことを表すものはいくらでもあったのに、どうしてその部分を私が口頭で繰り返すまでは問題で、私がそれを言うと「それなら良いでしょう」となったのか、ちょっと疑問です。それらの資料はすべて手元にあるのに問題にされ、ちゃんとそれらに目を通してわかっていてさらに突っ込まれているのか、それともきちんと見てくれていないだけなのかは判りませんでした。

最終的にはすべては「領事の裁量」で決まる、ということは明らかで、面接時に自分と夫が2人でアメリカで生きていくのに問題ないかということを上手にアピールできるかどうかにかかっている、そういうことかなと思います。

10:30
手数料支払い。離館。
お昼はまた渋谷でぶらぶらと暇つぶし。

2:20pm
大使館へ再び到着。門のところでは、パスポートを提出したままになっていて身分証明証がないので困ったと思ったら、警備の人に「ビザの受け取りですか?」と聞かれ、パスポートがなくても通してくれた。すでに10人くらい人が並んで待っている。しかし、ビザの配布は朝の番号札の順。最初は1つだけ窓口が開いたが、この日は割と混雑していて、番号は全部で70番台くらいまであったので、途中から35番あたり以降を2つ目の窓口で処理し始めた。というわけで、35番直前だった人は可愛そうにその番号以降の人より後回しになってしまいました。やはり、朝できるだけ早く行けば後が楽チンということみたいです。

2:35
ビザ受け取り。担当の方は一番最初に申請のときにお世話になった日本人男性の方でした。ビザに記載されている内容を確認して、間違いがあったらこの場で言って来てくださいと言われました。間違いのようなものはなく、1つだけ「職業」がHousewifeとなっているのに驚いた程度でした。

2001年1月19日
再渡米。ミネアポリス空港(MSP)の別室で入国審査は、ベテランのオフィサーにより和やかな雰囲気のうち進められる。指紋の取り方で「人差し指の正しい位置が枠内に収まっていないので」と何度も取り直し(指は真っ黒)。そしてついに永住権取得の証明となる仮のスタンプがパスポートに押される。万歳!と思ったら、オフィサー、このスタンプの有効期限、間違ってますよ。今日は2001年1月19日。このスタンプは1年間、永住権は2年間有効ですと言いながら、2001年、2002年って書いていくのです。

勇気を出して指摘すると、「オイオイ、僕はまだ2000年に生きてたナ、ハハハ」って自分で突っ込み入れるな!ぱたさんのところでしっかり勉強して知識を積んでいたので、間違いにも気がついたし、それを指摘する勇気も出たのです。本当にありがとうございました。

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