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mittenさんの体験談 ぱたさん、本当にありがとうございました。 1998年9月 1999年5月 1999年6月 1999年8月 1999年9月 1999年9月 1999年10月 1999年11月21日 1999年12月 この頃やっとぱたさんのサイトに巡り会う。 2000年1月 2000年2月3月4月 2000年5月 2000年7月 2000年秋 2000年11月9日 2000年11月30日 2000年12月13日 2000年12月14日 2000年12月21日 2000年12月22日 呼ばれると窓口ですべての書類を提出する。係りの人が全部チェックされた後、主人が出会いのエッセイを書く紙を渡され、エッセイを書いて精算所で260ドルを払ってそのレシートを持ってまたここに戻って来て下さいと言われる。次に窓口へ戻るとパッケージ3が用意されていて、係りの方がそれに付いて詳しく説明してくださる。 すべて終わって時計を見るとまだ9時半でした。あんまりにも早く終わったので、本当に何にも忘れてないよね?と確認して、大使館を出る。 2000年12月26日 2000年12月28日 2001年1月3日 2001年1月9日 2001年1月15日 2001年1月16日 ぱたさんのサイトで知り合ったまいさんが到着。まいさんは婚約者ビザの申請であるが、同じ日の面接であった。 番号を呼ばれ持って来た書類すべてを提出。65ドル払ってそのレシートを持って次呼ばれるまで待って下さいと言われる。書類を提出した窓口とは反対側にある精算所へ行き65ドルを円で払う。 少し待つとまた呼ばれて、今度はまた違う係りの方に私の書類を調べながら、ジョイントスポンサーである彼のお母さまがアメリカ人であるという証明になるものはありますか?と聞かれ、えっ!そんなの持って来てない!どうしようと思いながら“ありません”と答えた。その後すぐふとそう言えば彼の出生証明があるではないか!と思い出し、“彼の出生証明ならありますが、それでいいでしょうか?”と聞くと“いいですよ。見せて下さい。これいただいてもよろしいですか?”と聞かれ、“はい。もちろん。”ということで、ほっと胸をなで下ろす。危ない危ない。ジョイントスポンサーの身分証明は忘れずに! その後、10番の窓口で面接ですので、呼ばれるまで待って下さいと言われる。しばらく待つと呼ばれ、アメリカ人の女の方から窓越しに面接を受ける。(それまで、他の係りの方がたはすべて日本人だろうと思える方がたでした。)彼の職業、彼とジョイントスポンサーの方との続き柄、なぜビザ免除がきれた後しばらくアメリカに居たのか、免除の手紙はいつ頃申請したのか、J-1ビザを持っていたこと、日本に帰って来てからどれくらいになるか、彼はあなたが日本に帰って来てから日本に来たか、などについて質問される。 それぞれの質問についてきちんと説明するとわかって下さって、じゃあここにサインして下さいと言われサインをすると、2時半にビザが出来ますから、110ドルを払ってそのレシートを持ってその時間にまた戻って来てくださいと言われる。この時、戸籍謄本、その訳、主人の出生証明、結婚証明などを返して下さいました。面接は私は英語でしたが、日本語でも大丈夫だそうです。 初めに窓口で呼ばれてからここまでで約1時間程、大使館を出たのは9時半過ぎでした。一緒の日の面接だったまいさんもビザがおりることが確実になり、2人でほっとしました。その後、2時半まで、まいさんとまいさんのお母さまと一緒に過ごす。 2時半、大使館に戻るとまた朝に取っていた番号を呼ばれ、先程のレシートを渡すと、ビザを渡してくださる。ビザはA4程のいろんな色の印刷された紙に私の写真が貼ってあり、名前等がプリントされてある。ビザは後ろのガムテープでぐるっと巻かれて封されたオレンジの封筒にホッチキスで留めてある様子。係りの方が書類のことについて説明をして下さって、終了!無事にビザ取れてよかった!感謝感謝です! 2001年1月30日 部屋というよりは衝立が置いてあるだけのシンプルな場所に通され、少し待つと呼ばれました。係りの方はとてもおもしろく気さくで私の行っていた大学のシンボルの話などで盛り上がったりして、緊張も何処へやらと言う感じでした。サインをして右人指し指の指紋を取られて、パスポートに1年間有効のグリーンカードの代わりになるスタンプを押されました。すぐ働くことができること、今は混んでいるので6ヶ月位カードが届くまでにはかかるだろうということ、もし1年以内にカードが届かなかった場合、必ずINSに行ってスタンプを押してもらってから国を出ることなどを細かく説明して下さいました。 お礼を言って、晴れて入国!空港で彼の姿が見えた時は、ほっとしてうれしくて仕方がありませんでした。本当にありがとうございました。 2001年3月20日 |