mittenさんの体験談

ぱたさん、本当にありがとうございました。
私の体験談を送ります。出来るだけ細かく書いてみました。少しでもみなさんのお役に立てたらと思います。

1998年9月
某大学在籍中に学生ビザが切れ、卒業するのにあと一年しかかからないと思い、日本で学生ビザを1年分だけ更新しました。プラクティカルトレーニングも入れれば2年だったので、2年更新していればよかったのですが、、プラクティカルトレーニングは学生ビザがあっての上であるということを知らなかったのです。

1999年5月
プラクティカルトレーニングの許可証を申請

1999年6月
某大学卒業

1999年8月
祖父の容態が悪化し、日本に帰国(本当はプラクティカルトレーニングの許可証を申請している間はアメリカ合衆国を出てはいけない。)

1999年9月
学生ビザが切れるまでにプラクティカルトレーニングの許可証が届かず、彼と相談して前から予定していた結婚を早めようと決める。彼が弁護士に電話をしてきいたところ、まずアメリカに戻ってくることが第一であり、戻ってきたらなんとかなるからと聞き、ビザ免除でシカゴを経由してアメリカ合衆国に入国する。入国審査では、なにも問題なく通してくれました。(この手段はお勧めしません。強制送還される場合もあるそうです。)

1999年9月
ミッドウエストよりウエストコーストへと大陸横断の引っ越しをする。

1999年10月
弁護士を雇って移民ビザの申請に向けて準備を進める。

1999年11月21日
結婚

1999年12月
さあ書類も揃っていよいよ申請しようと最終段階の打ち合わせの日、弁護士が私の持って来ていた古いパスポートを見て、“えっこれじゃあ申請出来ないよ。”と9年前のJ-1ビザを指して2年間ルールのスタンプが押してあるからと説明した時はなんにも言っていなかったのに、、。弁護士を選ぶ時は慎重に。弁護士を雇わなくて良いなら、その方がいいです。ぱたさんのサイトとアドバイスがあれば、よっぽどの事がなければ全部自分で出来るはずです。

この頃やっとぱたさんのサイトに巡り会う。

2000年1月
日本に帰って残りの7ヶ月を過ごしてそれから申請した方がよいと進められたが、まず9年前に留学していた留学機関と連絡をとる。スタンプが押してあるのはおかしい、押されていないはずだなどと言う返事が帰ってくる。弁護士はそれなら2年間ルールを免除してもらう手紙を書いてもらえばいいことだと言うので、任せる。

2000年2月3月4月
あんまりに待っても返事が来ないので、今度は日本大使館を通して申請した方が早いかもしれないということでその方向からも申請する。免除の手紙はいつ連絡してもまだ来ていないと言われる。連絡してもああ今日そう言えば、連絡がありました。お電話しようと思っていた所ですである。

2000年5月
6ヶ月以上ビザ免除が切れた後にアメリカにいると今度は3年アメリカに戻って来れないとか、ビザが申請出来ないなどということになるので、やむなく日本に帰国。秋頃には遅くとも免除の手紙が届くであろうと思い、冬服は持たずに帰る。

2000年7月
主人が初めて日本にやってくる。1週間であったが、とっても楽しいひとときを送る。

2000年秋
弁護士から、免除の手紙が届くより先に残りの7ヶ月が過ぎるだろうと言われ、かなりのショックを受ける。その後やっとあきらめがつき、日本での生活を心からエンジョイ出来るようになる。

2000年11月9日
アメリカ大使館に移民ビザの申請書類を送っていただくようにファックスする。1週間も経たないうちに届く。

2000年11月30日
大阪府警に警察証明の申請に行く。

2000年12月13日
2年間ルールの残りの7ヶ月が終わる。

2000年12月14日
大阪府警まで警察証明を受け取りに行く。

2000年12月21日
主人を成田空港に迎えに行き、東急赤坂ホテルに泊まる。

2000年12月22日
朝8時15分位に大使館に到着。すでに5番目であった。

呼ばれると窓口ですべての書類を提出する。係りの人が全部チェックされた後、主人が出会いのエッセイを書く紙を渡され、エッセイを書いて精算所で260ドルを払ってそのレシートを持ってまたここに戻って来て下さいと言われる。次に窓口へ戻るとパッケージ3が用意されていて、係りの方がそれに付いて詳しく説明してくださる。

すべて終わって時計を見るとまだ9時半でした。あんまりにも早く終わったので、本当に何にも忘れてないよね?と確認して、大使館を出る。

2000年12月26日
神戸海星病院へ健康診断に行く。アメリカで予防注射は全部済ませていたので、お医者様による検診、視力検査、血液検査、尿検査、レントゲン撮影などを済ませる。約2時間くらいでした。値段は、3万5千円くらいだったと思います。ここのお医者様はアメリカで健康診断をした時よりも随分慎重だなと感じる。

2000年12月28日
大使館へ面接のリクエストのファックスを送る。

2001年1月3日
主人がアメリカに帰国。見送りから帰って来たら、大使館から手紙が来ていて16日に面接と決定。

2001年1月9日
神戸海星病院へ健康診断の結果を取りに行く。

2001年1月15日
東京へ。

2001年1月16日
7時50分位に大使館に着く。1番である。寒い中十分ほど待って、中へ入る。8時にならないと入れてくれない。1番の番号札を取って待つ。

ぱたさんのサイトで知り合ったまいさんが到着。まいさんは婚約者ビザの申請であるが、同じ日の面接であった。

番号を呼ばれ持って来た書類すべてを提出。65ドル払ってそのレシートを持って次呼ばれるまで待って下さいと言われる。書類を提出した窓口とは反対側にある精算所へ行き65ドルを円で払う。

少し待つとまた呼ばれて、今度はまた違う係りの方に私の書類を調べながら、ジョイントスポンサーである彼のお母さまがアメリカ人であるという証明になるものはありますか?と聞かれ、えっ!そんなの持って来てない!どうしようと思いながら“ありません”と答えた。その後すぐふとそう言えば彼の出生証明があるではないか!と思い出し、“彼の出生証明ならありますが、それでいいでしょうか?”と聞くと“いいですよ。見せて下さい。これいただいてもよろしいですか?”と聞かれ、“はい。もちろん。”ということで、ほっと胸をなで下ろす。危ない危ない。ジョイントスポンサーの身分証明は忘れずに!

その後、10番の窓口で面接ですので、呼ばれるまで待って下さいと言われる。しばらく待つと呼ばれ、アメリカ人の女の方から窓越しに面接を受ける。(それまで、他の係りの方がたはすべて日本人だろうと思える方がたでした。)彼の職業、彼とジョイントスポンサーの方との続き柄、なぜビザ免除がきれた後しばらくアメリカに居たのか、免除の手紙はいつ頃申請したのか、J-1ビザを持っていたこと、日本に帰って来てからどれくらいになるか、彼はあなたが日本に帰って来てから日本に来たか、などについて質問される。

それぞれの質問についてきちんと説明するとわかって下さって、じゃあここにサインして下さいと言われサインをすると、2時半にビザが出来ますから、110ドルを払ってそのレシートを持ってその時間にまた戻って来てくださいと言われる。この時、戸籍謄本、その訳、主人の出生証明、結婚証明などを返して下さいました。面接は私は英語でしたが、日本語でも大丈夫だそうです。

初めに窓口で呼ばれてからここまでで約1時間程、大使館を出たのは9時半過ぎでした。一緒の日の面接だったまいさんもビザがおりることが確実になり、2人でほっとしました。その後、2時半まで、まいさんとまいさんのお母さまと一緒に過ごす。

2時半、大使館に戻るとまた朝に取っていた番号を呼ばれ、先程のレシートを渡すと、ビザを渡してくださる。ビザはA4程のいろんな色の印刷された紙に私の写真が貼ってあり、名前等がプリントされてある。ビザは後ろのガムテープでぐるっと巻かれて封されたオレンジの封筒にホッチキスで留めてある様子。係りの方が書類のことについて説明をして下さって、終了!無事にビザ取れてよかった!感謝感謝です!

2001年1月30日
バンクーバーより入国。バンク−バー経由でアメリカに行く場合はここで入国審査をするようです。同じフライトからアメリカに入国する人は以外に少なく案外空いていました。

部屋というよりは衝立が置いてあるだけのシンプルな場所に通され、少し待つと呼ばれました。係りの方はとてもおもしろく気さくで私の行っていた大学のシンボルの話などで盛り上がったりして、緊張も何処へやらと言う感じでした。サインをして右人指し指の指紋を取られて、パスポートに1年間有効のグリーンカードの代わりになるスタンプを押されました。すぐ働くことができること、今は混んでいるので6ヶ月位カードが届くまでにはかかるだろうということ、もし1年以内にカードが届かなかった場合、必ずINSに行ってスタンプを押してもらってから国を出ることなどを細かく説明して下さいました。

お礼を言って、晴れて入国!空港で彼の姿が見えた時は、ほっとしてうれしくて仕方がありませんでした。本当にありがとうございました。

2001年3月20日
永住権のカードが届きました!