Beagleさんの体験談

先日、無事ロサンゼルスからパスポートに1年有効のスタンプを押してもらって入国できましたので、ここに御礼と共にちょっとした体験談もどきのものを送らせていただきます。
本当にぱたさんのHPのお陰でこれといったトラブルや心配をせず恐ろしいほど?スムースにいきました。本当になんと御礼を申し上げていいのやら・・・毎日本当に多くの人を励まされ、アドバイスなさっているぱたさんには感謝してもしきれません。私の場合、特に何も問題がなかった為、この体験談を送らさせていただいても、何のお役にも立てないかもしれませんが、もし、私と同じような境遇の方がいらっしゃったり、今悩んでいらっしゃる方に「こんなにもスムーズに行くんだ」ということを知っていただけたら・・・と思い、ご迷惑かもしれませんが、ちょっとした(といってもかなりながくなってしまいました)体験談を送らせていただきます。

2000年1月
カリフォルニア州立大、大学院を卒業後、学生ビザの延長の1年間有効のプラクティカルトレーニングビザで地元ロサンゼルス郊外のコンピューター会社に就職。

2000年5月28日
こっちの短大時代に出会った旦那様(アメリカ人)と日本で遠距離してた月日も含め7年目に入った今年、晴れて約束通り?学生を無事終えた今年、教会で結婚式を挙げる。

2000年6月
既に数ヶ月前ぱたさんのHPにはお邪じゃましていたものの、勉強不足だった為日本で移民ビザを取るという手段を見落としていた。お陰でここロサンゼルスから申請する方法のみまっしぐらで、書類を準備し始める。・・・が、肝心なマリッジサーティフィケートがなかなか手元に届かず、焦る一方。

2000年7月中旬
首を長ーくして待ってたマリッジサーティフィケートがようやく届く。ここからが不幸の始まり・・・。

2000年7月下旬
何度もチェックし、完璧に書き込んだと自負していた I-130、 ステータス変更の書類I-485など必要な書類をカリフォルニアのINSサービスセンターに送付、同時に今年11月に日本での結婚披露宴を控えていた為、その時の再入国許可と、今使用中の労働許可が来年1月に切れるので再び労働許可を申請・送付。

この時、I-130はI-130のみ他の補助書類と一緒に一つの封筒に、そして残りの書類 I-485、I-131、I-765 は別の封筒に入れて、高いお金を出して?両方とも書留め郵便で送る。一週間後にINSが2つの封筒を受け取ったという「書留め」のレシートを受け取り「なんで受け取るだけに一週間もかかるのよー」と少し腹立たしさを感じる。

2000年8月10日頃
私より1ヶ月先に結婚していた韓国人の友達から嫌なニュースを聞く。彼女も私と全く同じ境遇に居た為、情報をシェアしていたのだが、何と数日前にINSから「結婚(family-base)を理由にGCの申請を行う場合、カリフォルニアのINSサービスセンター (Laguna Niguel にある)ではなく、ロサンゼルスにある方のローカルオフィスに送付しなければいけない・・・」と言う手紙が添付され1ヶ月前に送った全ての書類が彼女の元に帰ってきた!!とのこと(あんなに隅々まで読んで注意を払っていたINSのHPにそんなことかいてなかったよー・・・)と半べそをかきながら職場から毎日必死の思いでINSに問い合わせの電話を入れるがいつかけても話し中。

旦那様にも同様、何十回もトライしてもらい、そのかいあってようやく話しの分かりそうな人につながり、カリフォルニアのINSサービスセンターではEmployment-base でGCを申請する人のみ、か、I-130の書類のみを受け付けているということが判明。ガガーン!!!ここで、私が先月書類を送った際に2つ別々の封筒 (I-130 only と I-485 & others) に入れて送付した事を思い出す。何か嫌な予感・・・

2000年8月20日
早く送った二つの封筒が帰ってこないものかと、待っていた頃カリフォルニアのINSサービスセンターから「あなたの I-130を受け取りました」なる、"Notice of Action" を8月18日付けで受け取る。そして、「この種のプロセスには30日かかるが、それ以上経っても連絡がない場合、以下の番号に問い合わせるように」との旨が記されていました。念の為銀行に問い合わせたら申請料$110が引き落とされていました。とりあえずこの Received Date 8/4 から30日数えた日をカレンダーにマークする。(あれ?なんだー、この住所で良かったんじゃーん・・・)と勝手に自己満足してました・・・この時はまだ何も知らずに。

2000年8月24日
マニラ封筒に入ったでっかいパッケージがINSから届く。中には私が1ヶ月前に送付したI-485、I-131、I-765の書類が一つに綴じられてその上に Your I-485 and other attached paperwork is returned to you for the following reason(s):.... Missing item: Copy of I-797 (Approval Notice) of your immigrant petition (I-130) と書いた手紙を発見!(Approve Noteice なんてまだあるわけないじゃん!つい数日前にレシートを受け取ったばっかだもん。まだこれから1ヶ月かかるよ・・・)

要するにもし、私が全ての書類をまとめて一つの封筒に入れていれば私の友達のように「別のINSオフィスに送らなければ駄目ですよ」といった紙が付いて戻ってきてまたそのまま正しい住所に送ればよかったのだけど、私はばかげたことに別々の封筒に入れてしまったが為に、片一方(I-130)は受理され、もう一つの方はI-130がアプルーブされるまではプロセスを始めることが出来ません・・・といった理由で、却下されてしまったのです。

毎日どうしようどうしようと悩む。結局は旦那様に「I-130がアプルーブされるまで他の書類の申請は何も出来ないからとりあえず待とう」と言い慰められ、毎日沈んだ気持ちですごす。こんな頃から頻繁にぱたさんのHPにお邪魔しはじめ、さらに I-131 (再入国許可)を受け取るのに最低一ヶ月かかるかもしれないというこを知る。どうしても11月中旬には披露宴の為に日本に帰らなければいけないので、I-131を遅くても10月に入る前までには提出しなきゃいけないんだ・・・とまた暗い気持ちに。

2000年9月
INSから全く音沙汰なし。こんなころからぱたさんに色々と質問をし、やっぱり再入国許可が取れるのは、I-485 pendingになってからなので移民ビザを日本で取ったら?とアドバイスをいただく。旦那様にそういう手もあるとのこと・・・と話してみるものの、私自身仕事をしているため日本に1ヶ月以上はいられるかわからず、また私の実家は地方(実家は岐阜)にあるため、あまり乗り気がしない。

2000年10月
結局タイムオーバー。今仮にINSから I-130 がアプルーブされて、I-485と他の書類をすぐに送付したとしても、この調子じゃ再入国許可もすぐおりないだろう、とのことでアメリカでの申請に見切りを付ける。その時点で、もう一度じっくりぱたさんのHPを隅々まで読んで、最短コースを参考に11月20日(月)に直接大使館に旦那様と出向いて I-130を申請できるよう、その日に合わせて日本行きの航空券を購入。11月18日(土)ロス発、19日(日)夜、東京着。帰りのチケットは万が一を考えて日にちを変更できるチケットとし、一応私の分は12月16日(土)帰国にする。

2000年10月下旬
7月の時点で全ての補助書類(扶養証明などなど)は完璧に揃えていたはずなので、今一度何も間違いがないか旦那様と一緒に何度もチェック。彼のバースサーティフィケートおよびマリッジサーティフィケートも数部余分に取り寄せ、他の書類も数部余分のコピーを取る。念には念を。

ぱたさんのHPには日本で移民ビザを取ると決めて以来、毎日欠かさず掲示板を拝見させていただき、自分と同じ境遇にいる方や必要な情報を全て吸収。ここで、もし住民票が抜いてあると(私はアメリカに渡る際に去年海外転出届けを出していた)警察証明書が東京の警察庁で取得出来るとのことで早速母親に「除票」なるものを母子手帳(← 健康診断の際の予防接種で役立つかなー?と)と共に書留めでアメリカに送ってもらう。これでとりあえず、書類に関してはすべて整ったはず。また東京ブリティッシュクリニックへ直接電話をし、来月20日の2時に予約を入れる。

2000年11月上旬
出発の一週間ほど前にINSから小さな封筒が届き、なんとI−130がアプルーブされたとの連絡。(今ごろ遅すぎるよ!何が30日でプロセスできるだ、この大うそつきが!!)と頭にきたもののぱたさんからこの手紙を日本のアメリカ大使館でI-130を再申請する時に見せると申請料が免除されるかも・・・と言われていたので日本に持っていく書類の中に入れておく。

2000年11月20日
インターネットで探し当てた虎ノ門パストラル(東京農林年金会館)というホテルに泊り、朝7:30すぎにいざ出陣!これがまたいいホテルで東京の赤坂に位置しながら地下鉄の神谷町駅からは本当に徒歩約3分、旦那様と二人ダブルで週末料金だったせいもあり1万円きってました。安いでしょ?本当にここはおすすめです。

あいにくの雨でしたが、早めにホテルを出たせいもあり道に迷うこともなく7:45ころには門の前に着きました。一人日本人ではなさそうな人が居るだけで、警備員の優しいおじさんにパスポートを見せてしばらく開門まで待つよう言われました。飲食物は門のところに預けるように言われましたが何も食べ物は持ってなかったので大丈夫でした。

8時に門を通され(そんなころには私達の後ろに3組みほどみえました)玄関口ではセキュリティーチェックの為、一人ずつドアを開けて金属探知器に荷物を通し、自分も通り抜け中へと・・・。番号は2番でした。

番号が呼ばれるまで待つこと約30分。8時半に最初の窓口が開きました。(・・・がこの待っている間にちょっとしたハプニング?が。実は私達の後に入ってきたカップルの方に日本円を差し出され「あのー、USドルに両替してもらえませんか」と聞かれました。私達はその日は約200ドル手持ちがあっただけで、自分達の$110を払ったら残りは$90となり、とても両替できるほど持ってなかったので、「すいません。私達けっこうぎりぎりしかないので・・・」とお断りしました。

結局奥さん(日本人女性)の方が多分銀行へでも行かれたのかと思いますが大使館から出て行き1時間ほど戻ってみえませんでした。そんな頃旦那さんの方は自分の番号が呼ばれたのですが、奥さんがいない=申請料が払えない、ということで結局後回しにされちゃいました。・・・のでみなさん、くれぐれもUSドルをキャッシュであるいはマネーオーダーを金額分、持参しましょう!(ぱた注:その両替に走った女性にはお気の毒ですが、アメリカ大使館ではキャッシュなら日本円でも受け付けてくれます。はい……)

すぐ私達の番号が呼ばれ、大使館職員の日本人女性の方に書類をひとつずつ提出。一緒に今月出発直前に届いたI-130がアプルーブされたという手紙も提出。結局、アメリカでアプルーブされていたので申請料は免除で、何も払わなくてもよかったです。(例のカップルの方ごめんなさい!)「また書類を確認してから番号を呼びますのでしばらくお待ちください」と言われ結構な時間待たされる。また番号が呼ばれその場でパケット3を手渡してもらえました。書類の内容を確認して、いざ警察庁へ向かった時には10:30でした。

雨がザーザー降りしきる中、地下鉄を乗り継いで警察庁へ。外に立っている警備員の方にたずねて、ようやく目的のビルの受け付けへ。(無)犯罪証明書を申請に来た旨を伝え、小さなバッジをもらって待つこと5分、旦那様には下の受け付けで待ってもらい、上の階から女性の職員がみえてその方と一緒に鑑識課まで行き、この時パスポート(私の旦那様の名前が私の日本の名字の後に括弧書きで入っている)、パケット3に入っている手紙、住民票が抜いてあるという証明の除票、そしてを住民票が抜いてある場合、海外での住所の証明が必要とのことで私はカリフォルニアの運転免許証を提出。このかわりに自分宛てに届いた手紙などでも代用できるとのこと。そして日本での連絡先を記入して早速、最新機器?!を使用してインクを手に付けずにスキャナでとても簡単に指紋をとってもらいました。12月5日以降なら準備が出来ていますとの紙を渡され警察庁をあとに。手数料は一切かかりませんでした。

この時点で11時をちょっとまわったところでしたが、雨も降ってるし、ブリティッシュクリニックへの道順を知らないので、とりあえず恵比寿まで行くことに。ぱたさんのHPでどなたかが教えてくださったとおりに交番で地図を受け取り、その地図通りに歩くこと約10分。閑静な住宅外のようなところにあれこれ病院?といったようなビルにありました。まだ2時間以上も待たなきゃいけなかったので電話して予約の時間を早くしてもらいたかったのですが、駄目でした。雨の中、時間を潰すのに苦労しましたが何とか2時間つぶし、ちょっと早めに再びクリニックへ。書類に自分の名前や日本での連絡先を記入して、母子手帳およびアメリカの大学入学の時(4年前)に大学で受けたMMR (Measlea、 Mumps、 Rubella)の予防接種記録と共にパケット3に入っていた健康診断用の用紙を提出。待つこと約3分。ちょっと気のきつい看護婦さんに呼ばれ、精神的な問題はあるか、や今精神科医に相談を受けているか・・・などなど大体の人なら「いいえ」と答えるような質問を5つ、6つ手際良くされます。

「水疱瘡になったことは」・・・といわれ私は一瞬戸惑って「あったことがあるような・・・」のようなあいまいな答え方をしたら、「あるの、ないの?」と怒られてしまい。「あ、あ、あります。」とどきまぎして答えました。(ちゃんと自分がかかったことのある物は把握してないと駄目ですね、アハハ・・・)そのあと血圧を測り、血液検査。別の部屋でレントゲン写真検査。その後でいよいよイギリス人の?男の先生による問診がありました。ブラとパンツだけになるように言われ、「はい、息吸ってー、はいてー。」と流暢な日本語で言われ、下腹ポンポンとチェックされただけでものの1分で問診終わりでした。あまりの速さに、びっくり。服を着替えて、受け付けに戻ると、Supplemental Form to OF-157というパケット3に入っていた健康診断用の用紙のコピーがもらえ、そこには、MMR は摂取済みという記入があり、Vaccine history complete for each vaccine、 all requiremets met.とあり、健康診断料のみ、料金26,250円(税込み)を払い、レシートを受け取りました。

私は実家が岐阜に在る為、結果を宅配便で郵送してもらうように手続きをとりました。ただこの際にもし、宅配便で出した書類が紛失されてしまっても「ブリティッシュクリニックは一切責任を取りません」のような紙にサインさせられました。血液検査に問題がなければ早くて結果は今週末25、26日辺りに。検査のやり直しがあっても、遅くても28日頃までには届くので、それまでに受けたらなかったら連絡するように言われました。とりあえず東京で済ませることは完了。雨にぬれ、くたびれたのでホテルへ戻ることに。あー、ご苦労様でした。

2000年11月21日
ようやく、実家へー。ただいまあーーー。

2000年11月23日
今日は祝日。友達の家へ遊びに行っていたのだが、結局実家のファックスが故障していることが判明したため、見切り発車で友達の家からImmigrant Visa Appointment Request、 OF-169 の余白に日本語と英語の両方で、12日か13日の面接日を希望の旨、また地方から上京するので午前中の遅めの時間(10時以降)をお願いし、16日に渡米予定であることも記入。友達の家から大使館へファックスさせてもらう。・・・が、おっちょこちょいな私。家に帰って今一度この用紙を見ると何と申請者(私)の住所の欄が空白のまま・・・。ガ、ガーン!!!時既に遅し。諦めて、明日妹に会社からもう一度ファックスし直してもらうことにする。あー、馬鹿な私。

2000年11月24日
別の紙にもう一度日本語と英語の両方で、「住所の欄を空白にしてファックスしてしまったのでもう一度ファックスし直します」のようなことを書いて、妹に渡す。昼間にクロネコヤマトの宅急便で健康診断の結果がレントゲン写真と共に届く。「あ、血液検査の方問題無かったんだ」とちょっとホッとする。とりあえず、私が出来ること全てはやり終えたな。あとは待つだけ。OF-169には「大使館からの返事は週末を除いて最低でも5日間かかる」とあったので、12月4日頃まで気長に待つことにする。あとは、私達の日本での結婚披露宴を控えちょっと緊張する。

2000年11月26日
私の両親・家族・親戚と友達がたくさーんの楽しい結婚披露宴でした。和装はしなかったものの、まさに典型的な日本の披露宴で結構疲れました。明日は温泉だー。

2000年11月29日
1泊2日で旦那様と行った温泉から帰ってきた次の日、もう大使館から郵便で面接日の知らせが届きました。「え?もう?」とびっくりして封を開けると希望通りの12月12日11時となってました。思わずうれしくって「やったー!!!!」と飛び跳ねちゃいました。これで、面接がうまく行けば、飛行機の予定も変えずに16日にアメリカに帰れる!!と本当にうれしかったです。

2000年12月3日
2週間ちょっとの滞在・任務?を果たした旦那様も仕事の関係上、今日ロサンゼルスに帰りました。あー、さみし・・・

2000年12月12日
いよいよ、待ちに待った面接の日です。始発の新幹線に乗っていったものの東京に到着したら既に10時。慌てて地下鉄で警察庁へ無犯罪証明書を受け取りに行く。警察の方には昨日念のために電話を入れて私の書類が準備できているか確認しておきました。丁度この12月に引っ越しで(まだ引っ越しの真っ只中でした)新しい住所を前もって聞いていたので迷わず行くことは出来ました。今回も前回同様、受け付けで来た理由を説明すると前回と同じ女性が私の書類を持って上の階から降りてきて、パスポートを見せて受け取りのサインをしたら、開封厳禁になっている封筒を渡されました。その足で急いで大使館へ向かう。

走って、汗をかきながら大使館には11時15分前に到着。セキュリティーチェックにはかなりの人が並んでいましたが、61番の番号札を取る。待ち人数は9人、と示されてましたが、現在の番号が42番で「私は今日面接が受けられるのだろうか・・・」とかなり心配してしまいました。3つの受け付けが開いていて一番右の10番の受け付け越しに白人の女性が面接をしていました。

待つこと30分ほど。番号が呼ばれ全ての書類を今回もひとつずつ確認するように渡しました。OF-230 part2、 I-846(アメリカにて7月に公証済み)、3年分のタックスリターン、W2フォーム、主人の雇用・収入証明(7月発行)、IRS Form 9003(黄色の用紙)、私の斜め写真2枚、警察証明書、レントゲンの入った健康診断結果などの書類を提出。私の場合、最初のI−130を請願に行った際主人の出生証明書(バースサーティフィケート)、結婚証明書(マリッジサーティフィケート)、私の結婚後の新戸籍謄本全てオリジナルを提出していた為にこれらの書類は提出しなくてもよかったです。「全ての書類を確認をしたらまた同じ番号を呼びますので先に手数料の$260を会計窓口でお支払いの上、レシートを持って、この用紙に名前とアメリカの居住先の住所を記入してお待ちください」といわれる。

USドル現金で260ドル払って、渡された用紙に必要事項を記入しさらに15分待つ。私の番号が呼ばれてレシートと用紙をを渡すと再び「また準備が整いましたら番号を呼びますのでそれまでお待ちください」と言われる。ボーとしていると、突然先ほどの日本人職員の女性に私の番号を呼ばれ慌てて窓口へ。何でも私が記入した書類は出生地の欄に違う市名が書いてあるという。私は本籍地と勘違いしていてその市名を記入していたのですが、本来両親が私が生まれた時に届け出をした市の名前を書かなければいけなかったらしく。戸籍に書かれていた「XX市で出生」というXX市に全て変更。またまたおっちょこちょいの私。

それから約1時間待ってようやくアメリカ人女性と面接。"Hello. How are you?" と声をかけると、まず最初に右手を挙げるよういわれ宣誓の文章を読まれ私が"I do"と言うと「ここに署名を」といって最初に日本人職員に提出したOF-230 Part 2の裏の部分を差し出されました。その後 "Where is your husband right now?"と聞かれたので、"Back in California, working"と笑顔で答えたら、「あらそう、大変ね。」と笑顔で言われました。(注:この日いたたくさんの人たちの中で旦那さんなしで面接に来てた人きっと私一人だと思います。みんな子供連れの人たちや旦那さんが一緒の人たちばっかでした・・・そのおかげで、ほんの一瞬不安になりましたが。)、そして"How did you meet him?"、 "What does he do?" そして最後に過去に結婚していたことがあるかと聞かれ私も旦那様も今回が初婚なので「いいえ一度も」と答えると、さーっと手際良く私が提出した扶養証明に目を通すと"It looks like everything is fine."と言われ、午後2時30分すぎにビザを発給するのでビザ発給代$65を払ってレシートを持ってまた大使館に戻って来るように言われる。また同じ番号を呼ぶので番号を覚えているようにとも付け加えられる。そして私は "Oh, that's great! Thank you very much."と言い、会計窓口で言われた通り65ドルを払い、レシートを手にルンルン気分で大使館を後に。

あとの2時間はこの前泊まったホテルの近くにあったマックでひたすら時間を潰す。

2時に大使館に戻ってくるとすでに6人ほどの人が玄関口でセキュリティーチェックを受ける為に並んでいました。30分待って2時半になると3つの窓口が一斉に開いて番号を呼びはじめ、私の番号もすぐ呼ばればれ窓口へ。今度は男の方が私の写真が貼ってある紙が付いた結構分厚いA4サイズの封筒がを差し出して「結婚2周年までに条件付きを取り除く手続きをとるように」との説明書きと一緒にくれました。

スペルミスや、何か一番上の紙(これが移民ビザです)に記入ミスがないかチェックをした上で帰ってくださいといわれ、念入りにチェック。すべてOKだったのでそのままそこにあった公衆電話から旦那様に報告の電話。ロスは丁度夜の9:30で「今日一日気が気じゃなかったよ。本当に良かった良かった」って喜んでくれました。私も精神的にもかなり疲労を感じていたのですぐ新幹線で実家へ帰りました。あー、とりあえず終わったんだ!!!とうれしくって帰りの新幹線では爆睡してしまいました。両親も「良かったね」と安心。

2000年12月16日
実家で骨休みできたのもいいけど、2週間旦那様と離れ離れもかなりさみしくって。ようやくアメリカに帰れるんだ・・・と結構うれしかったです。JALでいざ9時間ちょっとのフライトを終えると、LAXは今までに私が見たことのないような混雑。とりあえずビジター用の列でひたすら待って30分。ようやくおっちゃんにパスポートと写真付きのビザの入った封筒を渡すとそれにJL028(フライト番号)と記入しただけで「(指で指しながら)一番向こう側にあるラインのところに行きなさい」と言い、言われた通り「INS PASS」と書いてあるブースへ。この日はやたらとインド人とベトナム人の人がたくさん居ましたが、とりあえず20人目くらいの列に並ぶ。

何やら書類をちょちょっとチェックして、用紙に指紋をとってるんだけど手際が悪いというか、なかなか進まないのです。40分経過し、私はほとんど5歩前にしか進んでない状態でそんな頃にはまた更に20人ほどの人が私の後ろに。そんな時、突然日本語のアナウンスで「JALで御到着のXXXX様お荷物が6番テーブルに置いたままなので取りに来てください。」何と私のことじゃないの。そりゃそーよね。もう到着後1時間も経ってるのにこんなとこいるの私ぐらいよ・・・と焦りながら、このまま列から離れるわけにもいかず(こんなに待ったのにー)、両手に荷物(機内持ち込み)いっぱい引っ張ってるし、後ろに居たインド人のおばさんに思い切って「ちょっと、今名前を呼ばれて荷物を受け取りにいかなきゃいけないので、この荷物見ててもらえません?」と言って頼んだら「OK」といわれ、慌てて荷物を保管されてたところに取りにいく始末。(ロサンゼルスから入国なさる方、くれぐれも一旦荷物はターンテーブルから受け取ってカートに乗せて目の届く壁側あたりなどに置いておきましょう。)

指紋摂取・署名後更に提出した書類のチェックあるのでいすにかけて待つよういわれ、さらに待つこと20分。ようやく私の新しいアメリカの名字が呼ばれ出て行くとパスポートに朱色のスタンプでが押されていて、ボールペンの番号を指差して「これがあなたのGC番号でカードが届くまでこれがGCだからね。」といわれ、「カードは数ヵ月でカ届くだろうけど、9ヶ月、6ヶ月じゃないよ、9ヶ月待ってもカードが来ない時はINSに連絡しなさい」と言われました。私は9ヶ月???と思ったのですが、まーとりあえずパスポートに押されてるスタンプは来年の12月まで有効なのであとは数ヵ月後にちゃんとカードが届くように祈るだけです。

でも、本当にぱたさんのおかげで実質3週間で移民ビザをゲットしました。これといったハプニングは何もなしで本当にスムースに事が運んだのもぱたさんのHPやアドバイスをはじめ、掲示板で参加なさっているみなさんのおかげです。本当にありがとうございました。

日本で移民ビザを取得するのをかなりためらったこともありましたが、本当に本当に1ヶ月あればとれちゃいます。このアメリカで延々2年や3年待って、面接を受けてまたそれから・・・カードが届くのを待ったり、その間の再入国許可や労働許可などなどを考えると、日本でこんなに楽で簡単に移民ビザが取れてしまうのが不思議なくらいです。こんなに近道な手をみすみす逃すのはもったいないですよ。再来年に条件付き削除を申請する際にまたぱたさんにお世話になることになると思いますが、どうぞその時はまたよろしくお願いします。
本当にありがとうございました。

Beagle