ユウコ+クリスさんの経験談

Yuko's experience of marriage formality

April 5, 2000(Wed)
大使館にfax(03-5570-5041)を流す。「I-130一式を送ってください」

April 7(Fri)
市役所に、戸籍謄本一部と、婚姻届2部を取りにいく。(¥450)

大阪・神戸領事館にfax(06-6315-5914)を流す。「婚姻要件具備証明書に関する書類を送ってください。」

April 8, 2000(Sat)
彼のの就職が決定。大使館から、書類一式が届く。

April 10, 2000(Mon)
兵庫県警察本部に電話。
 Tel:078-341-7441神戸市中央区下山手通5-4-1(担当:鑑識課)
どうやら、I-130のみでよい県もあるようなので、だめもとで行ってみる事にする。

April 12, 2000(Wed)
戸籍謄本1部と住民票3部を市役所に取りにいく。

県警本部に到着。神戸駅から歩いていったが、神戸市営地下鉄県庁前で降りるのがベスト(4番出口)。

 *戸籍(1)
 *住民票(1)
 *パスポート(本人)
 *普通の証明写真(本人1:斜めの分は不可)
 *I-130
以上5点を提出した。

そのときやはり来ると思ったが、警察のおばさんは、「これだけですか?スタンプの入ったもので、ケースナンバーが記載されていると思うんですが。」と、聞いてきた。
それにも負けず、「東京からこれだけしか届いていません。」といいながら郵送されてきた封筒を見せた。警察官は、少し首をかしげながら、これでいいでしょうといって、コピーを取りに。

申請書類に記入後、指紋を取って終了。無料だった。

April 15, 2000(Sat)
領事館から、ブランク用紙と、"marriage in Japan"の説明書が送られてきた。

April 19, 2000(Wed)
県警に電話。「もうできてます」とのこと。5日くらいかかった。

April 25, 2000(Tue)
県警に13:00に着いた。さっさと証明を渡してもらった。

May 16, 2000(Tue)
今日は、健康診断のMMR抗体検査のことについて調べてみる。保健所に問い合わせてみてもいい答えが返ってこなかったため、ブリティッシュクリニックに直接電話。(TEL:03-5458-6099)
年月日と医師名医院名が記入された抗体の数値がきっちり明記されているもの(陽性だとか言った漠然としたものはだめ)を提出すれば予防接種が免除されるとのこと。23歳の私は、MMRと水疱瘡が対象だった。

早速近くの行きつけの開業医(病院の大小は関係ない)に電話で問い合わせると「できます。来てください。」といわれ病院に行って血液検査をした。水疱に関しては詳細が検査によって出る可能性が低いといわれたけれど、一応項目に入れてもらい、MMRと水疱抗体検査、あわせて¥4360なり(ぱた注:大使館指定病院で受けると、これだけで3万円以上になることもありますので、こうやって先に受けとくのは実は賢明なやり方のようです)

これで、健康診断で少し有利になれば幸いだと思う。ちなみに健康保険は多少カバーしてくれた。

May 25, 2000(Thu)
病院に、検査結果を取りに行く。診察料(受理手数料)として、¥1,760支払う。合計¥6,120なり。おたふく風邪(数値が低かった)を、もう一度打たなくてはならないかも。

May 30, 2000(Tue)
British Clinicに、予約。June 30(Fri)15:00に予約できた。健康診断料¥26,250だと言うこと。あとは予防接種をどれだけに食い止められるか・・・

In June
ホテル等の予約を取りつけました。

June 25, 2000(Sun)
彼が、関西国際空港に到着。その日は、ホテルに泊まって、明日の婚姻の手続きについておさらい。

June 26, 2000(Mon)
今日は、記念すべき入籍の日。朝、8:15頃ホテルを出発。大阪・神戸アメリカ領事館(大阪市北区西天満2-11-5〒530-8543)に行った。

9:00からの開館だったので、コーヒーショップで時間をつぶし、再度おさらい。9:00に入館。婚姻要件具備証明書をもらった。そのときは私たちだけしかいなかったし、事前に領事館から取り寄せしていたフォームに書き込んでいた事もあって、彼のパスポートを提示するだけで、簡単にもらえた($55)。

その後、地下鉄堺筋線に乗って(南森町)、一駅、扇町で降りて、大阪北区役所に行く。
大阪市役所は、領事館に近いが、そういった業務はやっていないと門前払い(電話で確認済み)なので、一路北区役所へ。

区役所では、
 *婚姻届
 *印鑑
 *私の戸籍謄本
 *私の住民票
 *婚姻要件具備証明書+和訳(フォーム有)
 *二人のパスポート
 *彼の出生証明書+和訳(自分で製作)
以上9点を持参して、提示した。

すると、確認をして、すぐに、(15分くらい)婚姻が認められた。そこで、「もう帰ってもらっていいですよ。」と言われるが、ひるまずに、婚姻受理証明書をもらう申請用紙に記入。すると、一時間くらいでできるので、そのとき帰ってきてくださいと言われる。そして、11:40に戻ると、賞状のようなものと普通の紙のものが二通できていた。合計¥1,750。

再び、領事館に戻り、ブランクフォームに受理証明の英訳をして、公証してもらい、ついでに彼のパスポートも公証してもらった。($55)以上で、婚姻は完了。

June 29, 2000(Thu)
上京、ホテルでゆっくりした。

June 30, 2000(Fri)
朝、8:30ごろ、ホテルを出発。大使館(東京都港区赤坂1-10-5〒107-8420)に着くともうすでにたくさんの人・・・私たちは23番。番号を呼ばれたのは、10:30過ぎ。提出書類は・・・

 *I-130(セット)
 *二人のパスポート(彼のは公証したものを提出)
 *戸籍謄本(旧戸籍でよい)+英訳
 *婚姻受理証明書+英訳
 *二人の写真
以上。

手数料$110を支払って、また戻ると、Packet3が手に入った。その後、I-864を公証してもらった。

大使館を出たのは11:30ごろ。軽い昼食をとって、することもなかったので、一路ブリティッシュクリニックへ。分かりにくいところにあった。一応15:00の予約だったが、電話を入れると15分早くしてくれた。午後の診察は13:30から。

13:00は、早すぎるけど、待っている間に書類の整理などをしようと思い、代官山Yビルに到着。煉瓦造り(薄茶色)のようなビルだった。

フォームを出して、必要事項を記入し、待っていると、なんと私が一番でしてもらえることに(1:30〜診察開始すぐ)・・・終わったのは、14:00前。

私は、地元の病院で、血液検査をしていて、コピーに、病院名、医師名、日時が明記されているものを持参していたので、注射は、かかっていなかったおたふく風邪一本でよかった。合計、¥33,862。(税込み)
[内訳 健康診断料:¥25,000予防接種:¥7,250税金:¥1,612]
事前に病院に行っていたので、そのお金を合わせても4万円弱で、母子手帳のない人も大丈夫そう。以上で、東京ではすべて終わり。

July 3, 2000(Mon)
新戸籍ができていないか確認すると、できているとのことで、二通とった(¥900)。

July 4, 2000(Tue)
彼が帰国する日。午前中に、ブリティッシュクリニックから、着払いで結果が届く。¥840なり。

彼を送っていって、帰りにパスポートの申請に行く。有効期限は2001年の2月だったが、また、渡米後パスポートの手続きをするのがめんどくさいし、別名併記をするなら書き換えようということで、10年ものを申請。別に急ぐわけでもなかったけど、事情を説明すると、1日だけ早期受け取りにしてくれた。

持参したのは
 *新戸籍
 *申請書
 *パスポート
 *住民票
 *写真
 *官製はがき
 *彼のパスポートのコピー。

受け取りは7月10日。

夜、面接予約をファックスした。希望日は、7月18日(Tue)か19日(Wed)にする。

July 6, 2000(Thu)
July 3に、扶養証明のことで、大使館にFAXを流した返答が返ってくる。どうやら、扶養証明は、99年度のタックスリターンを最重視するらしく、このままでは彼の扶養証明だけでは、ヴィザが危うくなってきた。

July 10, 2000(Mon)
パスポートを取りにいく。

 *申請書(1)
 *帰ってきた葉書
 *¥15,000分の収入印紙
以上3点。別名併記もできていた。(無料)

July 11(Tue)
再度問い合わせて、大使館の回答を得たが、どうやら、やはりジョイント・スポンサーを立てなくてはならないらしい。ぱたさんの助言にもあったように、ジョイントは絶対必要なのか?(ぱた注:お話を聞いたかぎりでは、どうしても基準を超えていなかったようなので、ジョイントを立てないといけないのは決まり、というムードでした)そのためにも予備のI-864を一部と、彼に言われ公証済みのI-864を、郵送することにした。

July 12, 2000(Wed)
速達はないとは言われたが、EMSで郵送。(¥1200)4日で送れるとのこと。

July 15, 2000(Sat)
大使館最多忙期の予想。全く連絡なし。さらに、彼の両親はジョイントスポンサーになることを断った。意気消沈・・・

July 19, 2000(Wed)
アポイント・レターついに届く。丸2週間かかった。最終面接日は、August 9と決定。決まったはいいが、扶養証明がかなり心配。

July 21, 2000(Fri)
彼から、TEL。緊急事態発生。郵便局が、不在で持って帰った例の書類(I-864公証済み)を紛失。嗚呼、お先真っ暗。
もう一度、入手・公証することに・・・

July 27, 2000(Thu)
両親が、私の銀行口座残高証明を取ってくれた。家族にお金を臨時に貸してもらい、合計¥2,063,860なり。円と、ドルの両方を書いてもらい、英文証明を獲得。一応、パスポート通りの氏名を記入してもらった。(別名併記も含んで)手数料:¥460。すぐに全額下ろして、持ち主のところへ・・・

August 3, 2000(Thu)
夜行バスの予約完了(早朝に着きたいためバスに決定)¥8,690

August 5, 2000(Sat)
今日、彼が書類を郵送(郵便)した。(アメリカ時間8月4日)速達で、3日で着くらしい。

August 8, 2000(Tue)
大阪国際郵便局(エア・メール担当)に問い合わせて、21:00もしくは22:00には、最終便が、関空に到着しているという情報を得、局留めで、明朝取りに行き、その足で関空から、飛行機で一路東京へ・・・と言う計画を立てていた。

ところが彼の扶養証明の書類が届かない。どうやら、日本に到着していないようだ。最終便がつく予定の時間に再度電話したが、肝心のLAからの便がなかったとのこと。一体アメリカはどうなっているんだろう。怒りがピークに・・・あえなく、明日の面接はキャンセル。キャンセルの旨を大使館にファックスする。(体調不良とのことで。ぱた注:面接の予約を入れるときは、「全ての書類がそろってから」というのが建前なので、まだ揃ってないうちに見切り予約を入れたのを言いづらかったのですね……

August 9, 2000(Wed)
郵便局に控えを送ってもらうよう電話で交渉。一番初めの紛失事故があった7月12日の分の調査をはじめてもらうことに。ぱたさんの助言どおり、彼にもう一度、公証済みの扶養証明を、郵便ではなく民間の運送会社(FeDEX or DHL)で送ってもらうよう頼んだ。二人ともかなり疲労とストレスがたまってきている。二人の関係も、ギクシャク・・・。

August 10, 2000(Thu)
郵便局に、調査請求申請書を提出。まだ、彼からのEMS(エクスプレスメール:郵便)は、届いていない。

August 11, 2000(Fri)
今日再三のファックス以来により、大使館から、面接再設定のお知らせをいただく。8月29日に決定。3週間遅れて、ちょっと不満だが、決まってよかった。ちょっとゆっくりできそうだ。今日で、丸1週間経ったが、結局例のメールは届いていない。

August 12, 2000(Sat)
今日、FeDEXで、3回目のI-864が、3日で着いた。すごい!!

August 14, 2000(Mon)
例のメール(EMS)は、今日ついに着いた。7日遅れ。一体どうなっているのか?

August 21, 2000(Mon)
移民ヴィザが取れなかった場合を見越して(ぱた注:移民ビザが取れなくても、ユウコさんは1度アメリカにどうしても行きたかったため、その場合は観光としてビザ免除で行くしかないので、入国拒否されないためにも「日本とのつながり」と強調する証明書を集めていたわけです)移民、在学証明書と、ゼミの教授からの手紙の手配を始める。在学証明は、英文で郵送してもらえることができた。水曜日に、教授のところへ出向いて、手紙をもらうことになった。

August 22, 2000(Tue)
ヴィザが取れなくても、渡米する予定だったが、肝心の格安チケットが取れずに困っていた。(満席のため)彼に呼び寄せチケットを手配してもらうように頼んでいたが、今日嬉しい知らせ。なんと、チケットが当初の予定8月31日から10月10日までのものがゲットできたとのこと。ただJALだが・・・本当に逢えるんだ、その気持ちだけで今までのヴィザの心配が吹っ飛んだ!何が何でも私はアメリカの彼のもとへ行くぞ!

August 23, 2000(Wed)
夜行バスの予約完了。学割が効いて¥6,950なり。最終面接の予約変更については、変更されたという旨のファックスを持参すればいいらしい。

August 28, 2000(Mon)
夜行にのって東京へ

August 29, 2000(Tue)
朝、6:30に東京駅着。8:10まで時間をつぶして大使館前で並んだ。番号札は3番だった。8:40くらいに番号が呼ばれ、全書類を提出。

 *アポイントレター+変更のことが記されたファックス(私の場合のみ)
 *私のパスポート(彼のは公証済みのものを第2段階で提出済み)
 *新戸籍謄本+英訳(自作)
 *警察証明
 *健康診断証明
 *私の写真2枚
 *I-864(公証済みのもの)
 *タックスリターン3年分(一応W2も)
 *99年分が不足しているためそのことの理由を説明した彼のレター(彼が病気で手術をしていて、会社を辞めたのでそのときのかかっていた病院の先生からの手紙を何通か添付した)
 *会社の雇用証明
 *銀行口座証明(彼:アメリカ市民は1年間分の証明、私:現時点の預金証明)
 *パケット3に入っていた請願書と黄色い紙
 *付き合いを証明するもの(写真、手紙、電話の支払い明細、航空チケットなど)
以上14点(普通の方はもっと少なくなるはず・・・)

そのとき、私の面接は10:15〜だったので、係りの人から、「10時ごろに戻ってきてください」といわれた。

9:50くらいに番号を呼ばれ、言ってみると、ファイルされているのに提出した、婚姻受理証明書と、彼のオリジナルの出生証明書が返却され、「あなたの場合、扶養証明に関して基準を達していないので、不安要素がありますが、雇用証明の点で(生活保護基準のおよそ3倍あった)どうなるかは領事の判断になります。」と説明を受けた。

10:25、番号が呼ばれた。領事の質問は以下の通り。

 1)今日はだんなさんと一緒ですか?
   答:いいえ
 2)彼とはいつ会いましたか?
 3)彼とはどのようにして知り合いましたか?
   答:お互いの友達の紹介で
  4)どこで出会いましたか?
    答:アメリカ
 5)そのときの渡航目的は?
   答:観光
 6)どのくらい滞在しましたか?
   答:1ヵ月
 7)彼の今の職業は?
  8)昔は何をしていましたか?
   (病気の事情をここで説明した)
 9)あなたは働いていますか?
   答:いいえ、学生です。
 10)なぜこのような銀行預金があるのですか?
   答:貯金が趣味(笑)で1回生のときから貯金はしていた+預金に両親からの結婚資金を入れた

最後に一言、「私は、彼が私の最良のスポンサーになることに自信があります」と思い切りよく言ってみた。領事さんは微笑んでうなづいてくれた。彼の説明したレターも(こちらは彼曰く力作で、女性の領事さんならいちころらしかった)一生懸命読んでくれていた。

その後、「2:30にお金を払ってレシートを持って帰ってきてね」といわれ、驚きのあまり「ヴィザは取れましたか?」と聞くと、「OKよ。」とのこと。嬉しすぎて思わず満面の笑みで、ありがとうを連発してしまった。2:40待望のヴィザをゲットした。

August 31, 2000(Tue)
入国の日。17時45分のフライトで、関空から一路LAへ。着いたはいいが、1時間45分待ち・・・。そのとき、あの恐ろしく長い外国人の列には並ばず、INS PASSという列に並んだ。一番端の列。そこで書類を提出してから、名前が呼ばれるまで待てといわれ、ひたすら待つ。ついに名前が呼ばれ、指紋を取ってから、二年後の再申請(グリーンカードの)のことについての紙をもらい、パスポートに仮のグリーンカードを押してもらって、以上、終了!