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Chanさんの「Mystory」 現・夫の彼はオハイオ出身のシアトル在住、私は神奈川県出身の33歳で、彼とはインターネットで2年半前に知り合いました。結婚を決めるまでの約2年間は、フリーランスとして自宅でできる仕事をしていた為にスケジュールが自由になる私の方が3ヶ月単位で延べ4回渡米し「仮・同居」をしていました。 08/24/00(木) 目からうろこが落ちた気分で内容をプリントアウトし、徹夜で熟読。興奮状態のままシアトルの彼にメールを打つ。 08/25/00(金) 彼の来日までの間に大使館にファックスで婚姻要件具備証明及びビザ請願関係の書類一式をリクエスト、約4日後に普通郵便で届く。 I-130、G-325は単なるコピーだったので、念の為INSのサイトを通して彼宛にちゃんとしたフォームも送ってもらうように手配する。 I-864も大使館では「実際に手続きを始めるまでお待ち下さい」とのことなので、同様にINSから入手。スキャナーとPDFを駆使して、書類は大使館で宣誓、公証しなければいけない部分を残し予め二人で準備を整える。婚姻届や私の戸籍抄本とその英訳も準備万端。 09/29/00(金) 10/02/00(月) 予め準備しておいたお陰で2分もかからずに婚姻要件具備証明の申請は提出できた。 そこで急遽予定を変更して、当初金曜日に出直してするつもりだった請願書の申請も頑張って今日中に済ませよう、ということになる(念の為と思って書類を全部持って来てよかったぁ。 で、優雅に朝食を取る予定を返上して、港区役所赤坂支所へ走る(当初地下鉄で行くつもりで外堀通りへ出たら道がガラガラだったのでタクシーに飛び乗る)。運良く戸籍課もガラガラで、すぐに婚姻届を提出。彼の名前の記入方法でちょっと問題が生じ(彼はJr.なので、何の躊躇もなくアメリカの記載方法に合わせて苗字のあとにジュニアと書いてしまったら、日本の概念ではJr.はあくまでもファーストネームの一部と見なされる、とのことだった。思わぬ落とし穴!でも係りの男性は親切丁寧に書き直し方などを教えて下さり、二重線の訂正だらけになっちゃったけど、婚姻届無事に受理される。空いていたので受理証明(大きいのと小さいの各一部)も15分程で出来上がり、再び大使館へ。 受理証明とその英訳公証の為アメリカ市民課へ戻ると、先程の親切な係官の方が今度は「結婚おめでとう」と公証代をタダにして下さる。同時にI-864も公証を済ませる。それを持っていざ査証課へ。 すでに11:00am近かったので、書類を提出する前に「今提出すると今日中にインタビューをしてもらえますか?」と確認したところ、問題なしとのことだったので、提出。この3時間足らずの早業に「余りにも手際がよ過ぎる」と怪しまれたのか、二人一緒の写真やphone bill等二人の関係を証明する具体的なものの提出に加え、白紙を渡され二人が出会ってから結婚に至るまでの経緯を詳しく書くように言われる。これは先輩方の体験談から最終的に私がビザの申請をする時のインタビューに持って行けばよいものだとの認識があったのでちょっとビビったけど、写真や今までにお互いを訪ね合った際の航空券のコピーなども持ち合わせていたのでセーフ。「作文」の方もK-1を申請するつもりで準備していた頃に一度書いていたので、スラスラと書くことができた。一連のものを提出後約15分待たされて、別の係官(領事)から"二人の関係"について口頭で再び追究される。しかしどんな質問にもひるむことなく、私達が自然体で答えているのを見て「この二人はホンモノだ」と信じざるを得なかったのか、3分程度の「おしゃべり的インタビュー」の末、Packet3を取得。 余談:全ての手続きが思っていたよりスムースに、しかも半日で済んでしまったので、なんとなく拍子抜け一週間先に予約を入れてあったブリティッシュ・クリニックへ行こうとしたところ、彼が僅か一週間の違いなんだから、自分がアメリカに帰った後にやってくれない?と言うので「そりゃそうだ」と思い、彼の日本滞在を満喫することにする。 私達は日本では披露宴関係は一切やらず、アメリカでもごく身内だけを集めたインフォーマルなレセプション程度しか考えていないので、一応"記念の為に"横浜のワタベ・ウェディングというブライダル専門店で写真撮影だけはしておく、それも和装で。私は成人式の時もアメリカにいて着物を着る機会がなかったので、両親は何だかんだ言って結構喜んでいた。しかしこの夏、思いきり日焼けした名残のある私(当然、打掛姿もサマになってない)の横で女性撮影スタッフが感激する程紋付姿が似合っているうちのダンナって一体。 10/08/00(日) 10/10/00(火) その足で恵比寿のブリティッシュ・クリニックへ。以前当サイトで先輩方にアドバイスをお願いしましたが、いくらビザを取る為とは言え何本も予防接種を打たれることにはどうしても抵抗があったので、ダメ元で予め近所の病院で抗体検査を受けておいたところ、MMRのうち一つは発病してから32年もたっているにもかかわらず抗体が十分残っているということで、免除になりました。もう一つは持参した中学時代の健康手帳に接種の記録が残っていてやはり免除に。結局この日打たれたのは一本で済みました。「抗体検査はお金と時間がかかる」という話を聞いてはいましたが、「念の為」だと思って近所の病院やクリニック数ヶ所に予め電話で問い合わせたところ、結果が出るまでに一週間程度、費用は大体どこも¥7,000前後(診断書料は¥0〜¥3,000程度とマチマチ)ということでした。 10/11/00(水) 10/12/00(木) ちなみにこの(横浜)パスポートセンターの窓口に置いてあって「これを参考にしながら記入して下さい」と渡される別名併記の申請書類記入例は日本の戸籍上もアメリカ姓に変更してある人の場合の例なので、戸籍上は日本名のままという場合は惑わされない様に注意して下さい。尚、お昼前に申請書を提出したところ、一時間で出来上がりました。 10/13/00(金) 10/14/00(土) 10/15/00(日) 10/16/00(月) 10/17/00(火) 10/18/00(水) 10/21/00(土) 10/25/00(水) とは言え、時刻はまだ9:30am。外は雨だし、一体5時間も何をして過ごそうか横浜の実家へ戻って出直すだけの時間も十分あったけど、何か起こると大変だと思い、仕方なく2時間かけてブランチを食べてから六本木まで出向き、その後アークヒルズまでお散歩してみる。しかしお昼時のアークヒルズはとても混んでいて、タバコの煙が充満しているし、なんかくつろげないので、早めに大使館に戻ってお昼寝でもしようと企んだものの、2:00pmまで門の中へ入れてもらえなかった。 2:35pm頃漸く午後の窓口業務が再開して、遂にビザを受け取る。入籍、請願書提出以来3週間と2日。自分でもビックリするくらいスムースに手続きが進んだけど、ビザのパケットを実際に手にするとやはりこみ上げるものが。 11/3/00(金) まとめ: 1)彼の来日前、来日中、帰国後にそれぞれ二人がやるべきことのチェックリストを作成し、それを消化していく為の綿密な予定を立てる。お互いの進行状況を把握して、不備があった場合は時間切れになる前に手を打っておく。 2)必要書類はINS、大使館などありとあらゆるsourceから予め取り寄せて、大使館で公証、署名などをする箇所以外は全て記入を済ませておく。日本の婚姻届を含め記入方法などについて不明なことがあれば管轄機関、そして当サイトの諸先輩方のアドバイスを乞う。ちなみに私達の場合、手書きにした婚姻届以外は全てタイプライターもしくはPDFで記入、戸籍抄本の英訳などもワープロ打ちにして「読みやすくきれいに」を心がけました。 3)扶養証明関係のサポート書類は手続き開始前から特に気合を入れて準備する(その割には最終面接の一週間前になって不備に気づくというドジを踏んだけど)。 4)「二人の馴れ初め」エッセイは予め二人で内容を話し合った上で彼に下書きしてもらえば大使館でいきなり白紙を渡されても慌てることがない。紙を渡されて「あっちで書いてきて下さい」と言われる場所は窓口から丸見えというわけではないので、もし不安だったら下書きペーパーを持って行って、見ながら書いても大丈夫なような気がする。 5)健康診断には母子手帳のみならず中学、高校時代の健康手帳や母親手書きの疾病記録など、とにかく自分の健康の記録に関係するものはダメ元で何でも持って行ってみる。 6)大使館で書類を提出する際は呼ばれて窓口へ行く前にちゃんと確認、整理して受け取ってもらいやすくしておく。ちなみに私達はクリップやホッチキスで内容別に細かく分類して、コピーの場合は「original copy available for inspection」と書いたポストイットを貼ったりしました。最終面接の時には「ちょっとやり過ぎ?」と思いつつ、OF-170のリストに書かれているのと同じ順番で提出物を重ねて出すことまでしましたが、これは係官の方に結構気に入ってもらえた様です。尚、自分では完璧だと思っていても窓口で予期せぬ訂正や記入を言い渡されることも絶対ないとは言いきれないので、荷物に余裕があれば修正液、クリップ、ホッチキスなどの文房具類も持っていると安心です。 7)第一回目に彼と大使館へ行った時には彼はネクタイ姿、私はスーツを着込んで、領事さんは勿論のこと、最初に対応して頂く日本人の係官の方にも腰の低い姿勢を心がけることで「私達は真っ当な人間です、夫はよきアメリカ市民で、私もちゃんとアメリカのルールに沿って生活していく所存のあるよき日本国民です」という無言のアピールをしました。どんなに待たされたり、書類の訂正を求められたりしても絶対に苛立ちや不快感を表に出さないように努力しました。 そんなわけで、permanent residentとして平穏な日々を送っている今日この頃です。 |