ばに〜さんの体験談

私は学生結婚でしたので、学生ビザで滞在中にアメリカで結婚をし、卒業して学生ビザが切れる頃に日本に帰り手続きをしました。

・日本に帰る前にやったこと
 2000年1月―マリッジサーティフィケート取得
 2000年5月―領事館を通して婚姻届の提出(姓は変えませんでした。)普通は結婚後3ヶ月以内にやるものだそうです。
 2000年5月―国際電話で東京ブリティッシュクリニックへ診察の予約。
 2000年6月―学校卒業

書類関係―日本にいる友人から送ってもらって、I-130、G-325、OF230、I-864は記入しておきました。

母に頼んで戸籍(まだ変更されていなかったので結婚前の)を送ってもらってありました

・ 気がかりだったこと
 1999年の彼の収入が基準に達していなかったこと。なんとか自分たちだけでやりたかったので、スポンサーはいざ必要になるときまで頼まずに、彼の車2台と貯金でなんとか、資産の基準をクリアーして申請することにしたこと。

2000年6月29日(木)
主人とともに帰国、友人宅に泊まり、翌日にそなえて、早寝する。(でも緊張して眠れませんでした。)

母親から新しい戸籍ができた(2通)と、友人宅に送ってもらいました。

2000年6月30日(金)
7時45分、アメリカ大使館着、1番でした。
6月30日は最初から、ぱたさんファミリーも含めて、かなりの数の方が来られると思い、早めにいったのですが、早過ぎました。しかし門があく8時30分ごろは20組以上はいたのではないかと思われます。

このときは古い戸籍を使いました。パケット3をもらうときに面接は、かなり込んでいて7月はもういっぱい、おぼん頃をみはからって予約いれてくださいと言われました。そんなに時間がかかるのなら、余裕で書類の準備ができるので、今ここで予約をしたいといいましたが、書類がそろった時点で予約するようにと受け付けてもらえませんでした。(人によってはそれでできた方もいたようです。)

I-864の公証を他の窓口でしてもらいました。そのときの担当者の方に、資産のことをたずねたところ、基準をいってるのだったら問題ないですよ。と言われる。(でもまだ不安。)

10時30分、地下鉄を乗り継いで、警察庁へ。
事前に電話をして住民票の除票は後で送るという形で、手続きをしていただきました。戸籍は新しい方を使いました。姓を変える場合は必ず新しい戸籍でなければならないそうです。

3時30分、東京ブリティッシュクリニックへ。
免疫テストをしてから後日、結果をみてから注射の本数を決めますか?と聞かれましたが、そんな時間はもちろんないので、いっきに3本全部うってもらいました。とても細かい注意書きと何か体に異常があった場合は責任をもてない云々のことにサインをさせられて、ちょっと怖くなりましたが、たくさんの方がやっていられるのを知っていたのでこの方法でいきました。結局体に異常はありませんでした。

2000年7月3日(月)
9時、見切りで面接の予約のFAXをいれる。帰りの飛行機は7月31日で予約済でしたが7月はもう完璧無理と言われていたので100ドルの変更チャージを払ってあきらめ、それでもおぼんまで待てないのでだめもとで8月1日と2日を希望する。(しかしあとで、同じ時期に申請をされた方で7月中にどうしてもと頼み、面接がとれたという話しをきき、それなら思いきって7月中にすればよかったとがっかり)

10時、昔住んでいた、区の区役所に住民票の除票証明をもらいにいく。
区内だったらどこでもいいとのことで、新宿から1番近い、駅にいく。そこから警察庁へ郵送。

11時、都庁のパスポート係に姓の追記をしてもらいに行く。私の本籍は地方で、現住所もそこに変わってしまっているので、東京都で申請する理由がないのでそちらでやってくれとのこと。私は東京に長いこと住んでいたので、実家の住所でパスポート申請をしたことがないし、これがビザ申請のためで急ぐ旨を伝えた所、別の人が現れて、現住所を都内の住所に変えればOKということになり友人宅の住所を書いて一軒落着。このときはめちゃくちゃあせりました。 パスポートのできあがりは当日中でしたが、彼と遊びたかったので、後日とりに行くことにしました。

2000年7月4日(火)
彼と私の実家へ

2000年7月10日(月)
彼は一足先にアメリカへ。
警察証明ができあがっている連絡をもらっていたので、彼を見送った次の日に警察庁へいきました。それから パスポートも取りに行きました。900円でした。

2000年7月18日(火)
面接の結果がなかなかでないので不安になりました。
ぱたさんのサイトでどなたかがが紹介してくれた、ダイヤルQ2作戦であっという間に担当の方につながり面接日を教えてもらいました。 8月2日でした。それでもまだ扶養証明のことが気がかりでなかなか、落ち着けないのでした。

2000年7月24日(火)
友人達に会うべくまたまた上京し、病院の結果もでているとのことでもらいにいきました。しかしそれが意外に大きいかったです。持ち歩くのにとても苦労しました。それを持ってまた実家に帰ったので、面接の前の日にとりにいけばよかったなと思いました。

2000年8月2日(水)面接日。
心臓が飛び出るくらいに緊張しました。
このときは最後の方だったので、前の方たちがぞくぞくとにこにこして帰っていくのを横目に見ながら、私はジョイントスポンサーつけてくださいと言われたらどうしよう???とそればかりが気になっていました。

自分の番が呼ばれて、私達が住んでいるアメリカの住所と彼の仕事と2人があったきっかけを聞かれ、では2時半にもう1度来てください。といわれました。

えーとこれはどういうことだろう?と半信半疑の私はなかなかその場を立ち去れずにいた所、お昼休みにでていく係りの人に会い、2時にここにきてくれといわれたんですけど、と聞いたら、それはもうビザがもらえるということですよ。と教えてもらい、もううるうるものでした。そこから国際電話をして、彼もやっぱり扶養のことが気がかりだったので、やったーというよりほっとして腰がくだけてました。

そのあと、ここまでスムーズにきたという喜びと同時に、アメリカに定住することにきめた自分の決断を親と離れて暮らすということも含めて、今更ながらしみじみ考えてしまって色々と複雑な気持ちがいり交じりました。
混んでいたため予定よりビザの取得は遅れましたが、両親にとっては遅れれば遅れるほどうれしいようで、ある意味でいい親孝行ができたと思います。

ぱたさんのこのサイトで1ヶ月でとれる方法を教えてもらっただけでなく、色々と不安になったときもいつもやさしい言葉でそして即効でお返事をいただけるので、ビザを取る前の準備期間、そして申請中に日本にいる間もたくさん助けていただきました。
ありがとうございました。

それから、私がひとつ思ったことは、日本のアメリカ大使館はみなさん感じがよかったです。アメリカの移民局の色々な傲慢で怠慢な話しを聞いていたので、ビザをとるという事は、なんだか戦いにいどむようなものだと思っていたのですが、何を聞いても丁寧に親切に教えてくれました。最後には「お幸せにね」と声をかけられなんだかとてもうれしかったです。

移民ビザは正当な事務手続きをとってもらいにいくものであって、あちらが疑いをもって(結婚詐欺とか)査定するものではないということがわかりました。だからこれから移民ビザをとるかたその辺の心配をいりませんよ。 このサイトで私が元気づけられたように、私の経験がすこしてもお役にたてたらと思います。がんばってください。