ゆきえさんの体験談

私はF-1ビザをもっていた学生です。

2000年7月24日にアメリカで挙式をし、正式に結婚、ビザを申請する予定だったのですが、あることが発覚。6月に一度、日本に帰国していたため、アメリカで入国後30日または60日に結婚すると詐欺罪に問われる可能性があるとロスの弁護士に忠告され、小心者の私はおたおたするばかり。

2000年7月上旬
そんなときぱたさんのHPに出会い、藁をもすがる気持ちで思い切って相談。(しかし掲示板にはまだこのとき投稿する勇気はなかったのです。)お忙しい中にも関わらずぱたさんはわたしのしょーもない質問に一つ一つ丁寧に答えていただきました!

アメリカでの結婚式はすでに3週間後に控えていたので、とりあえず形だけの挙式をあげて、日本で婚姻、ビザを申請することに決める。ぱたさんのHPの最短コースをめざす。8月最終の週からはじまる学校に間に合うよう計画!

2000年7月中旬
結婚式の準備に追われながらも書類準備も着々と行う。
飛行機のチケットをとる。ホテル(赤坂陽光ホテル)を4泊予約。東京ブリティッシュクリニックに予約。

実家(名古屋)に帰らず、そのまま成田着、東京で婚姻、そして大使館にて申請しようと思っていたので、すべての書類を念入りに備える。戸籍謄本、東京の地図などを日本から送ってもらう。

2000年7月21日(金)
彼のTax ReturnやW-2 Form そして雇用主のレターがそろったので、近くのコピー屋さんで公証しにいく。ついでにそこで、斜め写真を撮る。しかし、フィルムが古いのか写りが良くなかった。

2000年7月24日(月)
アメリカにて結婚式を挙げる。この日は私の誕生日だったので、お祝いも2倍となり、至福の時でした。:-D

2000年7月26日(水)
LAX発成田行き13時の飛行機で帰国。だんなつき。

2000年7月27日(木)
成田着予約してあった赤坂陽光ホテルに直行。明日の準備をして、二人とも早めの睡眠。

2000年7月28日(金)
朝一で大使館に直行。8時半少し前に大使館着。彼の婚姻用件具備証明書を取得しにいく。どの窓口にいったらわからなかったので、番号札を持って待つが、実は婚姻用件具備証明書は入って左の奥にはいった窓口で発行してもらえる。彼は緊張していて何度も間違え、4回紙をもらいにいっていた。(そこがかわいかった!)和訳のひな形もその窓口でいただき、彼の名前などを日本語で書く。

次に港区役所赤坂支所に出向く。戸籍課にいく。(入って右)婚姻届の書き方が分からなかったので、役所のおじさんが親切にひとつひとつ教えてくれた。
婚姻届受理証明書の大きいものと小さいものを発行してもらう。(合計1750円)30分くらいで発行してもらえた。

再度アメリカ大使館に戻り受理証明書の英訳と公証をしてもらう。$55(何枚でも)10分くらい待つ。

無事午前中に今日すべきことを完了!

2000年7月29日(土)〜30日(日)
東京観光二人で満喫

2000年7月31日(月)
8時半前に大使館に並ぶ。番号札は6番だったが、9時頃には呼ばれた。第一段階に必要な書類プラス第二段階の書類も提出。10時にはパケット3取得。

こんなにスムーズにいくと思ってなかったので、16時に予約した東京ブリティッシュクリニックに行く前に銀座をふらふらする。JR恵比寿駅からタクシーに乗ったが、タクシーの運転手さんが場所がわからず、変なところでおろされる。2人で迷い迷って、ようやくたどり着く。普通のビルなのでわかりづらい。予防接種の記録や母子手帳を持参したので、なにも注射は打たなかった。ただの健康診断と血液検査でおわり。15分くらいで済む。名古屋に帰る。

2000年8月1日(火)
何もそろってないけど、面接の申し込みをFAXする。

愛知県警に赴き、犯罪証明書の発行を頼む。婚姻届時に本籍だけをかえたので、新戸籍が必要だよ。といわれる。新戸籍持ってくるまで犯罪証明書発行の準備とりかかりませんから。とそっけなくいわれる。でも指紋10本だけは採ってくれた。新戸籍すぐもってきたらできあがりは10日ね。といわれるが、新戸籍はまだ。帰り道の公衆電話で急いで、地元の役場に電話するが、まだ港区役所から書類がとどいていないので、新戸籍は作れません。といわれ、港区役所に電話すると、金曜日に送りましたのこと。ひたすら書類がはやく地元の役場にとどくのをいのるのみ。

2000年8月3日(木)
東京ブリティッシュクリニックから一枚の大きなレントゲン写真が送られてくる。

2000年8月4日(金)
1日から毎日役場の戸籍課に電話をかけていたせいか、戸籍できましたよ。と連絡をいただく。その新戸籍をもっていそいで県警へ。準備しないよなんていいながら、県警の人はちゃんと準備していてくれて、結果できてるけど、上の人たちが花火工場爆発の現場でてるからまた月曜来てね。といわれる。最初は新戸籍がないためあたふたしたけど、結果的に犯罪証明書が予定よりはやく手に入る。

大使館のQ2ダイヤル作戦をしようとしたが面接番号がなかっため失敗!

2000年8月5日(月)
犯罪証明書取得。午前中に大使館に面接日の問い合わせをしようとFAXする。
午後郵便物とまじって、面接の決定のおしらせが!!8月22日10時15分。

飛行機のチケットのフライト日時を9月末から8月に変えてもらおうとするが、名古屋発はどれも満席でキャンセル待ち。でも8月28日から学校がはじまることを説明して、どうにか8月23日、26,27日のどれかに席を空けてもらおうと頼み込む。

2000年8月18日(金)
飛行機会社から電話があり、23日のキャンセルがとれましたとの連絡。

2000年8月21日(月)
東京へ。前回お世話になった赤坂陽光ホテルに一泊。アメリカでとった斜め写真が変だったので、大使館前にある三会堂ビル地下1Fにある写真屋で写真をとる。(日本フォトサービス2枚一組1890円)2年ぶりに会う友人とたのしく夕食。

2000年8月22日(火)
いよいよ、この日がやってきた!面接時間は10時15分にもかかわらず、8時30分に大使館着。とった番号札は13番だった。番号札がわりと早かったにも関わらず、順番は面接時間の早い人の順番通り。私よりおそく来た人でも面接時間が早い人はどんどん先に呼ばれていった。結局最初に書類を出してから次にレントゲンなど必要ない書類を返してくれるまでにかかったのは、1時間30分くらい。面接も予定時刻をすぎ10時50分から始まった。

聞かれたことは「彼といつどこで知り合いましたか?」「今かれはどこで働いていますか?」「彼は何回日本に来たことありますか?」だけだった。これは英語の質疑応答でした。でも英語が分からない人は日本語で質疑応答している人もいた。

これらの質問が終わった後、「2時30分に戻ってきてください」といわれ、大使館を去る。渋谷で時間をつぶしていたら、偶然話しかけられたおじいちゃんと話がはずみ、そのままランチをともにする。東京ってこわいイメージあった(住んでいる人ごめんなさい!)けど、いいおじいちゃんに出会えて、そのイメージも払拭!

予定通り2時30分に戻ると私の斜め写真が表についた書類一式をもらい、職員さんに「おめでとう!」といわれ、じーんときた。そのまま名古屋に帰る。

2000年8月23日(水)
夜19時20分名古屋発LAX行きの飛行機。両親プラス犬の見送り。もう自由に日本とアメリカ行き来できるようになるんだなあと思ったら、感慨深くもなく「じゃあ、またね」と気楽にお別れ。

同日昼1時30分頃着、一番右の窓口で書類一式を黒人のお兄さんに渡す。サインを2つし指紋を2カ所おし、じゃあそこらへんで座っていてね。といわれ20分くらいまつ。再度呼ばれスタンプのついたパスポートを返してもらい、「グリーンカードは現住所に送られるから。あと2年後には再度更新するように」と英語でいわれ、最後に「アリガトネ」と日本語でいわれた。

こんなに早く移民ビザがとれたのもすべてぱたさん、皆様の親切、丁寧なアドバイスのおかげです!有り難うございます!