まさやんさんの移民ビザ獲得&アメリカ入国までの記録

私は90年〜93年にアメリカへ留学してました。(古い話や〜)最初はピッツバーグの大学のなかのESLコースで91年の夏からはフィラデルフィアの美術大学へ通いました。

フィラデルフィアで同じ大学に通っていた主人とは91年の終わりに出会い、つきあい始めましたが、92年の夏からフィラデルフィアの大学は私立で学費が高いことなどから、彼はシンシナティの公立大学へ転校してしまい、(ちなみに彼は同い年ですが、学年は私よりも下でした)ここから彼との遠距離でのおつきあいが始まりました。

貧乏学生だった彼はインターンコース(工業デザイン専攻)で1年のうち1学期間は働くという形をとり、私が卒業する年の最後の学期(93年3月〜5月)はフィラデルフィアに近い会社を選び、一緒に住んでいたこともありました。私は93年5月の卒業を控え、いろいろと悩みましたが、母親(父は他界)とは卒業したら日本に帰るというのが留学費用を出していただくときに約束したことだったので、泣く泣く7月に日本へ帰りました。

この後、私がアメリカで大学院へ、ということも考えたのですが、お金も無いし、本当に学びたいという気持ちがないと大学院は無理だと悟り、諦め、不況下の日本で就職活動をすることにしました。なんとか東京で雑誌の編集のお仕事にやっとこさありつきましたが、お休みはあまり長くはとれないので、彼とは1年に一度会えるかどうかという状態で、2000年まで来てしまいました(笑)。

「よく続くね〜」と周りからは呆れられてました(笑)。私たち2人がずっとつきあい続けてこられたのは彼のお母さんの存在だったと思います。彼のお母さんは92年末に亡くなられたのですが、若い頃、フランスへ美術の勉強をするために留学し、そこで国際線のパイロットだった彼のお父さんと出会って、結婚されたそうです。 私は彼女が亡くなる半年ほど前に一度だけ病室でお会いしただけですが、彼は私の精神的なものの中に彼女と近いものがあると感じているのではないかと思います。

97年に私が交通事故で入院。幸い骨折だけでしたが場所が骨盤だったため、くっつくまでは体を起こせず、寝てるだけの状態が3ヶ月近くあり、彼との連絡が取れない状態が続いたことで、彼のほうが結婚する気持ちを固めたようで、そういったことを書いた手紙をもらいました。とはいえ彼はこの年に学校を卒業して働き始めたばかり。しかも最初のサンフランシスコの会社は馴染めずに半年ほどで辞めてしまい、その後はバイトのような仕事で生計を立ててたために、すぐに結婚は無理でした。この後、彼がコネチカットの会社に就職。2年ほど経ち、工業デザイナーとしての経験もできてきたので、もうそろそろ結婚かと考え始めたのが99年の暮れでした。

2000年の年が明け、さあて彼と結婚をするにあたってはどうすればよいのか?と、YAHOO!で「国際結婚」を検索し「ぱたのうち」を発見。内容を見て「こりゃ大変だ」と青くなりました。それまではビザ無し渡航で大丈夫でしょ、とか思ってたくちです。

-----------------------------------------------------------------------
2000年1月中旬
「移民ビザ」を日本で申請、取ることを決意。彼の説得にかかりました。最初のうちは「そんなのアメリカへ来れば簡単だって」とか気楽なことをいってた彼ですが、電話での私の剣幕に「こいつ結婚する気、無くすんとちゃうか?」と思ったのか、電話して3回目で案外すんなりと日本に来て移民ビザの手続きをすることに同意してくれました。ただしこの日の段階では1月に長い休暇を彼がとったばかりなので、3月に土日を挟んで1週間とれるかどうか上司と話してみないと分からない、ということでした。
私は2月10日に、5年間お勤めした職場を辞めることに。

2000年1月26日(水)
先週ファックスで頼んでおいた婚姻具備証明書関連書類が大使館から郵送で届きました。
この間、会社で「ぱたのうち」の必要と思われるページを全部プリントアウト。これは何度も何度も繰り返し読み返しました。

2000年1月31日(月)
戸籍謄本を3通、郵送(速達)で送ってもらえるように役所(福井県内)へ定額小為替と返信用封筒を同封した手紙を郵送。(戸籍謄本は2月7日に着きました)

2000年2月3日(木)
彼の航空券を予約。日程は「1ヶ月でとる移民ビザ・モデル考」を参照にアメリカを2月29日(火)に出発、3月1日(水)日本着。6日(月)に日本を経ち、同日アメリカ着というスケジュールにしました。

2000年2月8日(火)
書き込み済みのI-130、住民票、戸籍謄本、パスポートを持参して、警視庁へ。
担当のお姉さんに連れられ、「渡航証明」の部屋へ。スキャナーで指紋を読み取られると、それが画面に大きく表示されるので面白かったです(笑)。帰りに「2月21日以降取り来るように」と書かれた紙切れを渡されました。無料でした。(取りにいく時もパスポートは持参しなければいけません)

2000年2月下旬
私がこれまで住んでいたアパートの契約が2月下旬で切れるので、同じ市内に住む兄夫婦宅へアメリカ渡航までしばらくごやっかいになることに。引っ越し手続き、会社を辞めるのでお世話になった方々へのご挨拶、確定申告、などなどやることがいっぱいあってキツかった…… 。が、何よりもキツかったのは東京から片道4時間半かかる田舎へ帰って母に会うことでした!

2000年3月1日(水)
彼が成田到着!インターネット予約半額キャンペーン中だった赤坂プリンスホテルへ。彼がアメリカのTVで見て、行ってみたいというので、お台場の「ビーナスポート」を観光。帰りの「ゆりかもめ」ではさすがに疲れたのか彼は寝てました。

2000年3月2日(木)
婚姻具備証明書の公証と婚姻届、婚姻届の英訳の公証のため、アメリカ大使館と港区赤坂支所を往復。「ぱたのうち」のおかげですべて午前中にすませることができました。彼は「婚姻届を出す」というのでスーツを着こんで「ビジネスマ〜ン」な格好で行ったのが、お役所の方々には印象がヨカッタのか、すんなりとことが運んだようです。

ろけっとさんからも特に日本のお役所はきちんとした格好で行ったほうがいいとのアドバイスをメールで受けてたので、私もジャケットを羽織って行きました。ろけっとさんありがとう〜!(次の日のI-130提出にはラフな格好で行きました)

*「赤坂支所」は「赤坂警察署の隣」だということをいうとタクシーの人も分かりやすいと思います。私たちは地下鉄を使いましたが。時間帯によっては道が混むので地下鉄のほうが早いかも。

2000年3月3日(金)
午前中にI-130を提出、Packet3を入手。午後は扶養証明書類を公証してもらい、ついでに彼のパスポートのコピーも公証してもらいました。

*これはビザ面接時に彼が一緒に来られない人には大切です!(ぱた注:出生証明でもいいですね。なくてもすごく困るものではないですが、ついでならしてもらっておけば安心だと思います)
*この公証ずみのパスポートのコピーをさらに2枚コピー。このコピーのコピーは後日、旅券事務所で私のパスポートにラストネームを追記してもらうときに名前の綴り確認に役立ちました。

この日夕方には京都へ出発。夜、京都の街を徘徊。ジャズバーと串焼き屋をはしご。

2000年3月4日〜5日
京都で過ごし、私の母と四国の兄と姪っ子に御対面。彼はキンチョーしたらしいです。私は疲れてました。午前中清水寺を観光(なんと30年に一度の御開帳で本堂が公開されててラッキーでした!)。
3月5日の夜は東京の兄夫婦宅で過ごしました。

2000年3月6日
早朝新宿を発ち、成田へ。成田空港が混んでてビックリ。彼は慌ただしく日本を離れました。この日の午後、ブリティッシュクリニックへ電話、8日に診察を予約。

*このときクリニックの人にはJR恵比須駅からそばの交番で地図をもらって来て下さい、といわれたけど、地図で見ると東急東横線の「代官山」のほうが近いのでそちらから行くことに。「劇団ひまわり」を目印に行くと簡単でした。
*クリニックが入っているビルは「代官山Yビル」です。「Y」が目印。

2000年3月7日
新しくなった戸籍謄本を改めて3通、役所へ請求。これらは3月13日届きました。

2000年3月8日
ブリティッシュクリニックにパスポート、母子手帳など持参。予約より1時間ほど早めに着いたら30分ほど早めに診察してくれました。メディカルフォームの出来上がりは13日。

2000年3月10日
大使館へ面接日を申込むため、OF-169をファックス。希望日は「3月22日」としました。

2000年3月14日
都庁旅券事務所へパスポートと新しい戸籍謄本と例の彼の「公証済みパスポートのコピー」のコピーを持参。アメリカで使うラストネームを追記してもらいました。

2000年3月16日
大使館から面接日は「3月28日」にしました、との手紙が届きました。

2000年3月28日
午前中に必要書類を提出後、大使館の職員の方から、扶養証明書類の書き方ににちょっとしたミスがあったので、この場でこのように書き直すので確認して下さい、というようなこともありました。

面接の際には領事の方(まだ30代くらいの若い女性)が私の書類をぺらぺらめくりながら「どうやって彼と、いつ知り合ったか?」や「彼の今働いている会社名」「彼の仕事は何か」とか質問されてきました。質問内容は書類見ながらその場で考えてるって感じでしたねー。写真や手紙など一応持っていったのですが見せろとは言われませんでした。

無事、面接も終え、午後、移民ビザ取得!
この面接が終わったあとのお昼休みに航空券の手配を電話で済ませました。
-----------------------------------------------------------------------
2000年4月15日
成田からアトランタ経由でコネチカット、ハートフォードのブラッドリーインターナショナル空港へ。

アトランタ空港の移民局は全然混んでなくて、手続きも5分ほど待たされただけ。ちょっと拍子抜けするくらいでした。
(ただ隣に居た60歳くらいのラテン系の女性はダンナさんがアメリカで働いているGC保持者でっていう人らしく、そのだんなさんなしで手続きしてることもあってか、えらく待たされてたみたいですけど)

本当に1ヶ月以内で移民ビザ取得。無事にアメリカに合法的に入国できました。これもぱたさんのホームページがあったからこそです。ありがとうございました。