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ビザ体験記from Sao-Pさん
私たちの場合は、彼が在沖縄の米軍海兵隊員(マリーン)、私は沖縄に住んではいましたが、住民票は千葉県、戸籍は東京都でした。ちなみにビザ取得の時点で私25才、彼30才でした。
移民ビザの申請から取得までは、すべて沖縄の米総領事館で行いました。なお、婚姻届は沖縄の役所で。新戸籍は東京都の同じ住所で作りました。
結婚したのは2000年2月17日。そして2月22日に移民ビザの申請を始めて、ビザ取得は3月10日でした。
彼のハワイ異動が3月1日、私の渡米が3月14日と、あらかじめ決められたスケジュールの中での、短期決戦 at 沖縄のレポートです。
それと、移民ビザ申請の流れや必要書類などは、沖縄も東京と同じです。こまかいことはかなり忘れてしまっているので、ここでは手続きの詳細はだいぶん省かせてもらいます。
2000年2月21日(月)
彼が総領事館に出向き、I-130や必要書類のリスト、移民ビザ申請の説明書などの、書類の束をもらってくる。
その日のうちにI-130を記入。その他の書類(彼の出生証明書・婚姻受理証明・私の結婚前の戸籍謄本・各英語訳など)は、軍の結婚手続きの際に必要だったので、この時点でそろっていました。
2000年2月22日(火)
2人で朝イチで総領事館へ。受付で番号札をもらい、しばらく待つ。
沖縄の総領事館はけっこう小さな建物で、常時稼働している窓口は二つくらい。事務員さんたちは、領事さん以外は全員日本人らしく、しかもほとんど女性でした。移民ビザの担当者は2人くらいです(実質、詳しい担当者は1人だけ)。申請に来ていた人は、日本人のほか、フィリピン人や南米の人など様々でした。
番号を呼ばれて窓口へ。書類を確認される。私はこの時点では結婚後の新しい戸籍も持っていなければ、パスポートの氏名訂正もなにもしていなかった(沖縄で出した婚姻届がまだ東京に転送されてすらいない時点です)。
ビザはパスポートと同じ氏名でつくられるとのことで、このまま行くと日本名だけでビザが作られてしまう。パスポートの氏名訂正をするには、東京の役所から新しい戸籍を取って、千葉のパスポートセンターに行かなくてはならない。でも、ここの領事館の面接日は毎週水曜で、私が受けるつもりでいる次回は一週間後の3月1日、つまり彼が日本を発つ日で、私もその日にビザを受け取った足で千葉に帰ろうと思っていた。
面接のために足りない書類は警察記録だけでしたが、これは軍の結婚手続きのときに、軍のNCIS事務所が私のバックグラウンドチェックのために申請していて、私はそれを流用しようと思っていました。だから個人で申請しなかったんです。うまくいけば面接日までにNCISに届くであろう、という目算でした(私たちは軍の手続きはひと通りやりましたが、手続きが終わって軍からの許可が下りる前に結婚していたのです)。
夫と氏が違うとアメリカでは面倒ですよ、と領事館の人に言われたけれど(ぱた注:日本の戸籍を変えなくても、アメリカでは夫の姓を名乗るのは出来るんで、無理に変えなくてもいいんですけどね〜。後からでてきますが)、たとえ東京に戻ったとしても、まだ新しい戸籍はできていないはずだからと、この時点では「えーい、なるようになれ!不安たっぷりだけど…」と思っていました。
そして領事の前で宣誓。面接に向けての書類をもらって領事館を出ました。
その足で、身体検査のため西原のアドベンチスト・メディカル・センターへ。この病院は沖縄の総領事館が唯一指定している病院です。
移民ビザのための身体検査の料金は、一律で¥26250。アポはいりません。私は母子手帳を持っていなかったし、自分の記憶も曖昧なので、予防接種を受けることになりましたが、これは別料金とのことで、軍のクリニック(無料)で受けることを先生にすすめられ、そうすることに。
血液検査は、私はつい1ヶ月前に結婚手続きのため同じ場所で同じ検査をしていたので、いくら一律料金と言われても受けたくない、日付を書き換えればいいじゃないですか、と言ったのですが、先生曰く「その通りなんだけど、レントゲンには日付がプリントされているから…。同じ日付ですべての検査が行われていなければならない、というのは、他の国では兄弟などが本人と偽って検査を受けにくることがあるからだそうですよ」とのこと。
ちなみに、ここの先生はとても理解があって、身体検査の内診も、パッと一瞬足を開かせるだけで、たぶん見てもいなかったと思います。ついでに、ここでは全裸の上に病院のガウンを着させられます。
検査の結果は毎週月曜にまとめて病院の人が領事館に持参するとのことで、面接を希望している来週の水曜までには間に合うと、ほっとしました。
病院を出て、予防接種のためすぐさま軍のクリニックへ。自分のメディカルレコードに予防接種を受けたことが記載されるので、それをアドベンチストにファクス。これで身体検査はぶじ終了でした。
2000年2月23日(水)
彼がNCIS事務所に私の警察記録が届いているかどうか確認する。
今週届いた束が、私たちが申請した一回前の分とのことで、来週には届くのでは?という回答。
ここで彼が軍を通した書類に疑心暗鬼になり、軍を通して取った警察記録がビザに有効かどうか確かめろと私に迫りました。
沖縄県警の回答は「NO」。それは別物で、自分であらためて取らないといけないとのこと。びっくりした私は、すぐさま領事館に問い合わせましたが、「県警には確認していないが、一年以内に取ったものであればいいという条件なので、それも使えますよ」とのことでした。
領事館も軍のやっていることをあまり理解していないようですね。軍−領事館−警察−役所などの連携がない。こういう局面が何度もあって、どれを信じたらいいのか?と、不信感ばかりがつのっていました。
警察記録が来週水曜の面接日に間に合うかどうか、確率はゼロだと私は確信しました。でも、最悪でもその翌々週の15日には面接を受けられるはず。
つまり1日に千葉へ戻り、引っ越しの準備などを済ませ、15日にまた沖縄へ戻ってビザを取り、その足でハワイへ行こう、という計画です。
ちなみに、軍のファミリーハウジング(家族持ちの人のための官舎)は、家をあてがわれた日から二週間以内に家族が入居しないとならないという決まりがあるので、彼がハワイに着くのが1日だから、はじめにホテルなどに泊まってもらって時間稼ぎをしてもらうのも限度があるし、私は遅くとも16日か17日にはハワイへ行かないとなりませんでした。たいていはファミリーハウジングをあてがわれるまで「待ち」があって、基地によっては一年以上待たなくてはならなかったりするんですけど、幸か不幸か、ハワイは空き家の余裕があり、「待ち」はなかったんです。
2000年2月28日(月)
NCISに警察記録の確認。やはりまだ届いていない。しかも、彼の「機密レベル(?)」の関係で、チェックが遅れているとかなんとか。このとき、軽く絶望しました。今さらでしたが、軍なんかに頼らず、もっと早くに沖縄県警から自分で申請しておけばよかったのに、と後悔です。もし警察記録があれば、たった8日間でビザを手に入れ、予定通りに沖縄を発てたはずだったのに。
領事館の担当者に相談すると(何度も問い合わせをしていたので、私の事情をよ〜く承知してくれていた)、「次週の8日に面接の予約を入れておいてあげるから、もし警察記録が届いたら、面接に来てください」とのうれしいお言葉を頂戴しました。
2000年3月1日(水)
沖縄のアパートを引き払う。彼と一緒に那覇空港へ。彼はハワイへ、私は千葉へと発ちました。
(私が沖縄にいたのは、ほんの数ヶ月間の「仮住まい」的な生活で、ビザ申請は沖縄でしましたけど、拠点はあくまでも千葉なので、ハワイへ行く前にやらなきゃいけないことが千葉にはてんこもりだったのです。)
2000年3月2日(木)
NCISからの警察記録にまだ頼ろうとしてはいた私ですが、念のためにと千葉県警に問い合わせると、今日申請すれば来週火曜の午後には受け取れる、とのこと。面接の水曜にセーフで間に合う!
この日、まずは杉並区役所へ新戸籍を取りに行く。
が、婚姻届は沖縄から届いてはいたものの、まだ処理されておらず、戸籍がまだできていない。婚姻届を出してからもう2週間も経っているのに。
警察記録には新戸籍が必要になるだろうと思っていたので、ここでもまた延々と事情を説明し、特別に30分で除票だけはつくってくれた。
また、ここで氏変更の手続きもした。
実は、婚姻届に書かれた彼のカタカナ名がおかしく(翻訳事務所の人に書いてもらったのがいけなかった)、家裁に問い合わせて、婚姻届の受理後でも「明らかな間違い」であれば、役所の裁量で訂正はできる、と聞いていました。だから役所の人になんとか変えてくれるよう頼んだのですが、英語をカタカナにした名前を「明らかな間違い」と判断するのは難しい、それは勘弁してくださいと断られてしまった。がーん。
パスポートの氏名訂正を面接日の8日(しかも沖縄)に間に合わせないとならないので、氏変更もなされた新戸籍は、遅くとも7日の午前中までに手に入れないとならなかったが、役所の人が6日じゅうに出せるようにすると約束してくれた。ほっ。
杉並区役所を出て、警察記録の申請のため、千葉県警へ。この距離、実に2時間。着いた頃には夕方になっていた。
戸籍は除票ではダメと言われたが、受け取りの際に新戸籍を持ってくれば大丈夫、とのこと。よかった〜。
ここの鑑識課にはコンピューターの指紋採取マシンがあった。軍の結婚手続きのときは両手を真っ黒にされたけど、あれはアナクロだったってことに初めて気づきました。申請の手続きはすぐに終わり、7日の3時にはできあがっている旨を確認して県警を出ました。
2000年3月3日(金)
ハワイの彼から電話。私の飛行機を14日の夜の便で予約したとのことで、もうびっくり!
もし、万が一、8日にビザが取れなかったら、次は翌週の15日になるのだから、それも見積もって15日以降の便を取ってくれるとばかり思っていたので。
それに、ビザさえ手に入ればそれでOK、ハワイへ行ける、っていうわけじゃなく、私は嫁に行くんだから(しかも海外に)、引っ越しの準備やら親戚・友人へのあいさつやら、一日でも惜しいくらいなんだぞ!
でもこうなったら、なんとしてでも8日にビザを取って、マッハで引っ越し準備も片づけないと…、とものすごい重圧に気絶しそうになった私でした。
2000年3月6日(月)
区役所へ新戸籍を取りに行く。
案の定というか、夕方近くになって行ったのに、受付で「登録がありません」と言われる。くわーまたか!と思ったけれど、今日中に受け取れるよう約束したことを説明すると、少し待たされたあと、ぶじに出してくれた。どうやら私の場合は特別扱いで、別の場所にあったらしい。杉並区役所さん、わがままばかり言ってすみませんでした…。
2000年3月7日(火)
新戸籍を持って千葉のパスポートセンターへ。
氏名の訂正の申請を済ませ、できあがるまでのあいだに県警へ警察記録を取りに行った。約束通りできあがっていて、新戸籍を渡し、ぶじに受け取り。
こんなに簡単に手に入るものに、あんなにかかずらっていたのか…と拍子抜け。でも、涙が出るほどうれしかったです。
そして1時間後にパスポートセンターへ戻って、訂正されたパスポートを受け取りました。
こんなふうに、役所同士が近いと本っ当に楽ですね〜。
そしてその夜、再び沖縄へ飛びました。
2000年3月8日(水)
ようやくたどりついた面接日。
約束の午後1時に行くと、番号札もなく、面接に来た人だけが集まっていた。日本人は私の他に一人だけで、ひとりぽっちで来ているのは私だけ。ちょっと心細かった。氏変更したことを説明すると、「大丈夫ですよ〜」とのことで、ひと安心。
一人ずつ別室に行くものだと思っていたけど、待合いのイスにみんなが並んで座ったままで始まった。
まず領事が出てきて簡単なあいさつ。「この時点でビザを出さなかったことは今まで一度もありません。もし足りない書類があっても、今日ビザを出します」と言ってました。
そして日本人の事務員さんに代わり、彼女が書類のひとつひとつを順番に説明し、おのおのに確認させる。警察記録も、「封がしてある場合は開けてください」と、簡単に開けさせられました。
わからなかったら手を挙げて質問。みんなでわいわい、なんか学校のような雰囲気だった。説明は英語だったけど、事務員さんがちょくちょく「大丈夫?わかりました?」と声をかけてくれましたよ。
書類の確認が終わると、おのおの代金を支払って、一組ずつ窓口で個別の確認。これは一組に時間がかかる上に、早いもの勝ちの順番なので(もちろん譲り合いはありましたが)、気の弱い私(笑)はけっこう待たされました。
窓口では、「あら、氏変更しちゃったの?じゃあミドルネームは作れないわね〜」と言われて、そのときに「えっ?そういうものだったの?」と私は初めて知ったんです。
状況的には氏変更しないでパスポートに彼の氏を併記するだけで良かったし、私はミドルネームとしてアメリカでも日本の氏を名乗りたいと思ってたんですけど、なぜか「氏変更しなくちゃ!」と思いこんでいて、しかもヘンな名前になっちゃって…。無知ほど怖いものはなし。(ぱたさんのサイトで、アメリカでは「これが正式な名前っていうのはない」ことを知って、なんかほっとしましたよ。)
で、そのあとまたしばらく待っていると、領事に呼ばれて、事務所との境のドアに二人で突っ立ったまま、ビザや他の書類の説明を受け、それらを受け取ります。結局、個人面接みたいなものはまったくありませんでした。
…と、なるはずだったんですが!なんと私のビザが即日発行されなかったんです。なにやら、ワシントンD.C.のほうに連絡がつかず、ネームチェックが遅れているから…とのことでしたが、つまり完全に領事館サイドのトラブルでした。
「明日出せるとは思うけど、約束はできない」と言われて…。私が千葉から来ていることなどの事情は向こうもわかっていたから、宿の心配までしてくれはしたんですけど、お役所がホテルを用意してくれるはずもない(幸い、友人の家に泊まっているので、その心配はなかったんですけど)。
ここへ来て、予測しなかった最終兵器がドカーンと落ちてきたような…あまりのショックに、「とりあえず今夜の飛行機のチケットどうしよう!」ってことしか考えられなかった。ハワイ行きまで、あと6日。千葉には、やらなきゃならないことがてんこもりで待っているというのに…。
2000年3月9日(木)
言われた時間きっかりに領事館に電話。「今日もダメでした。ビザ出せません」…がーん。私がハワイに行くのは来週の火曜日…もし明日もダメだったら、ビザは週明けの月曜日…月曜もダメだったら…。とめどない重圧と不安感があふれかえってブクブク言ってました。
2000年3月10日(金)
沖縄は一泊の予定だったので、着たきりだし、携帯のバッテリーもすっかり切れていた。
朝、公衆電話から留守電をチェック。念が通じたのか、「今日ビザを出せます」との、領事館からのメッセージが!ふえ〜ん!受話器を握りしめたまま、大泣きしてしまいました。
すぐに今日の飛行機を予約して、領事館へ急ぎました。
1時間以上待たされて、ようやくビザ取得。どーっと疲れが出ました。
そして午後の便で千葉に帰りました。引っ越しまでの猶予は、あと3日…。
2000年3月14日(火)
引っ越しの段ボール箱とともに、ぶじホノルル空港へ到着。
入官は係員に指示された列に並んだんですけど、そこは日本人観光客であふれかえっていて、なんか違うような気が…と思っていたら、案の定、一番端っこに、移民のための列があって、並び直さないとなりませんでした。
その列だけにはソファが並んでいて、私の前には十組近くの家族連れが順番待ち(ほとんど米軍の家族でした)。しかも一組に30分近くかかっているんです。何時間待たされたと思います?3時間ですよ、3時間!!しかも担当の係員はハナ歌唄いながらのんびりやってるし。ほんっとに悲しくなりました。私は気力も限界で、背中を一押しされたらびえ〜ん!と泣いてしまいそうだったです。
やっとのことで順番が来て、手続きはスムースに行ったんですけど、英語に自信がないので少ししか話せない、と言ったら、「彼とどこで知り合ったのか?」とか「言葉が通じないのにどうやってコミュニケーションを取るんだ?」とか、ドたまにくることを平気で聞かれました。
その間に、他の係員が来て、ビザ係の人に「なんでこんなにたくさんの仕事をひとりでやってたの?なんで他の人たちに回さなかったの?!」と言って、私の次に並んでいた人をさっさと別のブースに連れて行きました。んも〜!!
精神的にもうスレスレでしたよ。憤りも超えて悲しくて悲しくて。ホノルルに着いて3時間後、ようやく空港を出られて、彼の姿を見たときは、思いっきり泣きました。成田を出る前に彼に電話しなかったから、彼はこの3時間のあいだ、私が飛行機に乗ったかどうかとか、今どこにいるのかとか、あちこち走り回って聞いていたそうです。自分が待っていることを私に伝えるよう、頼んだとも言ってましたが、私には伝わってませんでした。
ホノルル空港は、迎えに来た人のための待合いもなければ、入官や手荷物の受け取り場所を外から見られる造りにもなっていない。彼は私と同じように、不安と憤りでいっぱいになっていたんです。
私のビザ体験記はこんな感じでした。
でも、他にはもっともっとつらい思いをしてビザを取った人がいっぱいいますよね。短期間で、大きなトラブルもなくビザを取得できた私はラッキーだったんだなと、後になっていろいろ知るうちにわかりました。とにかく、ビザに取りかかる前にぱたさんのサイトのことを知っていたら、どんなに良かったかと思います。
沖縄米国総領事館:浦添市西原 電話098-876-4211 DSN電話645-7323
窓口は午前中のみ。移民ビザの面接は毎週水曜午後。
アドベンチスト・メディカル・センター:電話098-946-2833
アポの必要なし
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