あきこさんの体験談

ハワイにいる彼(今の主人)に会いに行く9月までに「国際結婚」「結婚による移民ビザ取得」をインターネットや本で調べ始める。

そこで、さまざまなビザや永住権情報の載っているHPの中でも一番親切で、しかも、とても見やすく(特に私にとっては☆)気に入ってしまったのが、ぱたさんのHPでした。(ぱた注:ありがとうございます〜)
中でも、特に「絶対にこの通りにしよーーー。」と思って実際にその通り行動した「1ヶ月で取るモデル行動」と、日付け入りの(!)「皆さんの経験談」でした。プリントアウトしてスクラップにして、教科書のように(実際の教科書だってあんなに大事に持ち歩かなかった)持ち歩きました!!
彼もこの皆さんの経験談を見て、日本で“すべて”手続きする事を、心から納得しました。

さてさて、経験談の仲間入りをさせて頂く事が出来、とても光栄デス。

私の山あり谷ありのビザGETまでの道のりでしたが、少しでも参考になれば、と思い様々なアクシデントを思い起こさせて頂きます。

1999年9月15日
ハワイで、ぱたさんのHPのプリントアウトしたスクラップ(&彼用)を渡す。
彼は、とても驚きました。こんなに早く移民ビザが取れる方法があるという事を。

1999年11月18日(木)
彼が約1週間の限られた期間来日。大使館に行くのは、金曜日&月曜日の日程にしました。
彼の実家の福岡に挨拶にいく(母親が日本人で父親がアメリカ人で、彼は二重国籍のままになっていました。ぱた注:本当は二重国籍者は22歳までに国籍選択をして、その時アメリカ人で居続けたい場合は日本国籍の喪失届を出さないといけないんですが、生まれながらの二重国籍者だった場合は、二重国籍かそうじゃないかを調べる機関がないため、22歳を過ぎてもこういう状態になっている人は多いようです

1999年11月19日(金)
お昼に、東京に(私の実家)に戻り、大使館へ。
この日、その後、区役所で婚姻届も出し、結婚受理証明まで終わらせる予定だったんです、が!!!事件は、そこからです。
大使館で、彼が二重国籍だからという事で、問題が起こったのです(あ、日本国籍のお母さんは離婚して日本人のお父さんと再婚しているんです。ぱた注:つまり、戸籍上は彼は日本人として、日本人夫婦の籍に入っているのでしょう

彼が婚姻要件具備証明をもらおうとしたその時、「二重国籍だと、日本の法律で国際結婚は出来ませんよ。法務局で日本の国籍を捨てる手続きをした後じゃないとダメです。(ぱた注:日本の戸籍上では、彼は日本人ということになっているので、日本の法律にのっとって結婚したいときは、日本人として普通に結婚することしか出来ないため、アメリカ人としての婚姻要件具備証明をもっての結婚というのは理論上出来なくなるわけです。そもそも彼は「二重国籍者は22歳になったら国籍選択をしないといけない」という法律に違反していることが日本政府に発覚すれば、国籍放棄の手続きをするように要求されますし)」と言われて、二重国籍者の法律の紙を渡されたんです。

そんなの、時間がなーーーい、と思って2人で領事のおじさんにどうしたらいいか、泣きそうな顔で(きっと)、聞いたんです。そしたら、「行かない区役所に電話して、聞いてみてごらん。確か日本ではダメだから。」と言って、私たちが婚姻届を出しに行かない区役所に電話して聞いたんです。

ダメでした。

しかも、日本国籍を放棄する手続きには、何週間かかかるとも言われ、絶望的でした。「これじゃ、国際結婚どころか、結婚もできないし離れ離れだーーー。」と思って、本当に泣きそうでした。

そんな時、領事のおじさんたちがとっても親切で、時間外になって窓口もしまってしまったのですが、直通の電話番号を教えてくれて、「区役所の人にここに電話するように言ってください。」なんて、言ってくれたんですよ。

その後です。ビックリする事が起こったのは!!!
電話で話し終わった領事のおじさんが、「これじゃ、あなたたち、すぐには結婚できないから、日本の名前で日本人同士として普通に区役所に婚姻届出してきて、その結婚受理証明を月曜日に持ってきなさい。」って言われ、彼は宣誓しました。


1999年11月22日(月)
8:45 区役所着、婚姻届をふつうに出す
9:45 手続きが終わり、受理証明書をもらう(350円)
(元のお父さんがアメリカ人なので、彼の戸籍に記載されていて区役所のおじさんがどう読むのかが分かり難かったらしく何度もどれが、名字かとか聞いてきたので、随分時間がかかりました。)
10:30 やっと2人はアメリカ大使館到着、番号札はすでに60番くらいだった
11:30 彼が1-130提出&I-864の公証
13:30 彼がI-864の公証の間、私だけ警視庁までタクシーで行き、警察証明の手続きをした(11日後の12/3以降に取りに来て下さい、と言われた)
14:00 パケット3GET!!
16:30 彼は実家へ戻り、私は1週間前に予約をしていた恵比寿のブリティッシュクリニックで健康診断。4日後に結果が出ます、という事だったので着払いの郵送をお願いしました。
(予防接種は 3本打たれ、全部で49,000円くらいでした。痛くありませんでした。水疱瘡は、口頭で「かかった事ありますか?」と聞かれ、「あります、多分」と答えたら打たれませんでした。「多分じゃ困ります (--;)」と言われましたが...。)

I-864も公証済み、警察証明、健康診断の受け取りの日もハッキリ分かっていたので、もともと、1/27に移住先のハワイで結婚式の為、12/22には観光ビザでもハワイに行く予定で、チケットも買っていたので、

1999年11月26日(金)
面接日の予約をFAXで送りました。

じっと待ちます。
届いていなかったら、とも思いもう1度FAXを再送してみたりもしました。

12月10日(金)
ぱたさんの掲示板の他の人の書き込みを見てたら、「面接の返事が来た。」という人の書き込みが載っていたんですよ。その人の状況は、12/6にFAXしていて、12/21に来て下さい、というお知らせだった、という事でした。

アメリカ大使館の今年の面接は今年はY2Kの関係上年内は12/22までで、1日35組までという事だったから、もしかしたら今年中は面接にならないかも・・・と思いました。

しかし、私は、移住先のハワイで1/27に結婚式も挙げて、家族や親戚も来るし、もちろんクリスマスから、そのままハワイにいたかったというのもあるので、どちらにしても、「12/22発」の飛行機のチケットも買っていて(オープンで)、ビザが取れなくても観光として一時的に行くつもりでいたのです。大使館の方にも、これらのことを問い合わせてみたところ「ビザを持たないで渡米する場合は、入国の際に結婚とわからないようにして下さい。」とアドバイス(?)をされていたので、安心して行くつもりでした。

でも、帰って来る日も未定だった為、心配で、やっぱり渡米前にはビザは欲しかったので再び電話をして、面接日の問い合わせをしました。そうしたら「一度書類をアメリカに郵送して、書類がこちらに返送されて来ないと、面接日を連絡出来ないんです。」さらに「あなたの書類は来週には届く事になっているようですよ。」と言われました。

1999年12月16日(木)
じっと待っていましたが、返事がまだ来なかったので、再び大使館に電話しました。もう、情報電話のセリフとか押すボタンのNOなんか覚えてしまったくらいです。

私:「面接の御返事がまだ来ていないんですが。」

- 少々お待ち下さい、と保留にされる -

大:「今年は、Y2K問題で面接は12/22までですが、あなたの名前はありませんね。来年は、面接の一番早い日が1/18からですから、もう一度面接の希望日を1/18と書いてFAXしてみて下さい。」

私:「私事で申し訳ないのですが、1/27に移住先のハワイで結婚式を挙げるので用意などもあるので(なんて自分勝手な)、12/22に一時的に観光で渡米して、面接は、2月の終わり頃にする、というので良いでしょうか。」

- 少々お待ち下さい、と再び保留にされる -

大:「では、観光よりもちゃんとビザを持って行った方がいいので、もう一度、面接希望日を、12/20(ぱた注:普通は火曜と水曜以外は面接はしないのですが、このときは年末のビザの面接がないために待っている人が多かったせいか、金曜と月曜という特別な面接日が設定されたようです。これに割り振られた人は、いきなり前日くらいに電話がかかってきて「あした来れますか?」などと聞かれたそうです・・・)が空いているかもしれないので、FAXで送ってみて下さい。面接出来るかどうかは、お約束は出来ませんが。」
...という事でした。

さっそく、FAX。

12月17日(金)
次の朝に、なんと会社にアメリカ大使館から電話がありました。やさしいおじさんが、「大変お待たせしました。12/20の月曜日の8時45分に面接が決まりましたので、こちらから送った面接の書類が届かなくても、いらっしゃって下さい。番号札を取って下さい。お待たせして大変失礼しました。」なんて、言われたんです。
そのおじさんの声が高倉健に思えました。(震えるくらい嬉しかったデス!!)

1999年12/20(月)
無事、ビザを取得しました!!!
ここまで、アクシデント続きだった私がスムーズに事が運ぶはずはなく(?)、ここでも少し転びましたが。

戸籍も彼の姓に変えて、ビザ申請時に書式にも戸籍名(彼の姓)を書いたのに、ビザの面接時に、パスポートの姓を変更していなかったんです。

面接の朝、窓口で「ビザの名前とパスポートが同じじゃないと、午後にビザを出せません。」と言われました。しかし、3時半にビザを受け取りに行く時までに、5時間以上あったので、その隙に姓の変更に行ってこようかと思いましたが(記載事項の変更だけなら2時間程で出来るそうなので・・・それを知っていたのならどうして行って来なかったのでしょう?ほんと不精ですね..。)、窓口の方が時計を見て、「では、ビザは旧姓のまま出します。入国の際に何か言われたら交渉してください。」って言ってました。そんな、「交渉」ってそんな簡単な事でいいのかな、と思いましたが...。(ぱた注:普通は「今日はビザは発行できませんので、また後日パスポートを変更してから大使館に来てください」と言われますので、皆さんは忘れないで変更してくださいね!あきこさんの場合は運がよかったんですよ〜)

1999年12/22(水)
予定(希望)通り、ハワイに入国!!
ホノルルに着いて、一番左のはじのラインに連れて行かれ、ビザを見せて、レントゲン写真を渡し、その横にオフィスがありましたが、中ではなくその横の椅子で待つように言われ、数分後に、ソーシャルセキュリティや、2年後のGCの切り替えの説明を受け、スムーズに入国できました。

「ウェルカム」と言われた時は、とても嬉しかったデス 。

何日かして、SSオフィスにも行き、あとはSSカードが郵送されて来るのを待つだけになりました。

最初は学校へも行きたいと思ったし(永住権があると、学費も普通の3分の1以下でした!!)、銀行口座もSSナンバーがないと開けないし、やっぱりちゃんと移民ビザを取得して来て良かったです。

こうやって今、ハワイでもうすぐ2000年のカウントダウンを迎えられるのも、ぱたさんや、皆さんのおかげだと思っています。
アメリカ大使館のおじさんには何度も助けられました。

こっちで、観光のエージェントのおじさんが驚いていました。「15年前に私たちがビザを申請した頃は、$3,000はかかったし、何年も待たされたよ。それに、こっちの都合で政府が気を利かせてくれるなんて事、なかったよ。あなたは、本当に運がいい!!(ぱた注:あきこさんのビザについての理解度と熱意が勝ったんだと思います!丁寧な態度でちゃんとやってることを分かっている人には、お役所も親切です←日本に限りますが・・・アメリカの移民局は全く親切ではなく、わざと意地悪しているのか?と思うことだって多いので、おじさんの言っていることはよーく分かります)」って何回も言われました。

本当に親切なぱたさん、ありがとうございました!!感謝感謝です。
これから、ビザを申請される皆さんっ、こんな感じで「熱意」と「押し」が伝われば大丈夫ですよ。皆、親切でした!