Reikoさんの経験談

今は私も晴れて?!永住権申請中・面接待ちの身になれました・・・。
遅ればせながら、私の婚約者ビザ取得の道のりを記載させていただきます!!

当時海軍に所属していた彼にプロポーズされたのが2000年10月29日。
彼の日本での任期は2001年5月まで。
もちろん一緒にアメリカへって話になりました・・・が・・・どうやって???と彼に聞くと・・・。
「婚約者ビザっていうのがあるらしいから、それを取得しよう!」との事。
私も彼も、もちろん初めてのことなので全く分からなかったので
「じゃぁその婚約者ビザを取ろう!!」と開始しました。
そこで私はひたすら1人で「国際結婚」を合言葉のようにインターネットで調べ・・・
「ぱたのうち」を発見したのです♪
そこで「おっ!婚約者ビザ!あったあった!!」といった感じで熟読する毎日が続きました。
「ぱたのうち」では「移民ビザ」が一番早く永住権が取得できる!との内容が記載されていたので彼に相談したところ 「僕が軍にいる間は結婚手続きが大変なんだよ」と・・・。
で、私達は「婚約者ビザ」を目指し格闘する日々が始まったのです。
婚約者ビザ取得間近まで彼が日本にいたので、書類の記入などはかなり助かりました。

2001年2月20日
書類(I-129F,G-325A)は彼が基地の中の手続き関係のところからもらってきてくれました。
INSへ第一段階の書類を送付。
特に難しい記入もなく2人とも気楽に申請開始!

2001年3月中旬
1通目のNotice of Actionが届き「3月14日付け受理・15日21日で処理されます。」と明記されていました。(2、3週間ってことか・・・と呑気な2人)
私は$95なんて高いの?!(今は$110もっと高い!!)とブツブツ文句を言っていたような。

彼の帰国日が4月7日なので、それまでに書類が届かないかなぁと祈る毎日。
3月末に彼が実家に電話をすると、2通目のNotice of Actionが届いてるとの事!!
もうすぐ書類が届くね!!と2人で大喜び♪
もちろん私は1人で書類を書き上げ、集める自信がなかったので、喜び倍増!!
(おぉい!まだ書類は手にしてないでしょ??落ち着いてぇって彼になだめられる)

2001年3月28日
とうとう念願の書類一式我が家に到着!
その分厚さに愕然とする私・・・。でもまだ彼が日本!(よかったぁ間に合って)

2001年3月30日
健康診断の予約を入れるために【東京ブリティッシュクリニック】に電話。
午前中に電話を入れたため「今日の午後空いてますけど来れますか?」との事。
そんなに早く予約入れられるのぉ???とびっくり!!
しかも私は横浜の外れに住んでいたため、今日の今日では・・・。(方向音痴ってことも手伝い・・・)
都合の良い4月4日でお願いする。

2001年4月3日
神奈川県警に無犯罪証明書の手続きをしに行く。
入り口の前でセキュリティーの方が立っていたけど、私の前を歩く人が挨拶のみして通っていたので、私も同じく挨拶のみして笑顔で通り過ぎようと思ったら止められた・・・。
「今日はどうしましたか?」との質問。なぜにぃ私だけ?と思ったら、前を行く女の人は社員証のような物を首から下げていたのが見え・・・。
そりゃぁ私は止められるは・・・って納得。事情を簡単に説明したらとっても親切に入り口での受付が必要と教えてくださる。
受付を済ませ、いざ鑑識課へ。でも身構えていたほど堅苦しい雰囲気はなく、とても優しい方々の対応で指紋採取終了!
4月10日以降取りにきてくださいと言われる。

2001年4月4日
予約が午前中だった為、朝の通勤ラッシュと重なり辛かった・・・。
しかも駅に着いたら病院の方に言われた通り近くの交番で地図をもらう。
迷うことなく無事到着!
淡々と診察、採血、Drによる触診であっという間に終了。
私が最初の患者だった為か看護婦さんは意外と?親切。
母子手帳を持っていっていたので、合計金額は4万2千円弱・・・。
検査結果を郵送してもらうようお願いする。
その帰りに駅前の銀行に立ち寄り申請料を支払う。

2001年4月6日
すっかり忘れていた経歴書(移民査証および外国人登録申請書)を送る。
彼に頼んでおいた扶養証明の書類はもうすでに出来上がっていた。(早いなぁ感謝!)

2001年4月7日
彼が帰国。待っててねぇ♪もうすぐだよ!しばしの別れ。

2001年4月9日
何とも早い事に健康診断の結果がすでに送られてくる。。
それにしても大きな封筒。

2001年4月11日
神奈川県警に無犯罪証明書を取りに行く。
封をする前に中身を見せてくれました。「何も問題ないですからね!大丈夫ですよ!」となんて親切なんでしょう!

2001年4月12日
全てそろったのでDSL-1076を送付する。・・・が。
私は「4月の末から2ヶ月間アメリカに行き6月の末に日本に帰ってきてから面接を受けビザを取得する。」という計画を彼と立てていたんです。(申請中の渡米計画って事でした。)よってDSL-1076の書類を送付した時にその旨を明記し【6月末に面接希望】と添付する。

2001年4月18日
大使館からの封筒が届く。
おぉ?もう面接日決定か???と期待して開封。
「ガーン・・・・」となる手紙。もし渡米希望なら観光ビザを取りなさい。との知らせのみ。おぉ・・・・と泣きたくなる私。だって、チケットは4月21日出発。
観光ビザなんて取れないよぉ。どうしたらいいんだ・・・。(ぱた注:大使館の方が観光ビザをとれといっても、婚約者ビザをとっている途中では、まずB2は下りないでしょうね。ビザ免でいくなら可能性はあると思いますが。もちろんリスクもありますが)
今思えば絶対帰ってきます書類と共に出国すれば大丈夫だったのかな?と思う。
でも当時パニックの中では身動きひとつ取れず。
こうなったらお試し渡米は無かった事に。早く面接を済ませねば・・・と意気込む。

2001年4月19日
大使館に即FAXする!
「面接日を一番早く出来る日にお願いします。」と・・・。
そう!チケット・・・。航空会社に頼みまくり変更できないと言われつつも押し切り5月13日に変更してもらう。
(交渉してくれたのは、口下手な私に代わって我が兄。兄感謝してます!)
何とも賭けのような計画。面接が13日以降だったり、それ以前でビザ取得にならなかったらチケット無効。
祈るような毎日が続く。

2001年4月24日
これまた早い対応にびっくり!
面接日のお知らせ。5月9日午前8時45分。時間も早い・・・。

2001年5月9日
我が母と共に早朝ラッシュにもまれながらも大使館到着。
私達が1番のり。番号札を取り席に着く。ふぅっと一息ついた時に、「あの日付昨日になっていませんか?」と私

の後ろに並んでいた女性に声をかけられる。
ふとみると、私の番号は80番代で昨日の日付。
その女性が親切にも私の分の番号「1番」を手渡してくれる。
(ぱたのうちを見ている方だったら、再度お礼を言わせてください。ありがとうございました。)

窓口が開いたと同時に私の番号が呼ばれ、書類を一式渡す。
10時過ぎに領事館との面接。
彼は今どこですか?いつ結婚するつもりですか?との本当に簡単な質問のみ。
「はい!では2時半に戻ってきてくださいね!」で終了。
2時半には私を含め4人の人が一緒にビザを渡される。

これで順調に?5月13日の便で渡米できました。
いろいろ書類の記入などでつまずいた時は本当に「ぱたのうち」に助けられました。
ぱたさん・みなさん感謝しています。本当にありがとうございました。
私もこれからお役に立てそうな情報があったら登校させてもらいます。

最後にぱたさん!長くなりましたが、永住権取得後にはまたメールさせていただきますね。ちなみに4月2日面接なんです!でも指紋採取が4月5日。
去年健康診断を受けたのが4月4日。微妙な所ですが、また米国で健康診断受けるはめになるのかしら?と怯えている私です。