ナナ@ピッツバーグさんの経験談

私たちがK-1ビザゲットの為の行動を起こしはじめたのは、1998年の10月です。

まあこのときにはぱたさんのHPはできてなかったので、しょうがないといえばしょうがないですねえ〜(^_^);;。インターネットで、今の主人が調べに調べた挙句、K-1ビザが一番早く取得できるビザという確信の元、$50ドル位をだして、いろいろ申請フォームが入ったガイドブックを主人がアメリカにて購入。これに基づいていろいろ手続きをしていきました。

主人は2ヵ月に1回は2、3週間位日本に来ていたにもかかわらず、移民ビザではなく婚約者ビザにしたのは、彼が探し出したインターネットのあるHPを信じたからでした。

私たちは両方とも再婚組で、私には当時7歳の連れ子がおりました。実を言うと、少しでも早く彼に合流するためにと、私は1997年の6月に、F1(学生ビザ)&F2(その連れ子のビザ)を申請しましたが、"日本の大学を卒業しておりその途中にアメリカに1年間交換留学までしていているのに(J1ビザで行った)、いまさらあなたにはアメリカで学ぶことはありません"といわれ、旅行代理店を通じて却下され、自分で大使館にいっても却下されたという経験があります。

却下されて初めてわかった却下原因と推定されることが、

1) I-20をもらった大学がコミュニティカレッジだったこと(MBA取得といえば何か道は開かれたかも)また
2) 連れ子がいたことです。

2)に関して言えば、アメリカは、税金を納めもしない学生の連れ子に、ただの義務教育を受けさせる程、甘くはないよといっているようなものでした。もし、娘用(当時6歳)に私立の小学校の入学許可をとっていれば、また状況は違ってきたと思われます。すべてはこれで大丈夫という自分たちの思い込みが原因で、相談だけにでもアメリカ大使館に直接出向いてたら、却下されることは申請前に言ってくれただろうし、またそれでも行きたい場合は、こうこうしなさいとアドバイスをくれたかもしれません(ひたすら推測)。

アメリカ大使館を恐れず、気軽に相談にいってみたり、ファックスにて質問することをお勧めします。別に名乗る必要もないので。

1997.6&7月
F1(学生ビザ)&F2(その連れ子のビザ)を2回申請したが、却下される。却下された場合、パスポートに、"American Embassy in Tokyo received F1/F2 application"という判子がおされました。子供が併記されていたパスポートだったので、翌年のK-1&k-2の申請の時には、まだ3年くらいは期間が残っていましたが、別々のパスポートを新たに申請しました。ちなみに却下された夏にピッツに初めて行きましたが(40日滞在)、念の為、滞在先はヒルトンホテルと書きました。SFO経由で入国しましたが、別に問題もなく娘と二人で入国できたので、よかったです。

1998.10初旬
K-1&2のペティションをアメリカにて(Vermontだったと思います)郵送申請。

1998.11初旬
郵送申請から約3週間後にアメリカの彼の元に手続き開始の連絡が届く。ほぼ同時に赤坂のアメリカ大使館から必要書類が私の自宅(東京)に送られてくる。娘用の申請書類が欠けているので、ファックスでリクエストする。

この時すでに、桜田門の警視庁にて警察の無犯罪証明書はとってあった。なんのサポート書類ももっていないにもかかわらず、結婚の為にアメリカ大使館に提出する書類ですといっただけで、なんにも聞かれませんでした。

健康診断は、東京タワーのふともにあるTokyo Medical & Surgical Clinicに行きました。ひたすら高く、二人分で10万円持って行ったのに少ししかおつりが来なかったのだけは覚えています。私は母子手帳をなくしていた為、抗体検査を受けたところ、風疹しか抗体がないことが判明。後日、追加の接種を受けにいく。

娘はアメリカの小学校編入が控えているので、B型肝炎の予防接種(合計3回しなければいけないが、日本で2回しか時間がなくうけられなかった)を受ける。1本5千円位した。愛があってもお金がないと、アメリカには行けないと痛感する。

1998.12中旬
必要書類等そろって面接設定のファックスを大使館に送信。

1999.1.12
大使館にて面接後、K-1&2ビザ取得(^^)V。書類は念には念をおしてそろえたので、領事さんには、どこで知り合ったの?位しか聞かれませんでした。"インタビューだよ"と娘には言っていたので、"インタビューは何時始まるの?"とビザをもらってからも言っていました。

1999.3.25
デトロイト経由で渡米&5日後結婚。労働許可書(90日有効)はデトロイト空港入国の時に取得。そのときの移民官には、"あなたはラッキーだよ。労働許可書をださないところが多いのだから。"と言われる。頼んでもいないのに、親切でした。勿論無料でした(ぱた注:現在はもうもらえなくなっています。Kでの90日の就労許可って無くなっちゃったんですね……)

1999.4初旬
K-1&K-2ビザから移民ビザへの変更申請。同時に労働許可書(今度は1年間有効)を申請すると、郵送ではなく管轄の移民局(ピッツバーグ)にて受理されるというので、期限はまだ残っているが、同時に労働許可書を申請する。(FBI提出の指紋もとられる)。

娘の"A"ナンバーが初めて支給される。同時に、面接の日程台帳をINSの係員が広げ、"だいたい5ヵ月後位、面接までみていますが、いつがいいですか?"と聞かれる。9月15日午前8時30分と設定される。

1999.6下旬
カナダに行く用事があったので(主人の息子の結婚式)、Advance Paroleを申請。1年有効のマルチの許可書を1週間後に受理。特別な理由でなくても、大丈夫みたいな感じでした。

1999.9.15
ピッツバーグのINSにての面接に3人そろって書類もそろえていくが、1つの調査が終わっていないので(CIAの調査とか言っていた)、2、3カ月後になにもこちらからいってこなかったから、また来てみてくれとのこと。がっくり。面接を受けた移民官によると、現在移民ビザを発行している人達は、1年前の夏に申請した人達だときかされ、ヒョエ〜とまたまた気落ちする。いろいろ書類を持って行ったのに、なんにもチェックされなかった。

1999.12中旬
INSからはなんにもいってこないので、主人にINSにチェックしにいってもらう。状況を説明すると、パスポートなど見もしないで、CIAの調査とやらがreleaseされたとかで、あと2、3カ月たったらこちらから連絡するから、もう来る必要はないと言われる。

2000.2初旬
ぱたさんのHPに出会う(^^)/。CIAの調査のことのrelease(?)が書いてあったので、必要書類(パスポートとアドバンスパロール)を持って移民局にとりあえず行ってみることに決心。ピッツのINSは、待ち時間が少ないので、それだけは助かります。

2000.2.9
私の労働許可書を見て、ステータスを調べてくれる。1月28日に許可になっていることが判明。テンポラリーの滞在スタンプをパスポートに押してくれる(今日から1年有効になっている)。1年以内に本物のグリーンカードが届きますとのこと。

それと同時に、パスポートに添付してあったI-94、並びに労働許可書を取られる。娘のも同様。にこにこしてしまいました。これでやっと、娘のソーシャルセキュリティナンバーが取れる!(私ははるか昔の留学時代に持っていたので、結婚後氏名変更をした)

2000.4中旬
娘と私のグリーンカードが郵送される。なかなか早い〜〜と感心。が、私の旧姓をミドルネームにしているが、そのスペルが間違っているのを発見。ぱたさんの掲示板にて情報を載せると、INSにまた手数料を取られないようにねというアドバイスを得られる。

2000.5中旬
再度ダウンタウンのINSにGCを持って行き、斜め写真を2枚提出し申請。
2月に1年有効のテンポラリーの許可書のスタンプが押してあるので、日本に帰国予定があっても心配なくGCを手放せました。

2000.6下旬
私たちが日本にいる間に新しいGCが届いている。あとは1年半後の条件削除のみとなりました。