chocogirlさんの経験談

私も、婚約者ビザの申請者でありビザも取ったのですが、移民ビザを取得できる方がうらやましい限りです。去年、PDXで入国拒否にあい8月に彼が2週間ほど日本に急遽来日したのですが、両親の反対もあり移民ビザでの申請はできませんでした。最も、私が日本をゴールデンウィークまで離れられないということと、彼が再度日本に来て移民ビザの申請をするというのも無理だったので、結局はこれでよかったのだと思うようにしています。そうしないとやっていけないですよね。

私は、これからアメリカに入国後もいろいろと移民局に手続きをしなくてはならないのは充分承知していますが、きっと今までのビザ取得以上に大変なんだろうなって(なんせこれからはアメリカのペースですものね)思うとちょっとうんざり。でも、その時は、また遊びに来ますね。

ぱたさんのHPと出会って、どれだけ命拾いをしたか判りません。みなさんからの、温かいお言葉を頂いたり他の方の書き込みを読むことが本当に心強いです。ビザが取れるかどうか不安で眠れない時もありました。何も手のつかないときもありました。でも、ぱたさんのHPだけはチェックを欠かせませんでした。本当に本当にありがとうございます。そして、これからも宜しくお願いします。同じ婚約者ビザ取得者として親近感を感じるのは気のせい?(ぱた注:私も実は婚約者ビザコースで苦労した口です)

1999年7月28日
ノービザで入国しようとしたが、入国拒否に遭い、その日の便で日本に帰される
入国審査官には「あなたは働く為にアメリカに移住しようとしている」と言われる。
ノービザで入国拒否に合うと二度とビザウェーバーでの入国は出来ないと知りショックを受ける(一時は別れ話も...)

1999年7月29日
私を入国拒否した移民局のやり方に腹を立てた彼の義理の父が地元のラジオ局に、メールを書き、それが取り上げられ、大反響にリスナーやレポーターからたくさんの助言を頂き弁護士&congressmanの力添えを頂くことになる。

1999年8月6日〜18日
彼が急遽日本に来る。
これからの事を話し合い、移民ビザも考えたが両親の反対と彼の卒業を待ってということで、前から考えていた婚約者ビザ(k-1)の申請書類を記入し横向きの写真を撮る。

1999年10月
婚約者ビザの請願を移民局に懇願する予定だったが、身内の不幸により延期する

1999年12月20日
弁護士を通して、移民局に婚約者ビザの申請をしようとしたが、多忙だった為お願いできず、彼が直接移民局のネブラスカオフィスに提出する(弁護士さんとはきちっとした契約等を結んで雇う、というよりは判らない事を聞く程度でした。奥様が日本人であったことからボランティア的に協力していただきました)。

2000年1月8日
2000年問題でどうなるかと思ったものの、無事に移民局から彼の元にNotice of Actionが届く(1/3付けで受理されたとのこと)。

2000年2月4日
ネブラスカオフィスから2通目のNotice of Action届く。
移民局の処理は終わり、大使館の方に書類は送られたとのこと(1/28付けで大使館に転送とのこと)。

2000年2月12日
大使館から封書で婚約者ビザに必要な書類が届く。
本格的なビザの申請になることの嬉しさと同時にドキドキする。

2000年2月21日
ブリティッシュクリニックに健康診断の予約を入れる

2000年2月23日
午前中に埼玉県警察に行き、無犯罪証明の手続き。
午後2時にブリティッシュクリニックで健康診断。過去に転勤でアメリカに居た時に予防接種を受けていたので全て免除で、25,000+税でした(予約時に6万用意するように言われる)。

2000年2月28日
ブリティッシュクリニックに電話して結果ができているか聞く。出来ていてほっとする。

2000年3月8日
無犯罪証明が出来るのを待って、警察に出向きその足で再び健康診断の結果を取りにブリティッシュクリニックへ。

2000年3月10日
早速大使館に面接のアポのファックスを入れる。無理かと思ったが、3月中にお願いする。

2000年3月21日
面接の連絡が10日経っても来ないので不安になり再度ファックスする。彼の方からもファックスしてもらう。

2000年3月24日
早朝、彼からの電話あり、面接が28日に決まっていてもうすぐ大使館から封書で連絡がいくとのこと。
私でなく、アメリカにいる彼の元にファックスが行ったらしい。
その日の郵便で大使館から面接の手紙届く。銀行にてビザの申請料を払う。

2000年3月28日
10:15のアポであったが早目に大使館に着く。9時に番号札を取った時は12番だった。書類を出し、ひたすら待つ。
レントゲンを返され、最終的に領事さんとの面接で呼ばれたのは11時過ぎ。後の人が終わる中不安になる。
入国拒否の理由(移民局から2ページに渡るレポートが届いていました)、どこで婚約者と出会っていつ婚約したか、ノービザで入国しようとしたとき結婚する意思があったのか、彼が学生で彼の父親をジョイントスポンサーを立てていたので誰がジョイントスポンサーになるのか等を聞かれるが緊張のあまりプロポーズされた日付を間違える。

特に何の問題もないのでビザ出来ているので3:30に再び戻ってくることを言われる。

とりあえずこんな私のケースでもお役に立てれば嬉しいと思ってメールします。
去年の夏に彼が、大使館に行って聞いたときに(念のため婚姻要件具備証明書をパスポートでしてもらったような?)係りの人が「婚約者ビザだと9ヶ月かかるから、日本で結婚して移民ビザ取った方がずーっと楽だよ」と言っていたようです。でも、私の場合congressmanのお力があったからかもしれませんが、INSへの申請から4ヶ月位でビザ取得出来ましたし。入国拒否があっても、ビザが取れて本当にほっとしてます。まだ、出発は決まっていませんが、引越しの準備大忙しの毎日です。荷物は増える一方です。
ふう〜っ。


そして、この後は永住権申請についてです。

2000年5月10日
ポートランドで入国拒否されたのでどうもまたポートランド着便を選ぶのが恐く(ビザ持っているので大丈夫なんですけどね)、シアトル経由で渡米。何かあると困るので、シアトルの空港も入国審査厳しいとも聞いていましたので彼にはシアトルの空港まで迎えに来てもらう。大きな封筒を持った私を見て、空港の通訳の人は「あなたはこちらに」と誘導してくれスムース。フィアンセビザでの入国だったので、大使館で聞いた事をまた聞く。
1.90日以内に必ず結婚すること。
2.あなたのフィアンセビザを申請してくれた婚約者と結婚しなければ、このビザは無効になるということ。
今はフィアンセビザでの入国だと労働権はもらえないようですが、労働権のスタンプも貰えました。

シアトルは入国審査のブースが待っている所で見えるようで、私の事を彼はじっと見ていたようです。私はそんなことよりも入国審査に備えて、心の準備と書類の事で頭いっぱいでした。

2000年7月13日
市役所にマリッジライセンスを申請に行く。

2000年7月28日
一年前の入国拒否の辛い思いをいい思い出に変えよう、ということでこの日に結婚式を挙げる。私の両親に出席してもらえなかったのがとても心残り。

2000年7月31日
オレゴン州では式を執り行った人が、マリッジライセンスを郵送で送るようなのですが、移民局に永住権の申請の書類として必要な為、再び市役所に行きライセンスのコピーをもらう。

2000年8月3日
9月から夫の大学院の為にシアトルに引越しをするのでまだオレゴン在住であったが(住所未定であった)、シアトルに住む夫の叔母の住所を借りてシアトルの移民局に永住権の申請の書類を提出する。朝、5時に起きてオフィスの開く1時間前の6時から並ぶ。夏で助かった。
永住権の申請と同時に、アドバンスパロールと労働許可の申請も同時にする。

2000年9月11日
叔母の住所宛てに、労働許可のアポの手紙が届く。

2000年9月28日
労働許可証をもらう。
これが私にとっての初めての新姓によるIDとなる。

2000年12月8日
通常、労働許可証よりもアドバンスパロールの方が交付が早いのに何の音沙汰もない。どうしたんだろう?と思ってメールをすると「8月24日にはもう出来ている」との事。
シアトルの住所も決まったので、アドバンスパロールをもらいに行くついでに住所変更の用紙ももらってくる。

2000年12月20日
移民局に住所変更の用紙を郵送する。

2001年1月下旬
1月24日付けで、address updated - you should receive an appointment notice in 45-60 daysという手紙が移民局から届く。やった!もう少しで面接だ、と喜ぶ。

2001年3月
1月に移民局から連絡があって以来、面接のお知らせの手紙が来ない。もしかして、先方で送って受け取ってなかったら困るなぁと思ってメールでどうなっているか問い合わせをする。その結果、移民局は人員不足で仕事が遅れているとのこと。それだったら、期待するような手紙送らないでよ〜(激)とがっくりくる。こうなったら日本での申請に切り替えた方が早いかもと真剣に考える。

2001年7月25日
待ちにまった面接のお知らせの手紙が来る。(申請してから1年近く経っている...)面接は3週間後。しかもこの日に夫の仕事のオファーをもらったこともあってダブルハッピー。でも、実は仕事の関係でオレゴンに引越しをする事が決まっていたので無事問題無く面接を終え、永住権ゲットとなるか不安。面接の日にはもう既にシアトルを経つ予定だった。

2001年8月14日
面接。きちっと正装して移民局に向かう。でも待合室にいる人達みんなTシャツにジーンズという普段着。私達何か浮いてる。面接の時に指紋採取する。(管轄のオフィスによっても異なるようですが指紋採取してから面接だと思っていたので、こういう事ね、と納得)住所の確認をされ、実はオレゴンに引越し予定で(というかもう既に引っ越していたのだけど)といい新しい住所を口頭で伝える。オフィサー目の前で分厚い書類に訂正を入れていた。親切なオフィサーは「まぁ、移民法もころころ代わるからねぇ〜。永住権の申請に関しては管轄内に住んでいないと駄目だけど、条件削除に関してはそんなに厳しくないから書類はここに置いておいてもいいけどどうします?」と。驚いた私達は「いいんですか?出来ればそうしたいです」という事で書類の移動をしなくても済んだのでとてもラッキー。

ということで現在は例のハイテクカードを首を長くして待っているところです。