はにばにさんの恐ろしく長〜い!経験談

 前編(婚約者ビザ〜永住権申請)

私はまず、婚約者ビザでアメリカに来たのはいいけど、不便でしょうがない!!と困っている時にぱたさんのおうちに出会い、結果日本に夫と帰国して、約1ヶ月で移民ビザを取得しました。

婚約者ビザを取得してアメリカに来るまでの約2年間は1年に4回のペースで渡米。
移民官の思惑に全然気付かず、「この私が麻薬の密売人に見えるか〜?それとも北朝鮮のスパイだとでも〜?」と強気。質問にも素直に「アメリカ人の婚約者がいる」と言ったこともあった。すごく無知だった。

いろいろ聞かれるのもめんどくさくて、飛行機酔いしたふりをしたこともあり。持ち物検査(スーツケース)もされたけど、この時は妹といっしょ。きゃー私のパンツさわんないで〜!!とふざけてるうちに釈放された。この時も「彼らは麻薬を探してるんだろう」とズレてた。

1997年9月下旬
あらかじめ入手しておいた婚約者ビザ(K-1)の申請用紙に私がアメリカに旅行者として滞在しているときに2人で記入。

申請用紙は大阪の米国領事館で入手。でも大阪の領事館の用紙は参考においてあるもので、用紙そのものが古いかもしれないので、アメリカの移民局から入手した方が確実かもとアドバイス頂きました。一応移民局からと東京の大使館からも申請書を取り寄せて、新鮮度確認。大丈夫なようだ。

1997年11月上旬
なんやかんやと結局、彼が移民局に郵送で婚約者ビザの請願をしたのがこの時期になってしまった。

1997年12月下旬
東京の大使館から何の連絡も入らないことに不安になり、大使館にFAXで問合わせ。
「あなたのお名前や婚約者であるアメリカ市民の方のお名前で調べてみましたが、米国の移民局よりまだ申請書が送られてきておりません。申請書が受理された後こちらにその書類が届くには通常3ヶ月かかっておりますので、もうしばらくお待ち下さい」と早速のお返事。

いや〜聞いてないことまで教えてくれてるよ〜大使館てこんなに親切だったっけ??それまでは質問しても返事くれなかったり、返事が来ないので電話で問い合わせしても、「返事の来ないFAXのこともFAXで問い合わせてください」「貴方は関西の在住なので、大阪の領事館で聞いて下さい」などといわれてカチンとくることばっかりだったのに、この手のひら返しは何???ちょっと不気味。でも、まあ、いっか〜(ぱた注:アメリカ大使館は、緊急以外のことで電話連絡をされるのを嫌いますので、質問はすべて封書かファックス、が基本です)

1998年1月中旬
大使館から手紙と書類が届く。やっとだ〜
そこには次に揃えるべき書類(警察証明、健康診断、扶養証明など)とその後すべきことの説明書などが入っていました。パケット3みたいな物だと記憶しています(ぱた注:そうです)

当時会社員として大阪で働いていたので、ビザに全力疾走することもできず、焦ってもいなかったのでぼちぼち行動する。警察証明や健康診断を取りに行ったのも3月に入ってからでした。

警察証明は大阪府警察本部。あらかじめ必要書類を電話で問合わせ。大使館からの書類・パスポート・住民票・戸籍抄本・印鑑(現在は必要ないそうです)写真(5×4くらいの。くらいのっていうくらいなので、あまりサイズは正確でなくてもいいのかも)

健康診断は神戸の海星病院に行きました。電話予約をして、朝の10時までに出掛けました。パスポートとお金(5万円くらい)大使館の書類・母子手帳を持って。ごくごく簡単な視力検査などから尿検査、血液検査、レントゲンと流れまして、女医サンとの対話では聴診器と問診。クライマックスでは注射はTdを1本。やっぱり。お代はしめて4万円くらい(多分)

1998年4月上旬
彼が日本へ遊びに来る。この時東京ディズニ−ランドを含む東京旅行も決行!5日間東京で遊びまくる。

ああ、このときぱたさんのおうちがあれば・・・!!悔やんでも悔やみきれない過去の汚点だ〜

ゴールデンウィークにまたアメリカへ遊びに行ったりもしました。遊びに行く前に確認のため、大使館にまたまたFAX。「ビザを申請中というだけの理由で入国を拒否されることはありません。しかし、あなたはあなた自身の責任のもとで、期限内に母国へ帰るという証明をしなければなりません。」く〜親切!!癖になりそう・・・

1998年6月下旬
ぼちぼち集めた必要書類も揃った。郵送で大使館に面接予約の連絡。

1998年7月上旬
大使館から手紙が届く。「面接は7月7日です」は、早い!!でも、まだ心の準備が〜、計画が〜!!本当は10月下旬が良かったんだけど・・・

でもそんなこと言ったらアメリカに行きたくないのがバレちゃっても困るし・・・と面接日を7月29日に変更してもらえるようにFAXで打診。その後どういういきさつかは記憶の彼方なのですが、大使館職員の方と電話でこの面接日について確認しました。電話で話せるのは珍しいことですよね。ここでもまたもや超親切。面接日は7月29日で決定!!

ここで問題勃発!
大使館から届いた面接のお知らせの書類の中に、「扶養証明には必ずアタッチメントOF-167を添付してください」手元にない!!アメリカに忘れて来ちゃったのかも・・・
もう、書類の山で何がなんだかわかんないよ〜!急いでアメリカからアタッチメントOF-167を用意して送ってもらいました。それに「オリジナルの出生証明書も持ってきてください」だって〜。急いで、急いで!!

1998年7月29日
会社を休んで、朝6時頃の新幹線で東京へ。面接は9時半。早起きはこたえる!!虎ノ門駅から迷いつつも無事大使館に到着。大使館は初めてなので少々あたふた。番号札を取って、待つこと1時間以上。書類を提出したり、お金を払ったりで何度か窓口でお世話になる。12時を過ぎた頃大使の方に窓口から3時半に戻ってくるように言われる(ぱた注:実はこれが面接)

3時半前よりおもむろに番号が呼ばれ、無事簡単な説明と共にビザをゲット。この日は、「もう2度とビザなんか申請するものか!!ややこしい」と誓ったはずだったが・・・・

1999年1月28日
婚約者(K-1)ビザにてロサンゼルス国際空港に降り立つ。ビザは明日で切れるのよ〜。
空港では18番のカウンターで3ヶ月以内に結婚して、永住権の申請をしてね。と説明を受ける。
「大丈夫?疲れた?」と流暢な日本語を話す黒人の男性になんだかほっとして、
「私、大丈夫かな〜、またすぐ日本に帰れるよね〜」
「大丈夫。心配しなくても帰れるよ」というその方。
いや〜ん、優しすぎるう!!でも、でも大ウソツキだ〜〜〜〜!!!

1999年3月
結婚。結婚か〜

それと前後して移民局のHPを検索したり、電話をかけたりして今後の永住権申請にするべきことを問合わせてみるけれど、どうもイマイチ把握できないし、説明が不親切な上に、電話の人もどうするべきかわかっていないもよう。もうイヤダ。大使館に問合わせてみてもさすがに今回は「現地の移民局が管軸なのでそちらで問合わせてください」との返事。

永住権の申請をK-1からしたいこと、日本に帰りたいことと、働きたいことを説明したところ、永住権申請に必要な書類一式と共に再入国許可の申込書、労働許可の申込書を送ってもらう。

移民局からの返事は「再入国許可(リエントリーパーミット)は2週間から2ヶ月でアメリカの自宅に郵送されます。それを日本の住所に個人的に送って、それを持ってアメリカに入国してもかまいません。なので、許可証を待たずに米国を出ても問題ないです」

移民局を信用した私たちがバカだったのだ〜!そもそも私に必要なのは再入国許可は再入国許可でも、「リエントリーパーミット」でなくて、「アドバンスパロール」だったのです。そうとも知らずに・・・(ぱた注:リエントリーパーミットも、アドバンスパロールもI-131という同じ用紙なのですが、はにばにさんがもらった説明はリエントリーパーミット、つまり、既にGCを持っている人が申請するときのやり方で、面接待ちの間に日本に帰る、アドバンスパロールの場合は、許可が下りてから日本に帰ることになるわけです。続きをよむと分かりますが)

1999年4月28日
前々よりすでにホームシック。この日に帰ると決めてた。
後のことは任せたよ〜、じゃあね〜!と日本へ帰って来てしまう。

夫が例の書類一式を移民局に郵送。Notice of Actionなどは順調に届いているようだ。
でも労働許可の面接通知も来ないし、何より再入国許可が下りてないじゃないの。そうこうしているうちにあっという間に2ヶ月が経ち。

1999年7月下旬
移民局より労働許可証の面接が8月23日に設定されたとの手紙が届く。でも再入国許可がまだ出ていないからアメリカには戻れない!手を尽くした末、結局夫がLAダウンタウンの移民局の列に並ぶ羽目に。

早朝より並んでがんばった末に、夫が移民局から頂戴した言葉は「彼女はすでに米国を出ているじゃないですか。これでは許可は出来ません」バッキャロ〜!!移民局のウソツキめ!!移民局で確認した上で米国を出たのに、今更それはないでしょ〜とわめいたところで移民局に勝てるはずもありません。そうとうヘコんだ夫を聞くのは辛かったです〜。

もうこうなったらわらにでもすがる思いで再び東京の大使館へファ〜クス!!「あなたがお困りの件はハッキリ言ってなんのことだかわかりません。書類を送って頂けるとそこからあなたの状況を推測することができますので、書類をFAXしてください。」うう!捨てる神あれば拾う神あり!!さっそく書類をファ〜クス!!ここで発覚!!

「再入国許可証とは既に永住権を保持している者が長期に渡って米国外に滞在する場合に申請する書類で、あなたの場合にはアドバンスパロールをいう書類が必要です。アドバンスパロールが移民局より許可されない場合、再度渡米する為にあなたは移民ビザを取得する必要があります。こちらも請願者がアメリカで請願した場合は半年以上の時間がかかってしまいますので、アメリカ市民の方が一時的にでも日本に滞在できる場合はこちらの大使館で請願することができます。取得までには2ヶ程かかります。本日そちらの住所宛てに移民ビザ申請書類一式を郵送させていただきましたので、ご検討ください。」なんて親切なんでしょう!!2日後には書類が到着。夫は9月6日日本に到着する予定。

1999年8月下旬
なんで今ごろ?移民局よりアドバンスパロールが到着!!とりあえず私たちは大喜び。
大使館にもアドバンスパロールが無事下りたことと、お礼をFAX。
これで夫の9月6日に日本へ来る予定がなくなった。

せっかくの移民ビザ取得のチャンスその2、またもや、みすみす逃す。

1999年10月8日
ロサンゼルス到着。入国審査であちこちたらいまわしにされた後ビザ免除で入国する人達と同じ列ではZのブースへ行くように指示される。ぱたさんのおうちで話題になっている、厳しい移民官の目安のサンプルのような人が、なぜか私のパスポートをコンピューターの後ろに隠し?Zへ行けとしっしっと手で払うジェスチャー。なんでパスポート、あの人が取り上げちゃうの?何かがおかしいと思った私は「パスポート返して」と詰め寄る。「いいから行きなさい」と言う係官。入国審査でパスポートが身体から離れるなんて、絶対ヘンだと察した私は別の移民官に説明。それでも「私はあんたのパスポートなんて知らないわ」という対応。チラッと見えてるのを指差して、「あれが私のパスポートです。彼女があそこに置いたんです」と訴えて、やっと返してもらえましたが、どうして彼女がああいう対応をしたのかはいまだに分かりません。でも嫌な思いをしたのは確かです。その後は問題なく無事入国。

働く為には再度労働許可証を申請しなくてはならないらしい。また何ヶ月も待つのか・・・
弁護士に問い合わせたところ、永住権の面接までLAでは2年から3年の待ち時間がかかっているとこのこと。その前に暇と不便で死ぬ・・・


このあとは、後編(移民ビザへの切り替え)に続く