♪ぱたのうち♪

永住権保持者との結婚による永住権取得

こちらの話は、永住権保持者の方が市民権を取ることによって配偶者の永住権を取得するお話です。

NさんとTさんは日本人カップルです。Nさんが永住権保持者でアメリカ在住の女性、Tさんがそのだんなさまで、結婚してから色々なことが分かっていき、大変な道のりを歩むことになっていたようです……


NさんとTさんの苦労談。

<1998年>

1998年5月
永住権保持者Nとビザウェイバー(ビザ免除)で滞在中のTがカリフォルニアでなんの不安や疑問も持たずに結婚。

Nは市民と永住権保持者の権利の違いあまり意識しておらず。1998年1月にあった移民法の改訂等のことは扶養証明等のことは知ってはいたが、ほかのことは全く気にしていなかった。

Tはビザウェイバーとはビザの一種だと思っており、永住権保持者と市民が違うということを結婚直前まであまりわかっていなかった。

二人とも結婚したら、グリーンカードちょっと待つかもしれないけどとれるだろと思いこんでいた。
Tは日本に数年帰れなくなるであろうということはわかっていたが、「ま、いっか」程度のノリであった。

数日後、それじゃグリーンカードの申請の手続きでもするかとI-130等の書類提出のためにINSに出向くと、永住権保持者との婚姻の場合Tはアメリカ国外でグリーンカードが取れるまで待つしかないといわれる。その期間は5年かそれ以上かかるので、今ここでI-130を提出するより、Nが市民になってそれからTがグリーンカードの申請をしたほうがよいといわれる。この時点で迂闊に結婚したのは大間違いと気がつき始める。

すぐNは市民権の申請をする。このころホームページでチェックした情報によるとカリフォルニアに住んでいる人は平均1年で市民権が取得できるとのことだった。じゃ二人で1年くらい旅行でもするかと努めて明るく振る舞うようにするが、事態はかなりやばい方にころがっていることを薄々と感じる。

有効滞在期限が切れる数日前にTは日本に帰国。

1998年6月〜8月
相変わらず楽観的(というか単なる無知)であったTは、もしかしたら、F-1(学生)ビザが取れるかもしれないということで申請をするが、永住権保持者の妻がいるということで面接によびだされる。質問内容としては「婚約者ビザを取得して結婚したのか」等であった。結局永住の意図があると見なされ非移民系ビザである学生ビザの申請は却下される。(移民法214(b)より)
移民局、および移民するということをなめてたとちょっと思いしらされる。
今となって思えばこの学生ビザの申請も大失敗。

しかたないので カナダの学生ビザを取得 (10月から2月末までの5ヶ月有効)、比較的アメリカに近いカナダに住むことにする。

1998年10月から1999年1月まで
Tはカナダで学生、Nがちょくちょく遊びに来る。
カナダにあるアメリカ大使館でグリーンカードの申請をしたらどうなるか尋ねたが1年弱程度かかるので、日本で申請したほうが無難と告げられる。

グリーンカードを取れるのは2000年前頃になるかのかなと思い、ネガティブになったりする。

<1999>

1999年1月末〜4月末
T、カナダの学生(学校は1月でやめたが2月までビザが有効だったので)としてビザウェイバーでアメリカへ入国。もちろんカナダへの帰国用のチケットも持っている。

このアメリカ滞在中にカナダへの学生ビザを再び申請し5月から翌年3月まで有効のものを取得。

1999年3月
N:INSから市民権のための指紋を取られる。そろそろ市民権がとれるんちゃうかなと期待し始める。

1999年5月
T:再びカナダへ学生をしに行く。この頃から、ぱたさんのホームページをチェックし始める。

1999年7月
T:サマーセメスターのため前半のクラスだけとり後半のセメスターは授業を取らないことにして、その夏休みを利用してアメリカへビザウェイバーで入国。2ヶ月アメリカに滞在。

N:市民権の申請をした約1月前に申請をしたNの友達が面接にいく。そろそろ面接の日時の連絡が来るのではと期待する。

1999年9月
T:再びカナダへ。

N:INSから何の連絡がないので、NはINSにいき市民権のプロセスの進行具合を尋ねると、書類に記入し数週間待つように告げられる。

1999年10月
もちろんINSからは何の返事も来ないので再度出向く。今度は列に並び長時間またされた後コンピュータでNのデータをチェックしてもらえる。データは間違いなく入っているので辛抱強く待ちなさいと告げられる。「友達は同じくらいの頃に申請してもう既に面接が終わってる。どうして私は遅いのか?」と尋ねると、係りの人は「その友達が早く取れた理由は知らないけど、あなたなんて待っているうちにはいらない、みんな2年以上はまっているんだ。家でおとなしくまってろ」と怒りだした。この後NはINSいきたくない病にかかる。

1999年11月
Nと同じ頃申請したイギリス人の友達(約1ヶ月Nより申請がはやい)とユーゴスラビア人の友達(Nより後に申請した)は既に宣誓をおえアメリカ市民となってしまった。なんとかしなければ、ということでインターネット上でみつけた弁護士さんにメールで相談するとコングレスマンに手紙を書くとよいのではないかというアドヴァイスをうけ、その通りにやってみる。手紙には市民権の申請をしているが面接の通知が来ないこと、同じ頃申請した友達はもう既に市民になっていること、夫がいるが一緒に住むことができないこと等を正直に書き、またどうして他の人たちより私の場合長くかかっているのかINSに問い合わせて欲しいと書いた。

数週間後、こういった問い合わせは返事をもらうのに6〜9週間かかりますのでまって下さいと返事がコングレスマンからくる。

1999年12月
T:再度ビザウェイバーで入国。3ヶ月アメリカに滞在する。

<2000>

2000年1月末
約10週間たつがコングレスマンより連絡がないので、再度手紙を書く。

2000年2月
コングレスマンより連絡来ず。やりかたが手ぬるかったからなめられたかなと思い。今まで送った手紙、コングレスマンからの返事のコピーを同封して催促の手紙を書く。なんとこの手紙には "I am afraid that my requests have been forgotten or ignored."とか凄いことも書いていて、今読み返すと赤面。

2000年3月
T:日本へ帰国。

N:コングレスマンより手紙が来る。その手紙によるとINSからコングレスマンの方に「Nの書類を見直しますので3月28日まで待って下さい」とFaxが送られてきたそうだ。

2000年3月28日
コングレスマンから連絡はこない。この週から毎週「INSから連絡はありますか?」とコングレスマンに電話するようになった。

2000年3月31日
T:再びビザウェイバーでアメリカに入国しようとするが、頻繁に来すぎと追い返される(つまり入国拒否&強制送還)。入国港はあの悪名高きポートランド。のちいろいろ人から話を聞くにつれ、再び自分らの無知さ加減を思い知らされる。

2000年4月
N:コングレスマンも全然役にたたないので、ステートセネターに手紙を書く。いままでまじめに働いてちゃんと税金払ってきたのに、ひどすぎるーと愚痴を並べ立てる。これでもだめだったらクリントンに手紙を書こうかなどと言い始めた。

コングレスマンにも電話しつづけて、INSにちゃんと電話して問い合わせているのか等尋ねるが、「電話してちゃんとメッセージを残しておきました。」等あまり安心できない返事しかもらえない。

2000年5月2日
N:コングレスマンより電話を受け、「面接が先週末にあったのになぜいかなかったのか?」と尋ねられる。「面接の連絡なんてINSから受けていません」と答えると「なるべく早くINSにいってその事情を説明しないと、30日以内にあなたの市民権の申請は無効になると書いてますよ。」といわれる。コングレスマンの事務所に行きその手紙を実際にもらいコピーをもらう。

2000年5月3日
N:5時にINSにいき列に並び8時の開館を待つ。既に30人くらいは待っている人が居た。みんなすごーい。
開館後、ご受付でコングレスマンからもらった手紙のコピーを見せ、面接の知らせの手紙を受け取っていないことを説明すると、じゃそれを手紙に書いてINSに送って下さいといわれる。ここで引き下がったらまずいと思い、次の面接の日時を直に聞きたいなどとねばり何とか番号札をもらう。

順番が回ってきて、事情を説明すると「面接の通知はだいたい2回送られるので今回ミスしても大丈夫」といわれ追い返されそうになったので、その通知を送ったというが何月何日どういった形式でINSはその通知を送ったのか?送ったという記録はちゃんと残っているのか?とう質問責めで反撃を開始する。そんな記録は残っておらず、何月何日に手紙をNに送ったのかもわからず、ただ普通郵便で手紙を送ったとのこと。そしてそんなに不満ならLagunaの事務所(INSのサービスセンターですね)に手紙を書きなさいといわれる。

このままでは埒があかないので、コングレスマンに手紙を送ったアシスタント・オフィサーに合わせろ、この人がちゃんと素早く対応していれば面接の日をミスするなどということもおこらなかったのだと強く主張すると、なんとその主張がとおりオフィスの中に連れていかれその人に会えたのであった。妙に物腰の柔らかいその人は、事務所に整理されていたNのファイルの中から今までNがコングレスマンに書いた手紙を取り出し(ちゃんとファイルされているのにびっくり!)、読み直し「今まで苦労されておられるようで、それでは今日面接して来週宣誓しますか?」と尋ねてきて、またまたびっくり!!面接官は全員忙しかったので面接官のスーパーバイザー直々に面接となる。一年前に面接の勉強はしていたのと、昨晩万が一と思い一夜漬けで勉強していたのでめでたく合格となったのでした。英語力をみるテストでは「I'm a very good nurse.」とここに書きなさいというものであった。うーん。

その後スーパーバイザーより「宣誓は5月30日です」と告げられたので、「いやオフィサーには来週といわれました」と強気の反撃。しかし「来週は既にいっぱいなので」とクールな返事。それでもめげずに「でも来週やってくれると言ってました。」とごねると、では手続きをするので30分程待ってくれと言われたのでした。

その後宣誓の通知をもらい、証明書が来週できることを確認しにこにこで帰宅。

2000年5月10日
N:アメリカ市民になる。アメリカの国旗の模様がついているボールペンをもらう。

2000年5月11日
N:予約した時間にサンフランシスコのパスポートオフィスにいき、申請用紙、市民であるという証明書、写真、お金、航空券を提出。「昨日市民になったばっかりで、こんな直ぐアメリカからでちゃうの?」などと質問される。いままでの事情等を説明すると「それでは今日中につくらないとね、3時頃また来て下さい*。」と言われる。SFMOMAで時間つぶし。

パスポート取得。

*) ちなみに通常パスポートの取得にかかる期間は6週間。$35追加すると2週間。それより早くするには郵送ではなくパスポートオフィスに直接出向かなければならない。その際緊急に必要であるということを証明するため航空券等を見せなければならない。サンフランシスコオフィスは事前に電話予約が必要。もっとも全然混んでいなかったが。

市民になってこんな直ぐ日本に帰るなんてやけに手際がいいなーと思う人がいるかもしれないけど、本当のとことは「こりゃー当分市民になれそうにないから、ちょっと日本に遊びに行くか」と計画していたところ、その直前になって5月2日の電話がかかってきたのです。

2000年5月14日
N:必要書類と共に日本へ。

続きは後編(Tさんの移民ビザ取得)へ。